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11.湿気た風



……ボクは、白坂くんと初めて漫画の話を交わしたあの日以来、だんだんと、喋る頻度が増えていった。


「寄性獣の何がいいってさ、お母さんの伏線がめちゃくちゃ綺麗に回収されるところだよね」


「うん、うん。ボクも毎回、あのシーンで、な、泣きそうになっちゃう」


朝のホームルーム前や、授業と授業の間にある中休み、そして放課後など……。そんなちょっとした時間に、ボクは彼との会話を楽しんでいた。


この日も、授業が始まるまでの時間、白坂くんと喋っていた。


「ボク、しゅ、主人公の慎一くんと、ミキーの関係性が、凄く尊いなと思って……」


「分かる!あの二人は最高だよね!ミキーも最初は冷血だったのに、どんどん感情が出てきてさ」


「あの見た目なのに、か、可愛く、見えてくるよね」


「そうそう!なんか愛嬌あるよね、あのフォルム」


白坂くんはいつにも増して、ニコニコと笑ってくれていた。


……嬉しい。


嬉しい、嬉しい、嬉しい。


ボクの漫画の話が、他人に通じた。


初めて、ボクと同じ漫画を読んでる人に出会えた。


ボクが好きな作品は、かなりディープというか……癖の強い作品であることが多い。だから、ボクが好きな作品を知っている人に、今まで一度も会ったことがなかった。家族にもクラスメイトにも、ボクの漫画の趣味を明かすことはできなかった。


たまに漫画が好きな女の子と会えたりしたけど、好きなのは少女漫画とかで、話が全然合わなかった。


ネットとかだったら話が合う人とも会えるんだろうけど、ボクはネットでも人見知りだから、話せる友だちなんてできなかった。


でも、本屋でディープ・ブルーを手に取ってた白坂くんなら、もしかしたらと思って……。


だから、今、本当に嬉しい。嬉し過ぎるがあまりに、膝が小刻みに震えるほどだった。


会話のキャッチボールを交わす度に、ボクの身体が熱くなっていた。呼吸が早くなって、声が上ずっていた。


「そう言えば、黒影さんってあのダーク・ブルーって漫画は、全部読んでるの?」


「う、うん、読んでるよ。全巻、持ってるもん」


「へー!すごいや!僕も全部読んでみようかな~」


「!」


「ああでも、せっかくなら買ってみようかな?確か今のところ13巻までだったよね?それなら全然買いやすいし」


「………………」


……この時、ボクはまさに最高潮のテンションに達していた。


心の中にいるオタクのボクが、陰キャのボクを打ち倒した。


自分の好きな漫画を他人に教えたい、布教したいという欲が……人見知りを上回った瞬間だった。


「あ、あの、し、白坂、くん……」


いつも以上に言葉を詰まらせながら、ボクは……彼にこう言った。


「よ、よかった、ら、ダーク・ブルー……貸そう、か?」


「え?」


「あ、あの、あれって結構話が重たくて、人を選ぶっていうか……。た、たぶん、白坂くんだったら、きっと気に入ってくれると、お、思うけど……。ま、万が一肌に合わなかったらあれだし、い、一度試しに……借りて読む方が、いい、かなって……」


「ほんと?いいの?借りちゃって」


「う、うん、ボクは全然……」


「そっか!なら、せっかくだしお借りしようかな」


白坂くんは満面の笑みを浮かべながら、「ありがとう黒影さん!」と返してくれた。



キーンコーンカーンコーン



その時、教室の中でチャイムが鳴り響いた。これは、次の授業の開始を告げるチャイムだった。


教室の扉を開けて、数学の先生が入ってきた。それを確認したボクと白坂くんは、お喋りを止めて、先生の方へ身体を向けた。


「よーし、じゃあ授業始めるぞー」


先生がそう言って、教科書を手に持った。ボクたち生徒も、机の中から教科書とノートを取り出した。


「えーと、教科書の23ページからだな。新しい公式を教えるから、きちんとメモを取るように」


先生は黒板に、つらつらと公式を書いて、その説明をしていく。それを見て、クラスメイトたちはみんな真面目にノートへ写している。


「………………」


だけど、この時ボクは……先生の話が全く耳に入って来なかった。


さっきまで白坂くんと話していた興奮がまだ冷めてなくて、胸がドキドキしていた。


(ま、漫画の貸し借りの約束、しちゃった……)


実はボクは、密かに漫画の貸し借りに憧れていた。


お互いに好きな漫画を交換して、教え合う。まさしく、オタクの一番楽しい交流の仕方だと思う。


それがまさか、ボクにもできるなんて……。


(え、えへへ……。な、なんかまるで……)



──友だちが、できたみたい。



ボクの口角は、いつになく上がっていた。


いつも以上に、早く授業が終わって欲しいと、そう願っていた。









……パラ


パラ、パラ、パラ


その日の、夜11時頃。ボクは自分の部屋にある本棚の前にしゃがんで、漫画の……ディープ・ブルーの13巻を手に取っていた。


ページを一枚一枚捲り、目を見開いて、食い入るように読んでいた。


これは、白坂くんへ貸す前のチェックだった。


人様にお貸しするのだから、ちゃんとゴミや髪の毛がページの間に挟まっていないか、紙が折れているところはないかを確認していた。


また、しばらくは人手に渡ってしまうこともあり、今のうちに好きなシーンを目に焼きつけておこうと思っていた。特にこの前買った13巻は、まだ覚え切れていないシーンも多い。この巻も、余すことなく頭の中にインプットしたかった。


「……ふー」


一通り見終わったボクは、パタンと本を閉じて、横にある他の巻の上に積んだ。


1~6巻、そして7巻~13巻の二つに山が分かれていた。


「……あ、そうだ。何巻まで貸せばいいかな?」


ボクはまた、積まれている漫画に手を伸ばし、あれやこれやと考えを巡らせた。


「ボクの推しのレインが活躍するのは3巻だし、そこまでにするべきかな……?でも、第1章の区切りとしては5巻までだし……」


眉をひそめて、ぼそぼそと独り言を呟きながら、ボクはまたディープ・ブルーに目を通す。


こんな風に悩める時間も、今はなんだか楽しかった。好きな漫画のことで頭を使えるのが、嬉しかった。


「んー、どうしよっかな~」


いつになく弾んだ声が、ボクの部屋の中で小さく響いていた。





……翌日の朝。


ボクはいつになく緊張しながら、学校へと向かっていた。


肩に担ぐ鞄が、いつもより重たかった。それは、漫画5冊分の荷重が追加されているためだった。



ぽつり、ぽつり



薄暗い曇天から、小雨が少しだけ降っていた。鼻先にその雨が当たったので、ボクは右手の甲でそれをごしごしと拭った。


(やだな、漫画が濡れないようにしないと……)


ボクは予め持っていた、透明のビニール傘をさした。


そうだ、白坂くんへは、いつ漫画を渡そう?荷物になるし、放課後がいいだろうか?


あ、もし「いつまで借りていい?」と訊かれたら、なんて答えよう。5巻だけだし、あまり時間はかからないと思うけど……まあ、一週間くらいがちょうどいいかな?


「あー、マジ部活だり~。雨なんだし、朝練とかいらねーだろ」


「それなー。ほんとうぜーわ」


「ねえねえ、最近来た藤山先生って、結構カッコよくなーい?」


「分かる分かるー!ちょっと砂嵐の三ノ宮くんに似てる感じしない?」


学校の正門前に着くと、周りは生徒たちで溢れていた。ボクと同じように傘をさしたり、レインコートを着ていたり、あるいは何もせずに濡れっぱなしだったりと、様々だった。


ボクはその人混みを分け入って、下駄箱の方へと進み、靴を上履きに履き替えた。


「ん?」


その時、大勢の人混みの中に、白坂くんの背中を見つけた。


彼は1人で歩きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


彼のことを見つけられたボクは、なんだか嬉しくなって、その背中に「白坂くん」と声をかけようとした。


「あ!優樹!おっはよー!」


そんなボクの声を軽々と遮って、他の女の子が白坂くんへ声をかけていた。


金色の長い髪を揺らして、白坂くんの右肩をぽんぽんと叩いていた。


「やあ、金森さん。おはよう」


白坂くんは、その金髪の女の子に向かって微笑んでいた。


いつもボクに見せてくれるのと同じ、優しい微笑みだった。


「ねえねえ優樹~!あーしさー、これからダイエットしよーと思ってんだー!」


「へえ?ダイエットを?」


「そーそー!もうすぐで夏休みなんじゃん?だから水着着れるよーに、もっと“せくしー”になろーと思ってんの!ま、もともとあーしはせくしーだけどさ!」


そう言って、その女の子は右手でピースを作って、白坂くんに眩しい笑顔を見せていた。


白坂くんの方も、「はははは!金森さんは相変わらず自信家だね」と、にこやかに笑っていた。


ボクはそんな二人の姿を、遠巻きに見る他なかった。



……ザーーーーー



小雨だった雨が強くなり、廊下の中にまで音が響くようになった。


梅雨の湿気た風が、ボクの髪をふわりとなびかせた。







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