……友だち。
そう呼んでいい人が、16歳になって、初めてできた。
「おはよう、黒影さん」
毎朝白坂くんは、ボクにそう言って笑いかけてくれる。
ボクはそれを見る度に、胸が温かい気持ちになる。
「お、おはよう、白坂くん」
「ねえ黒影さん、今日の体育って水泳だったよね?」
「う、うん、そうだよ」
「やだなあ、僕めちゃくちゃ金づちでさ……。顔を水につけるのもできなくて……」
「う、うん、凄く気持ち分かるよ……。クロールなんて、生まれて一度もできたことないし……」
「そう!分かる!あんなのどうすればいいんだろうね」
毎日毎日、ボクたちは他愛もない話を交わしていく。そんな小さな会話が、ボクはいつも楽しくて仕方なかった。
「あ、そ、そうだ。白坂くん、ごめん。今日“私”……国語の教科書忘れちゃって。よかったら、み、見せて貰えないかな?」
「うんうん、いいよー」
何か困ったことがあっても、こうして頼れる人がいる。それが本当に心強かった。
前までは、教科書を忘れたりしても、隣の人に見せて欲しいと言えなかった。その授業の間は、先生に教科書を持ってきてないことがバレないように、必死になって隠してしまった。
でも、今はそんなことしなくていい。それだけでも、だいぶ居心地がよくなった。
白坂くんがそばにいてくれるから、いつも安心できた。
「あ、あの、昨日“私”……白坂くんからオススメしてもらった、“残酷な女神が支配する”って漫画、読んで……みたよ」
「お!どうだった?」
「す、凄かったね……。心理描写がエグくて、ずっと引き込まれてたよ。とても……面白かった」
「おお!よかった!気に入って貰えて嬉しいよ!たぶん黒影さんなら、面白がってくれるんじゃないかって思ってさ」
「うん、ほんとによかっ
た。“私”、まだ最初の3巻までしか読めてないから、は、早く続きが読みたい……」
あの日以来、白坂くんとボクの間で、ひとつの秘密ができた。
それは、白坂くんの前でだけ、“ボク”を使うこと。
他の人が周りにいる時は“私”にして、彼と二人だけの時に“ボク”にする。
ボクが自分のことを“ボク”と言っても、笑わずに、からかわずにいてくれるのは……白坂くんだけだから。
キーンコーンカーンコーン
楽しいと思える時間ほど、早く過ぎ去ってしまうものである。さっきまで朝だったと思っていたのに、いつの間にかお昼休みを迎えていた。
午前中もずっと、白坂くんと話してばかりいた。はっきり言って、授業がどんなだったかも覚えていない。「次は白坂くんとどんな話をしよう?」と、そんなことばかり考えていた。
(お昼休み……どうしよう)
ボクはいつも、お昼はトイレに込もって、一人で食べていた。いわゆる便所飯だった。
教室でお弁当を食べる時ほど、孤独感を覚える瞬間はない。周りのみんなは友だちと楽しそうに話しているのに、ボクは独りでぽつんと……教室の隅っこでパンを齧る。辛くて辛くて堪らなかった。
だから、いつも人が来ない図書室付近のトイレに隠れて、そこでお昼を過ごしていた。
でも、ボクは今日……初めて教室に残った。
(午後からは水泳があるから、授業との間にある休みは着替えで潰れてしまう……。話せるタイミングは、もうお昼休みか放課後しかない)
白坂くんと、もっと喋りたい。まだまだ話したいことが、いっぱいあるんだから……。
「あれ?黒影さん、今日は教室なんだね」
白坂くんからそう言われて、ボクは「うん」と答えた。
「いつもはお昼、どこに行ってるの?」
「え、えーと、図書室、だよ。あそこ、結構漫画とかたくさんあって」
「おー、そっか図書室か。いいね、僕も今度行ってみようかな」
白坂くんは微笑みながら、机の上にお弁当箱を置いた。
彼のお弁当は、かなり渋かった。おかずがきんぴらごぼうと筑前煮、そして卵焼きとほうれん草のおひたしという、まるでおばあちゃんの家に遊びに行った時に出てくる料理のような、そんなラインナップだった。
勝手なイメージだったけど、もっと男子のお弁当ってお肉がドンッ!って豪快に山盛りになってるものと思っていたから、とても意外に感じた。
「ねえ黒影さん、アンニンストールって歌、知ってる? 」
白坂くんは、おひたしを頬張りながらボクへ話しかけてきた。
ボクは焼きそばパンを齧って、それを飲み込んでから、彼に答えた。
「ああ、えっと確か……“ぼくらは”ってアニメの主題歌だったよね?」
「そうそう!あの歌、僕ほんとに好きでさ~!夜一人でいる時とかに、ぼーっとあの歌を聴いたりするんだよね~」
「へ~、そうなんだね。私、その歌が有名ってことは知ってるけど、ちゃんと聞いたことはなかったかも……」
「え!?そうだったの?」
「う、うん。サビが有名だから、それをちょっとだけ聞いたくらいで……」
「そっかそっか。なら、是非聴いてみて欲しいな!」
「う、うん。アンニンストールって検索すれば、出てくるかな?」
「あ、そうだね。出てくるけど……えーとね、個人的にはちょっとオススメしたい動画があってね?」
「オススメしたい動画?」
「そうそう。“ぼくらは”のアニメ映像とアンニンストールを合わせたMAD動画なんだけど、それが凄く好きでさ!それがぼくらはを観ようと思ったきっかけの動画なんだよね」
「へえ、そんなによかったんだ」
「そうなんだよ!だから、もしよかったらさ、Limeの連絡先を教えてくれないかな?」
「え?Lime……?」
「うん!そこに動画のリンク先を送る方が、教えやすいかなって思って!」
「……い、いいの?」
「え?なにが?」
「だ、だって、私と……Lime交換して、いいの?」
「???うん、どうして?」
「…………………」
「あれ?ごめん、もしかして……嫌だったかな?」
「う、ううん!違う!私は嫌だなんて、絶対思わない!た、ただ……えっと、わ、私……あんまりLime交換したことなかったから、ちょ、ちょっと緊張しちゃって……」
「なるほど、そういうことだったんだね!よかった、無理に聞くのもちょっとどうかな?って思ってたから、安心したよ!それじゃあ、教えてもらってもいいかな?」
「う、うん、もちろん」
ボクと白坂くんはお互いにスマホを取り出して、Limeの連絡先を交換した。
す、凄い……。ボクのLimeに、家族と公式アカウント以外の人が追加されてる……。
「それじゃあまた、今日の夜にでも送るね!」
白坂くんはそう言って、ぱあっ!と輝くような笑顔を見せてくれた。
ああ、楽しい。彼とのお喋りは、本当に楽しい。
やっと、お昼休みにお弁当を食べながら友だちと駄弁るという夢が叶った。
いつもいつも、こういうシチュエーションを遠巻きに見るしかなくて、どうしようもなかったけど……。やっとボクも、こんな風に過ごせる時間ができたんだ。
「おーい、白坂ー」
……その時、ボクたちの会話を割って、一人の男子が訪ねてきた。ボクはなんだか、嫌な予感がした。
白坂くんは「なにー?」と言って、やって来た男子に返事をした。
「なあ白坂。飯食い終わったらさ、バスケしに行かねー?」
「バスケ?」
「おう、今日はバスケ部の昼練がないから、体育館使えるんだってよ。ハジメとかユウキも来るぜ」
「おー、いいね!楽しそうだね」
白坂くんは最後のきんぴらごぼうをぱくっと口に含んで、空になったお弁当箱に蓋をした。
「………………」
ボクは、何一つ言葉が出なかった。
いや、出す気になれなかったという方が正しい。
だって、白坂くんはボクと違って、他にも友だちがいる。だからボクに……白坂くんを止める権利はない。
だから……ボクは、ただ黙ってそこにいた。
半分までしか食べていない焼きそばパンを、じっと見つめていた。
「………………」
その時、白坂くんはほんの一瞬だけ、私の方をちらりと見た。
そして、また男子へ目を向けて、申し訳なさそうにこう言った。
「ごめん!今日は僕、お昼に先生から呼ばれててさ」
「えー?マジかよ?誰先生?」
「担任の石田先生だよ。お弁当終わったら来てくれって」
「おいおい、お前何したんだよー!さてはカンニングでもやったか?」
「そうなんだよ~!バレてないと思ってたのにさ!」
そうして、白坂くんとその男子は、「はははは!」と声を上げて笑った。
「まあまあ、冗談はさておき。ちょっと面談をする予定があってね。今日は申し訳ないけど、行けないや」
「そっか!なら仕方ねえな。時間が空いたら来いよなー」
「うん、ごめんねー」
そうして、白坂くんは去っていく男子に向かって手を振った。
「……し、白坂くん」
「うん?」
「面談って……どんな面談なの?進路相談……みたいな?」
「あー、えっとね……」
白坂くんはどこか照れ臭そうに、鼻の頭を掻いていた。
「へへへ、ごめん。あれ嘘なんだ」
「え……?」
「今日は全然、予定もなにもないよ。口からの出任せだ」
「え?え?な、なんでそんな嘘を……?バスケ、したくなかったからとか……?」
「ええ?いや……。なんていうか……」
「………………」
「今日は黒影さんが教室にいるからさ。せっかくだし黒影さんと話したいなって」
「!」
「そうだ、図書館には漫画があるって言ってたね?どんな漫画があるの?」
「……え、えっと、フラックジャヅクとか、日の鳥とか……」
「おー!まさしく学校の図書室のラインナップって感じでいいね!僕も久しぶりに、日の鳥読みたいな~」
白坂くんは本当に無邪気な顔で、そう笑っていた。
「…………………」
「……?黒影さん?」
「え?」
「どうしたの?何かあった?」
「う、ううん!な、な、なんでも……ないよ……」
ボクは、自分でも分かるほどに、顔が真っ赤になっていた。
頬も耳もおでこも、何もかもが熱かった。
正直に言うと、ボクなんかが彼の友だちでいいんだろうか?という不安は……まだ拭えない。
あの金森さんというギャルの人や、さっきバスケに誘ってきた男子のような、元気で明るい人と一緒にいる方がいいんじゃないか?って、どうしても思ってしまう。
でも、白坂くんはボクにはっきりと……友だちだって言ってくれた。ボクと喋ることを楽しんでくれていて、わざわざ他の友だちからの誘いを断って……。
それが、それが本当に嬉しかった。胸がぎゅーっ!て抱き締められるみたいに、熱かった。
日を重ねるごとに、白坂くんと接する時間が増えるし、彼のことをもっと知りたくなる。
一緒にいて楽しいし、安心する。
白坂くん、白坂くん。
君は、ボクの、たった一人の友だち……。