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17.彼がいない日(後編)



ザーーーーー!!


「……はあ、はあ……」


雨が降りしきる中、ボクは汗だくになりながら、脚を引きずるようにして歩いていた。


足許に見える水溜りに、雨が落ちた波紋がいくつも浮かび上がっていた。


肩かけの鞄の中には、白坂くんへの差し入れが大量に入っている。


リンゴを2個と、アイスをひとつ、ヨーグルト三つにスポーツドリンクを2本、そしてメロンパンを1個。


薬類はきっと家にあるだろうから、それは敢えて買わずに、こういう食べやすいものをたくさん買った。


彼がどんなのが好きか全然分からなかったから、とりあえず片っ端からジャンルを問わず手に入れた。


本当なら、電話なりなんなりして彼に食べたいものを訊くのが一番なんだけど、さすがに具合悪い時に何回も電話したりするのはちょっと……と思い、こういう買い方になった。


ひ弱なボクの身体は、この差し入れが入った鞄は酷く重たかった。持っていくことを全然計算に入れてなかったのは、あまりにも間抜けだった。


「……えーと、ここ……で、合ってるのかな?」


夕方の17時半頃。ボクは白坂くんから貰った地図を頼りに、彼の家の付近までやって来ていた。


ボクの目の前にあるのは、平屋の一軒家だった。玄関は引き戸になっていて、一部磨りガラスになっている。


庭の方へ顔を覗かせると、縁側が見えた。そこも障子で仕切られていて、中は見えないようになっている。


表札には「白坂」と書いてあるので、間違いないと思うけど……。


「………………」


ボクはドキドキと心臓を鳴らしながら、スマホをポケットにしまい、左手に傘を持ってから、右手の人さし指をインターホンへ伸ばした。


(……あ、でも待って。ここでインターホン鳴らしたら、白坂くんの家族が出てくるんじゃ……?)


そうだ、もしお母さんとかが出てきたらどうしよう?ボク、緊張して何も話せないかも……。


し、白坂くんに直接電話する方がいいかも。そうしたら、彼が玄関に来てくれるだろうし。



プルルルル、プルルルル



『はい、もしもし』


「あ、白坂くん。ごめん、今あの……おうちの前に来てるんだけど」


『あ、ほんと?ありがとう、じゃあ玄関に行くね』


そうして、少し待ってみると、すぐに玄関の引き戸が開かれた。


そこには、ほんのりと顔が赤く、マスクをしている白坂くんが立っていた。


「やあ、黒影さん……。わざわざごめんね」


いつものように優しい声だけど、やっぱり少しトーンが低くて、元気がなさそうだった。


「具合はどう?白坂くん」


「そうだね……。朝よりはマシになったよ。熱も37度まで落ちたし」


「それでも37度あるんだね……。く、薬は飲んだ?病院には?」


「うん、薬も飲んだし、病院にも行ったよ」


「し、診察はなんて?もしかして、インフル、とか……」


「いやいや、大丈夫だよ。風邪を拗らせただけだから」


「そっか、それなら……」


「ふふふふ」


白坂くんは、眼を細めてニコニコしていた。ボクが「どうしたの?」と訊いてみると、彼はこうと答えた。


「ありがとうね、黒影さん」


「え?」


「僕のこと心配してくれて、ありがとうね」


「あ、いや、そ、そんな……」


ボクはなんだか照れ臭くなって、 もじもじしてしまった。


「あ、そ、そうだ、白坂くん。あの、これ、まずノートとプリント……」


ボクは鞄を肩から下ろしてチャックを開け、ノートを一冊取り出した。


「ああ、電話で教えてくれた数学のノートだね」


「うん。な、中に、プリントが挟んであるから」


「分かった、見てみるね」


「それから、こ、これが、えーと、差し入れ……」


今度は、鞄の中に入っていた透明なビニール袋を取り出した。そこに、ボクが買った差し入れが全部入っていた。


「わあ!こんなに買ってきたの?ずいぶんたくさんだねえ」


「し、白坂くん、男の子だし、たくさん食べるかなって……」


「えーと……そう、だねえ……」


白坂くんは、明らかに苦々しい顔をしていた。しまった、そうか。具合が悪い時はさすがに男の子でも食欲は減るよね……。


「め、迷惑だった、かな……?」


「ううん、そんなことないよ。ありがとう、凄く嬉しい」


「そ、そっか……。よかった……」


「お金、いくらしたの?僕、その分返すよ」


「い、いいよそんなの。ボク、いらないから」


「ええ?でも……」


「ま、前に白坂くん、ボクに差し入れしてくれた時……奢ってくれたから。そ、そのお返しってことで……」


「……そっか」


白坂くんは微笑みながら、ビニール袋を受け取った。


「重ね重ね、ありがとう黒影さん。こんなにいろいろして貰えるなんて」


「そ、そんな……。当然だよ、だって……」


「………………」


「と、友だち、だもん……」


ボクはあまりにも恥ずかしくなって、うつむいてしまった。口も上手く回らずに、後半になるにつれて声量が小さくなってしまった。


自分の顔が、真っ赤になっているのが分かる。まるで顔の中にある火が点火されて、それがじりじりと皮膚を焼いているような感覚だった。


「……よかったよ、僕」


「え?」


「黒影さんと友だちになれて、僕、嬉しい」


白坂くんは、さっきよりさらに……優しい眼差しを、ボクに向けてくれた。






ザーーーーー!!


……土砂降りの中、ボクは静かに、自分の家へと向かって歩いていた。


「………………」


ボクの心の奥に、白坂くんの笑顔が焼き付いていた。


ボクの差し入れに、喜んでくれる彼の表情が、声が、心臓に深く刻み込まれていた。


彼の言葉のひとつひとつが柔らかいし、とてもあたたかい。変な言い方だけど、“天使”みたいな人だなって思う。


醜くて汚ならしいボクと、本当に同じ人間なんだろうか?と疑ってしまうほどに、彼の優しさは明るい。




『黒影さんと友だちになれて、僕、嬉しい』




「……天使」


天使みたいな、人。




ザーーーーー!!


激しく降り注ぐ雨音を、ボクはぼんやりと聞きながら帰路を進んだ。




……この時、ボクはまだ自分の気持ちに気がついていなかった。


白坂くんへの想いがどれほどのものか、まだ不鮮明だった。


それが……自分でも分かるほどに、激しいほどに色鮮やかになったのは、それから一週間後のことだった。


その瞬間から、ボクは彼なしでは生きていけないと、本気で思うようになった……。








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