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18.小さな種


……6月28日、土曜日。午後14時頃。


ボクは自分の部屋で、来週実施される期末テストの勉強をしていた。


社会科の問題集を開き、その答えをノートに書き込んでいく。1ページ分解いたら、一度解答を確認して、○付けをしていく。そんなルーティンを繰り返していた。


窓の外はしとしとと小降りの雨が降っていて、窓ガラスに雨が当たる音が小さく聞こえていた。


「……ふう」


10ページ目を終わらせてから、一旦シャーペンを置き、お腹に溜まっていた息を吐いた。


朝の9時から勉強を始めて、もう4時間が経過していた。途中でお昼の休憩を挟んだ時以外は、ずっと勉強三昧の1日になっている。


さすがにちょっと疲れてきたボクは、勉強机から離れ、ベッドに横たわった。そして、息抜きにスマホで漫画を読もうとしていた。


漫画アプリを開き、ブックマークの欄を開く。


(あ……そんな、今日は更新ないんだ)


だけど、その日は残念なことに、ボクが贔屓にしている作品の更新がお休みだった。


いつも土曜日に更新される作品だったので、毎週毎週楽しみにしていたのだけど……。


(はあ、どうしようかな……)


読みたい漫画の更新がなかったから、また勉強を再開しても良いのだけど、一旦寝そべってスイッチをオフにしてしまったボクの身体は、別の漫画を読むことを望んでいた。


(うーん、なんか面白いのないかなあ)


アプリの中にある作品を、スクロールしながら一望する。


そんな中でボクが目に止まったのは、『日向と日陰』という恋愛漫画だった。


どうやらそれは、暗い女の子と明るい男の子の青春ボーイミーツガールものらしかった。


(……へえ)


あまり恋愛漫画を好んで読まなかったボクだけど、ちょっとその作品は気になってしまって、少し読んでみることにした。


あらすじは、とてもシンプルだった。孤独で友だちのいなかった女の子と、明るくて友だちもたくさんいる男の子が恋に落ちるというもの。


ストーリーの展開もありがちなものばかりで、正直そこまで面白くなかったし、あまり肌に合うタイプの漫画じゃなかった。女の子の方に感情移入できるかなって思ったんだけど、孤高の一匹狼タイプになりたいタイプだったから、ある意味でボクとは真逆の人だった。そこもいまいち、漫画に夢中になれない要因になってしまった。


「………………」


ただ、この作品に出てくる男の子が、結構……白坂くんに似てるなと思った。


独りぼっちの女の子をいつも気にかけていて、明るく笑いかけてくれていた。



『気にしないでよ、僕たち友だちじゃないか』



(わあ、優しい……。本当に白坂くんみたい。ボク、この男の子推しキャラかも)


ボクが好きな漫画のタイプには、二種類ある。それは、物語が面白い場合と、特定のキャラが推しになる場合だった。


この作品の場合は後者で、物語はそこまで好きじゃないけど、この男の子の行く末を知りたいという気持ちから、漫画の続きを読み進めていた。


主要人物の男の子と女の子は、すれ違いと衝突を繰り返し、いろいろと紆余曲折ありながらも、無事交際へと発展することができた。


(ああ、よかった。ちゃんと恋人同士になった)


分かりやすいストーリーラインではあるけれど、それゆえに安心して読める。ありがちなものはつまらないといつも思っていたけど、こういう安心感を買えるという点では、ありがちな物語も悪くないかもと思い始めていた。


主人公たち二人がイチャイチャする様を、ボクはほのぼのした気持ちで眺めていた。


「………………」


仲を深めていった二人は、デートの帰り際に、初めてのキスをした。




──その場面を目にした瞬間、何故かボクは、物凄く苦しくなった。




(あれ?な、なんだろう?)


バクバクと、動悸が激しくなる。胸いっぱいに嫌な気持ちが溢れ出して、思わずスマホの電源を切った。


胸の上に手を置くと、内側から溢れる鼓動の力で、手が押し返された。


(い、嫌、嫌だ。なんか、凄く、嫌……)


胸の奥が、ざわざわしていた。まるで無数の虫が身体の中を蠢いているような、そんな気味の悪さがあった。


これはたぶん、推しキャラがキスをしているシーンに耐えられなかったからだと思う。夢女子って訳じゃないんだけど、お気にいりのキャラが別の女の子と……というのが、思いの外辛かった。


あんまりこんな気持ちになることはないんだけど、この漫画は珍しく、そんな気持ちにさせられた。



……ギシ、ギシ、ギシ



部屋の外にある廊下から、足音が聞こえた。


耳を澄まさないといけないほどに、微かで小さな……フローリングの軋む音。それが聞こえた瞬間、ボクはベッドから飛び起きて、直ぐ様勉強机に戻った。


なぜなら、その足音は、間違いなくお母さんだから。



コンコン



部屋の扉が、二回ノックされた。ボクが「は、はい」と言って答えると、扉はギィと音を立てて開かれた。


そこに立っていたのは、やっぱりお母さんだった。


「あら、彩月。勉強していたのね」


「あ、う、うん。そうだよ」


「そう。もう夕飯ができたけど、まだいらないかしら?」


「あ、えーと、そうだね、もう少ししてから行くよ」


「分かったわ。それじゃあね」


「うん、あ、ありがと」


そうして、扉はパタンと閉められた。ボクは強張っていた肩を弛めて、「ふー……」と息を吐いた。


よかった、危なかった。今日のお母さんはそこまで機嫌悪そうじゃなかったけど、もし機嫌悪い時に……ベッドでだらだらしてる場面を見られたら、怒鳴られてたかも知れない。


(そろそろ、勉強を再開しなきゃ)


そうしてボクは、またノートとのにらめっこを始めるのだった。










……週明けの月曜日。この日から、期末テストが始まる。


科目が日によって異なっていて、今日は数学と社会科だった。


「やべー!マジ俺全然べんきょーしてねーわー!」


「俺も俺もー!ずっとゲームやってたー!」


「ねえねえちはちゃん、生類憐みの令ってなんだっけ?」


「ほらあれでしょ?動物大事にしよーみたいなやつ」


クラスメイトたちも、みんなテストの話題で持ちきりだった。勉強していないことを何故だか自慢気に話したり、教科書を持って問題を出しあったりする光景が、あちこちで展開されていた。


「………………」


その日は、白坂くんも熱心に教科書を凝視していた。目を皿のように細めて、「一代目が家康で、三代目が家光……」と、ぶつぶつ唱えていた。


「し、白坂くん、おはよう」


ボクがそう言うと、彼はこちらへ顔をぱっと向けて、「ああ、おはよう黒影さん!」とにこやかに答えてくれた。


「この前はお見舞いに来てくれてありがとうね、お陰ですっかり治ったよ!」


「う、うん。それならよかった」


白坂くんの元気な姿を見て、ボクは嬉しくなった。やっぱり彼が隣に居てくれると、安心する。


「あ、そうだ白坂くん」


ボクはこの時、いつもの流れで白坂くんに雑談を振ろうとした。話題は、昨日読んだ恋愛漫画のこと。


推しキャラがキスしてるのを見て辛くなったという、そんな話。白坂くんもそういうのある?というノリでその話を振ろうとしたのだけど……。




『わあ、優しい……。本当に白坂くんみたい。ボク、この男の子推しキャラかも』




「………………」


ちょっと、待って。


ボク今、凄く恥ずかしいことを考えてない?


だって、白坂くんに似たキャラが推しになって、そのキャラがキスしてたから辛くなったって……。


なんかそれじゃ、まるで、まるで……。


「黒影さん?」


白坂くんから声をかけられて、ボクはハッと我に返った。


「どうしたの?何か用だった?」


「あ、い、いや……」


彼からの問いかけに上手く答えられず、ボクはもごもごと濁すばかりだった。




……今にして思えば、これがきっかけだった。


この時を皮切りに、ボクの中に眠っていた種が芽を出して、やがてつぼみとなり、花を咲かせるようになる。


その最初の種が、ボクの心に植えられた瞬間だった。






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