「……ただいまー」
僕が家に帰りついたのは、夜6時をちょうど向かえたところだった。
玄関で靴を脱ぎながら、家の中に向かってそう言った。
スタスタと歩いていくと、ばあちゃんが台所で晩ご飯の準備をしていた。
「ああ、お帰り風太」
「ただいまばあちゃん。お、今日のご飯は焼鮭だね。楽しみだ」
「まだもう少し時間がかかるから、あんた、部屋でゆっくりしときなさい」
「はーい」
台所の脇を通って、通りすがりにリビングへ目をやる。そこでは、ソファに座ってテレビを見ているじいちゃんがいた。
「ただいま、じいちゃん」
「……ん」
「何見てるの?それ」
「……ん」
ああ、ダメだ。これ以上話しかけるのは止めとこう。
じいちゃんは映画やドラマが大好きで、集中して見る時は全然人の話を聞かない。 何か尋ねても、こんな風に生返事しか返さなくなる。
とりあえず自分の部屋に行くことにした僕は、リビングを通りすぎて、家の奥へと進んでいった。
がちゃり
部屋についた僕は、鍵を開けて扉を開けた。ベッドに鞄を放り投げて、その横に仰向けになって寝転んだ。
「ふーーーー……」
天井を見上げながら、僕はお腹に溜まった息をゆっくりと吐いた。
ああ、やっぱり自分の部屋はいいね。凄くリラックスできる。
「………………」
しばらくそこでぼーっとした後、明日もテストがあったことを思い出し、むくっと身体を起こして勉強机へと向かった。
(明日がテスト最終日か……。ふー、それまではとりあえず頑張るかなあ……)
明日さえ終われば、このテスト勉強地獄からも解放される。その希望を胸に、僕は机に向かっていった。
かりかり、かり
かりかりかり
小一時間ほど集中して勉強していたところ、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「風太、もう晩ご飯ができたから、こっちに来なー」
「あ、うん、ありがとー」
そこで僕は勉強を中断し、部屋を出て食卓へ向かった。
床に座布団を敷き、丸テーブルを僕とばあちゃん、そしてじいちゃんの三人で囲む。
「いただきまーす」
僕は白飯と共に焼鮭を口にかきこんで、空っぽだったお腹を満たしていった。
じいちゃんはテレビで相撲を見ながら、グラスに入った芋焼酎をちびちびと飲んでいた。
『今ドキの女子中学生は、何が欲しい!?街にいる子たちにインタビューしてみましたー!』
さっきまで映画が映っていたはずのテレビは、いつしかバラエティ番組を流し始めた。
『今の子たちってー、どういうものが欲しいと思ってるんですかー?』
インタビューからの質問に、二人の女の子が照れ臭そうに答えていた。
『えーとー、私はケムドットのアクスタです』
『アクスタって、アクリルスタンドのことだよね。ケムドットっていうのはなんなのかな?』
『ケムドットっていう、好きなYuuTuberのアクリルスタンドがあるんで、それが欲しいです』
『おー!なんか、今ドキって感じだね!そっちの子は何が欲しいの?』
『私はー、新しいスマホです。ママが全然買ってくれないんで、毎日文句言ってます』
『はははは!ほのぼのするお話をありがとうー!』
液晶の向こう側から、明るい笑い声が聞こえていた。
じいちゃんはその様子を見ながら、芋焼酎を口に含んで、ぽつりと言った。
「右の嬢ちゃんは、少し“小幸”に似てるな」
「…………………」
そう言われて、僕はまじまじと、テレビに出ている右側の女の子の顔を凝視した。
「……ああ、まあ、確かにね」
ショートヘアで童顔なところかは、じいちゃんの言うとおり、小幸に似ていると思う。
……いや、どっちかって言うと。
『お、おはよう、白坂くん』
「………………」
「小幸も、もう中学生くらいか?」
「え?」
「“今も生きていれば”、小幸はそれくらいか?」
「……そうだね、そうなると思う」
「………………」
じいちゃんは、少しだけ寂しそうに、「時が経つのは早いもんだな」と、そう呟いた。
『続いては、家族の変な癖について、芸人やアイドルが語りまくるー!』
僕の胸に沸く……言い様のない寂しさとは対照的に、テレビに写る世界は、まるで嘘のように華やかで明るかった。
……翌日の、7月2日。
この日も他の日と同じく、午前中のテストが終わったら帰れる時間割りになっていた。
これでテストは終わりなので、もうこの日から通常授業が始まってもいいのだけど、そこは先生たちの計らいで、僕たち生徒が息抜きできるようにしてくれているみたいだった。
「はー!やっとテスト終わったね~!」
僕は両腕をぐーっと伸ばして、強張っていた身体をほぐした。
全教科のテストが終了し、帰りのホームルーム前の時間となった頃。僕たちクラスメイトはみんな解放感に溢れていて、教室はいつも以上に騒がしかった。
「黒影さん、今回のテストどうだった?」
「うーん……どうかな。そこまで自信はないかも」
「そう?ていうか黒影さんって、いつも順位何番くらいなの?」
「えっと最近やっと、5番圏内になれてきた……かな?」
「え!?そ、そうなの!?それって、えーと、内の学年で?それともクラスで?」
「学年で、5番くらい……」
「わー!凄いね!黒影さん、そんな成績よかったんだ!」
「そ、そんなことないよ。まだ“私”……一番に、なれたことないから……」
そう言って彼女は謙遜するけど、いやいや、5番圏内は普通に凄いと思う。ずーっと中間付近をさ迷ってる僕からしたら、雲の上の順位だし。
「それだけ成績いいってことは、普段から勉強してるってこと?」
「うん、まあ……それなりには」
「わあ、凄いや!なら、テストが終わった今日も、勉強するの?」
「いや、今日は……ちょっと休もうかなって」
「あー、まあさすがにそうだよね。連日は大変だろうし」
「うん。それに、今日は出かける用事があって」
「出かける用事?」
「うん」
黒影さんは、「うーんと……」と何やら考え込む素振りを見せた。なんだろう?と思ってしばらく待っていると、彼女は「ねえ白坂くん」と言って尋ねてきた。
「天野嘉孝先生って、知ってる?」
「天野……なにさん?」
「嘉孝先生。“私”の好きなイラストレーターなんだけど……」
「うーんと……ごめん、分かんないや。どんな絵を描く人なの?」
「『ファイナル・ファンタジア』ってゲーム知ってる?それのキャラデザとか、世界観のデザインをした人」
「え!?ファイナル・ファンタジアを!?ほんとに!?」
「う、うん」
「い、いや、ゲームに疎い僕でもさすがに知ってるよ!ドラコンクエストと並んで、世界的に有名なファンタジーゲームじゃない!」
「そうそう。その人の原画展がね、駅前であるの」
「おー!原画が観られるんだ!?凄いね!」
「うん。でね、その展示がどうやら今日までらしくて……。それで私、ちょっと今日行って来ようかなって」
「え!?今日までなんだ!それは確かに、今日のうちに行きたくなるね……」
「う、うん」
僕は腕を組んで、「うーん」と唸りながら天井を見上げた。
ファイナル・ファンタジア……。僕はそのゲームをやったことはないけど、めちゃくちゃ有名なのはさすがに知っている。
そのゲームのイラストの原画が観られるというのは、凄く貴重な機会かも知れない。
「……どうしよっかな。せっかくだし、僕も見てみようかな」
「え?」
「展示が今日までって言われると、ちょっと僕も見たくなってきちゃったよ」
「じゃ、じゃあ……一緒に、行く?」
「うん!ホームルーム終わったら、駅前に向かおうか」
「わ、分かった。なら、そ、そうしようか……」
そうして僕たちは、二人で原画展に向かうことにした。
これが、僕と彼女の、初めてのお出かけだった。
……展示会は、駅前にあるビルの中にあった。
本屋さんの隣にある空きテナントを借りて、展示会が開催されていた。
「おお、ここだね」
入り口前には、人の背丈ほどはある立て看板が置いてあり、そこに『天野嘉孝展 6月10日~7月2日』と書いてあった。
一般客は一人1800円だったけれど、学割のお陰で一人1200円で入ることができた。
「おお……!」
中に入ると、数々の絵が壁に並んでいた。
雪のように白い肌をした悪魔の女、髑髏のデザインがほどこされた剣を持つ勇者、黒々とした体毛が全身に生えている怪物……。
おどろおどろしくも、美麗で妖艷なダークファンタジーの世界が、辺り一面に広がっていた。
「わあ!凄い……!」
隣にいる黒影さんは、まるで子どものように眼をキラキラさせて、絵を一枚一枚、食い入るように見ていた。
「あ、これ、天野先生がタツノ子プロに所属されてた時の、初期のイラストだ……!え!?待って、こっちは幻龍少年ギマイラの挿絵……?凄い、こんなのまで……」
鼻息を荒くして、独り言を呟く彼女の背中を、僕は遠巻きに微笑ましく見つめていた。
(やっぱり、こういう時の背中は……小幸に似てるなあ)
『ねえお兄ちゃん!これ観て!凄いよ!』
「………………」
少し感傷的な気分に浸りながら、僕は黒影さんへ声をかけた。
「凄い世界観だね。黒影さんが好きなのも、よく分かるよ」
「う、うん。ボク、昔からこの天野先生の絵が好きで、小説の挿絵とかがこの人だったら、つい買っちゃうことあるの」
「ははは!そんなに好きなんだね、そっかそっか」
「あ、あのね、この天野先生ってね、絵に特徴があるの。キャラクターの目が三白眼になってて、キリッて鋭いの」
「あ、ほんとだね。みんな怖い目付きしてる」
「でしょ?そ、それとね、髪の毛がゆらゆら~ってなびいてるのも、この天野先生ならではの描き方でね?」
「うんうん」
いつになく饒舌に喋る黒影さんの言葉を、僕は相づちを打ちながら聞いていた。
楽しそうに話す彼女を見るのが、僕には嬉しかった。
小さな子どもが一生懸命に好きなことを話しているような、そんな愛らしさがあった。
「………………」
でも、しばらくしてから、彼女はピタッと話すのを止めた。僕が「どうしたの?」と訊くと、彼女はもじもじしながら言った。
「ご、ごめんなさい、白坂くん。ボク、うるさかった……よね。いろいろ矢継ぎ早に語っちゃって……」
「ええ?そんなことないよ。黒影さんが楽しそうに喋ってるの、僕は嬉しかったよ」
「そ、そう?」
「うん」
黒影さんは少し頬を赤らめて、恥ずかしそうにうつむいてしまった。