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25.凍る胸(西川 凛 視点)



……私、西川 凛は、前からずっと気になる人がいた。


『気になる』というのは、恋愛感情ではなく、心配をする、気にかかるという意味での気になる人だった。


それは、黒影 彩月さんだった。


私は委員長という仕事があるため、みんなからノートを集めたり、連絡先を聞いたり、休んでいる人にはプリントを届けたりと、そういった雑務が多かった。だから、クラスメイト全員と話をしたことがあるし、みんながどんな人間かある程度は分かる。


黒影さんは、本当にいつも独りだった。


いつも教室の隅っこでぽつんとしているし、誰かと喋っているところなんか、一度も見たことがない。


それが、ずーっと気がかりだった。ちらりと彼女の姿が視界に入る度に、私は胸の奥がチクッと痛んでいた。


(私、ちょっと声をかけた方がいいのかな……?)


だけど、もし鬱陶しがられたらどうしようという気持ちが先行してしまい、声をかけられずにいた。


遠巻きに彼女のことを心配する以外に、私は何もできずにいた。


「おはよう、黒影さん」


「お、おはよう、白坂くん」


だけど、白坂くんが黒影さんの隣になってから、彼女の様子が変わっていった。


白坂くんとなら、彼女はよく喋るようになったし、何よりよく笑うようになった。


私にはできなかったことを、白坂くんは成し遂げていた。


(よかった、さすが白坂くん)


彼は誰にでも分け隔てなく優しいし、不思議な包容力のある男の子だった。


男の子特有の我の強さや荒々しさみたいなのは感じられず、いつも風のように緩やかで、穏やかな人だった。


黒影さんが彼にだけ心を開くのも、納得のいく話だった。


それ以来、私はなんとなく、二人のことを遠くから微笑ましく見るようになっていた。


四六時中観察しているわけじゃないけど、ふと彼女たちのことが視界に入ったら、楽しそうにしているのを見て嬉しくなる、といった具合だった。


「今日も暑いね~。本格的に夏になってきた感じだね」


「あ、あ、う、うん。そそ、そう、だ、ね……」


そして最近は、さらに黒影さんの心境に変化があったらしい。白坂くんから話しかけられても、黒影さんの反応が芳しくなくなっていた。


「……黒影さん?どうかしたの?」


「え?」


「何かあった?具合でも悪い?」


「う、ううん!大丈夫!な、な、なんでも、ないよ。えっと、それじゃ、ボク、さ、先に行っておくね」


「あ、ちょっと……!」


黒影さんが白坂くんを避けるようになる姿を見て、最初は少し焦ってしまった。何か二人の間にトラブルがあったのだろうか?と、そう危惧してしまった。


でも、遠巻きに観察して、それが杞憂であると分かった。そして代わりに、ひとつの考察が頭をもたげていた。


(たぶん黒影さんは……白坂くんに恋してる)


喋られなくなったのも、好きすぎるがゆえに恥ずかしくて目を合わせられない……という、そういう繊細な乙女心なんだろう。


だって、白坂くんのことを避けてる割には、いつも彼のことを目で追ってるし、授業中もチラチラと彼の方を見ていた。好きじゃなかったら、あんな反応にはならない。


もちろん、私の勘違いという可能性もあるけど、きっと概ね外さないはず。そう考えていた。


「なんでまた距離を取られちゃったのか、よく分かんなくて……」


白坂くんから「悩みがある」と言われて、特定の人から避けられていると言われた時、すぐに私は黒影さんのことだってピンときた。


本当なら、黒影さんは白坂くんのことが好きなんだよと教えてあげたいところだけど、私にそんな無粋な真似はできない。


私にできるのは、黒影さんが白坂くんのことを嫌ってるわけじゃないと思うよと、そういう程度のアドバイスで留めておくくらいだった。


それが、遠くから見守る者の役割だと思うから。


(二人の仲が、上手く進展するといいな)


そんな期待を胸に、私は彼の話に耳を傾けるのだった。









「……それじゃあ、ありがとう二人とも。二人のお陰で、僕も元気が出たよ」


白坂くんはそう言って、私と千夏に笑いかけた。


三人で歩いていた私たちは、ちょうど丁字路に差し掛かっていた。白坂くんはここを右に、私たちは左へと向かうのだった。


「いいっていいってー!なんかあったら、千夏相談所にお電話してー!」


千夏は右手の親指と小指を立てて、電話をかけるジェスチャーをした。それを見た白坂くんは、「はははは!」と明るく笑っていた。


「じゃあ、また月曜日にね」


白坂くんは自転車に跨がって、右の道を真っ直ぐに進んで行った。


「んじゃーねー!またね優樹ー!」


千夏は去っていく白坂くんの背中に向かって、大きく手を振っていた。


「……よし!じゃあ行こっか凛!」


「うん」


それから私たちは、行きつけのカラオケへと歩いて行った。




『……あなたの面影が~♪いつまでも心の中にあるの~♪』


マイクを片手に熱唱する千夏を、私はオレンジジュースを口にしながら眺めていた。


私たち二人は、たまにこうしてカラオケに来ることがあった。たぶん、小学生くらいからの習慣だと思う。


相変わらず、千夏は歌が上手い。何回も聞いているはずなのに、毎回いつも聞き入ってしまう。


「……よしっ!92点いった!」


歌い終わった後の採点を見て、千夏はガッツポーズをしていた。私はパチパチパチと、彼女に向かって小さな拍手を送った。


「千夏、また歌上手くなった?」


「んー?へへへ、分かるー?」


千夏は目を細めながら、Vサインを私に見せた。


「歌って、どうやったら上手くなれるの?やっぱりボイトレとかするの?」


「ふっふっふー、歌はねー、“ここ”が大事だよ“ここ”!」


千夏はそう言って、自分の胸に手を押し当てた。


「感情が込もってたら、歌も自然とよくなんの!」


「ふーん、そんなもんかな?」


「そーそ!今楽しかったら、楽しい歌が上手くなる!今悲しかったら、悲しい歌が上手くなる!」


「なるほどね。それは確かに、そういうことなのかも」


「ねえねえ、凛はなんか歌わないのー?」


「ん、いいよ。私は聞いてるだけで」


「ほんと?じゃあまたあーしの入れちゃおー♪」


千夏は席に備え付けてあるタブレット端末を手に取って、「何にしようかなー」と呟いていた。


「………………」


私はオレンジジュースを机に置いて、一呼吸ついた。たぶん、“そろそろ”来るかな。


「あのさー、凛」


タブレットに視線を向けたまま、千夏から声をかけられた。私が「なに?」と言って答えると、彼女は続けてこう言った。


「凛って、誰かにコクったことある?」


「……いや、ないよ。私、今までそういう経験ないし」


「うーん、そっかー」


千夏は眉をひそめながら、唇を尖らせた。


実は千夏には、ある癖というか、傾向があった。


それは、私をカラオケに誘う時は、何か悩み相談がある時なのだ。


大勢でカラオケに来る時は、もちろん楽しむことが目的なんだけど、私と一対一の時だけは、そういう場合が多い。


その証拠に、今日はあの白坂くんをカラオケへ誘わなかった。普段の千夏なら「優樹も行こーよ!」と言ってぐいぐい行くところだけど、今回そうはしなかった。それは、私と二人だけになりたかったからだ。


受験のことだったり、友だちのことだったり、家族のことだったり……。今までも何度か、そうした内容を千夏から相談されていた。


(今度は、恋の話か)


私は千夏の方を見つめながら、こう問いかけてみた。


「千夏は、誰かに告白したいの?」


「ん?んー……分かんない」


「えー?分かんないってどういうこと?好きな人がいて告白したいから、そういう話が出るんじゃないの?」


「もー!止めてよ凛!恥ずかしーじゃん!」


千夏はタブレットを机に置いて、私をジト目で睨んだ。


「好きってゆーか、まあ、ちょっと気になるなー……みたいな?」


「へえ、あの千夏がねえ」


私が言うのもなんだが、千夏は本当によくモテる。彼女は明るくて元気で、誰からも好かれる性格をしている。私が知る限りでも、千夏が告白されたことは星の数ほどある。


だけど、それゆえに嫉妬を受けることも多かった。彼女があまりにもモテるせいで、今まで友だちだった女の子と決裂した……なんてこともたまにあった。そのことについて相談を受けたことは、私も何度か覚えがある。


そんな千夏に好きな人がいるというのは、幼馴染みとしてもなかなか聞かない、珍しい話だった。


「あーしさー、コクられるのはよくあるけど、コクるのはよく分かんないから、どーしよっかなーって」


「何を怖じけずいてるの。告白しなきゃ、相手に気持ちは伝わらないよ?」


「いや、まー、それは分かってんだけどさー!」


「千夏ってば、いつもはイケイケどんどんな癖に、肝心なとこだと怖がりだよね」


「わー!聞きたくなーい!止めてー!止めてー!」


千夏は両手で耳を塞ぎ、「凛のバカー!」と叫んでいた。


「それで?誰なの?」


「え?」


「千夏が気になってる人。誰なの?一体」


「え?え?い、言うの?」


「そりゃ、さすがの私も気になるよ。千夏の好きな人」


「む、むむむ……」


「もちろん、無理にとは言わないけどね」


「う~~~!」


千夏は眼をぎゅーっと閉じて、耳まで赤く染めていた。その様子を見ると、改めて千夏も恋をしているんだなあと理解できて、微笑ましかった。


「ねえ千夏、あんたも誰かに話したくて、私にこの話振ったんでしょ?」


「うっ!バ、バレてる……」


「ほら、言っちゃいなよ。相手が誰かによっては、告白の仕方も変わるんだからさ」


「ま、まだコクると決まったわけじゃないんだけど!」


「はいはい、分かったから。で、誰なの?バスケ部の安達くん?それとも、サッカー部の水瀬先輩?千夏って仲いい男子多いから、あんまり検討つかないけど」


「………………」


彼女は両手の人さし指をつんつんと突き合わせながら、ぽつりと言った。


「……うき」


「え?」


「ゆ、優樹。し、白坂 優樹」


「……!」


「さ、最近ちょっと、き、気になっちゃって」


「……白坂、くんが?え?ほ、ほんとに?」


「う、うん」


千夏は恥ずかしそうにはにかみながら、こくりと頷いた。



……♪……♪♪



カラオケの機器から、次の音楽が流れ出した。


「お!やったやった!うーたお!」


千夏はマイクをオンにして、その歌を歌い始めた。



『私の愛が、どうかあなたに届きますように~♪』



彼女が歌っているのは、恋の歌。


新しく生まれた恋が、叶うことを夢見る歌。


いつになく彼女は熱心に、そして感情を込めて歌っていた。


いつにも増して、彼女の歌は上手かった。


「………………」


胸の中が凍るように冷たくなって、どうしようもなかった。


千夏の歌声が、何百メートルも離れた先から聞いているかのように、とても遠くに感じられた。



『お、おはよう、白坂くん』



黒影さんの顔が、脳裏に浮かんでいた。


ぎこちなくも穏やかな笑顔が……私の胸を締め付けていた。









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