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29.正反対な女の子たち



「100円玉を5枚?」


白坂くんはきょとんとしながら、ボクへそう返した。


お昼休みの、お弁当を食べる時間。ボクは今朝あったことを白坂くんへ話していた。


そして、その通りすがりのギャルの人へお金を返すために、新500円玉を100円玉5枚に交換できないか、相談していたのだ。


「う、うん。あの、ほんとに、よかったらで、いいんだけど……」


「えーとね、ちょっと待ってて」


白坂くんは自分の鞄の中に手を入れて、財布を取り出し、小銭入れの中を凝視していた。


「100円玉は、ひい、ふう、みい……。おっ、ちょうど5枚あった!」


彼はにっこりと微笑んで、ボクの机の上に100円玉5枚を置いてくれた。


「はい、どうぞ黒影さん」


「あ、う、うん。ありがとう」


ボクは彼にぺこりと頭を下げて、お返しに500円玉を彼の机の上に置いた。


正直に言うと、このやり取りは、本来必要のないものだった。


ボクはいつも、お昼休みは学校の購買でパンを買っている。そこでお金を崩せば、100円玉は簡単に手に入る。


わざわざ白坂くんに両替を頼んだのは、彼へ……話しかける機会を作りたかったから。


(きょ、今日……体臭とか、大丈夫かな?汗臭いって思われたら、どうしよう……)


ボクはそんな不安を胸に抱えながら、彼から貰った100円玉5枚の内4枚を財布に仕舞い、残りの1枚をスカートのポケットに入れた。


そして、さらに財布から10円玉4枚を取って、これもスカートのポケットに入れた。この合計140円が、今朝のあの人へと返すお金になるのだった。


……なんだか不思議と、白坂くんから貰った100円玉は、あたたかい気がする。他のものと同じはずなのに、彼から貰ったものというだけで、凄く特別に感じる。


彼が触れていたものをボクが貰えるという事実に、心が舞い上がるほど嬉しかった。


「それにしても、よかったね。通りすがりに優しい人が来てくれて」


「え?あ、う、うん」


「なんて人だったの?助けてくれた人」


「そ、それが……名前を、聞きそびれちゃって……」


「あー、そうだったんだ。まあでも、同じ学校の人なんだよね?それなら、またきっと会えるよね」


「う、うん。たぶん……」


そうだ、確かあの人は2年1組だって言ってたっけ。じゃあ、そのクラスに行けばきっと……。


「………………」


この時、ボクはとあることに気がついてしまった。ボクのような陰キャでは、この小銭を返すことすら、難関な試練がいくつもあることに……。


(違う教室に入って、名前も知らない人のことを呼ばなきゃいけない……ってこと?)


そう、まず違う教室を訪ねに行くというのが、相当な重荷だった。


話しかけられるのすら苦手なのに、こっちから“話しかけなきゃいけない”なんて、もっと苦手に決まってる。


しかも今回は、訪ねたい相手の名前が分からない。「すみません、ボクにお金を貸してくれたギャルっぽい人いますか?」と、そんな風に聞くしかない。それがもし、万が一相手の機嫌を損ねるような言い方になってしまったら……。


「………………」


スカートのポケットの中にある140円を、ぎゅっと握り締める。


……そして、さらにもうひとつだけ、ボクには試練があった。


これはもう、ボクのワガママでしかないし、完全にボクがバカだっただけなんだけど……。


(……あげたく、ない)


白坂くんから貰ったこの100円を、他の女の子にあげたくない。


たとえ間接的だったとしても、手渡したくない。


白坂くんからものを貰えたことが想像以上に嬉しくて、ふつふつと胸の内に独占欲が湧き出てきてしまった。


なんてボクはバカなんだろう。こんなことなら、最初から購買で両替しておけばよかった。


せっかく白坂くんから貰ったのに、結局それを出し渋るんだったら、なんの意味もないじゃないか。


(ううう、ボク、何してるんだろう……)


あまりにも頭の悪い状況に、ボクは声を出さずにため息をついた。








……ガヤガヤガヤガヤ


放課後の下駄箱前。ボクはその端っこの方で、じっと佇んでいた。


結局あの後、ボクは新千円札を購買で両替して貰って、白坂くんから貰った100円とは別のものを用意した。


そして、お昼休み中に2年1組へ訪ねる予定だったけど、それも勇気が出ず、こうして放課後になってしまった。


「いや!マジでお前あの漫画読めって!くっそおもれーから!」


「えー?でもなんか話ムズくねー?」


目眩がするほどの人混みの中を、ボクはじーっと凝視していた。今朝のギャルっぽいあの人がいないか、観察していたのだった。


正直に白状すると、お金を返さなくていいんじゃないか?……と思ってしまう気持ちもあった。


だって、本人はそこまで気にしてなさそうだったし、ボクも……知らない人に話しかける勇気を振るわずに済む。


だから、逃げてしまいたかった。何もなかったことにしたかった。


(……でもさすがに、お金は大事、だよね)


返さなくて恨まれることのようが、よっぽど怖い。だからちゃんと返さなきゃと考え直して、ボクは今ここにいる。


情けない話だった。たかがお金を返すだけなのに、何をびくびくしているんだろう。


当たり前のことすら足踏みしてしまう自分に、ボクはとことん嫌気がさしていた。


「あれ?黒影さん?」


その時、白坂くんがボクのことを見つけてくれた。


下駄箱の方へ向けていた足を変えて、こっちの方に来てくれた。


「どうしたの?こんなところで。誰かを待ってるの?」


「あ、う、うん。そうなの。ほら、今朝話した……あの、お金貸してくれた人を、探してて……」


「あれ?それってお昼休みに教室に行ったんじゃなかったっけ?」


「え、えっと、お昼休みは、その人、いなくて……。だから、また改めてここでって思って……」


「あー、なるほどね。そっかそっか」


ボクはまた、小さい嘘をついてしまった。教室に行く勇気なんて、なかった癖に。さも行ってきたかのようなことを言って……。



……ガヤガヤガヤガヤ



ああ、それにしても人が多い。こんな中で、今朝の人を見つけられるだろうか?


いや、そもそもボクは、ちゃんを声をかけられるだろうか?もう、不安なことしか頭にない。


「………………」


白坂くんはなぜか、じっとボクのことを見つめていた。なんでだろう?と思いつつも、なんだかそのことを聞けずにいた。


気がつくと彼は、すっとボクの右隣に立った。そして「人多いね~」と言いながら、眼を皿のように細めていた。


(な、なんで?帰らないのかな……?)


さっきまで明らかに帰る様子だったのに、どうしてボクの隣に……。


「ねえねえ、黒影さん」


「う、うん。なに?」


「今朝のその人って、どんな人だったの?」


「どんな人って……えーと、か、髪が金髪で、こう、ギャル……ぽい、感じの人」


「金髪か~。ありがと、僕もちょっと探してみるよ」


「え……?な、なんで?」


「うん?うーん、なんて言うか……」


白坂くんは少し苦笑しながら、ぽつりとこう言った。


「黒影さん、ちょっと緊張してた感じだったからさ」


「………………」


「まあ、お手伝い?的なものができたらなと、そう思って」


「………………」


……そっか。


白坂くんは、心配してくれてたんだ。


彼は、ボクが口下手で、友だちも全然いないことを知っている。だから人に声をかけるのも、苦手だってことを分かってくれてて……。


(……嬉しい)


ああ、白坂くん。やっぱりあなたは優しい。


こんな情けないボクのことも、助けてくれる。そばにいて安心させてくれる。


好き。


好き。


ずっと一緒にいたいくらい、好き……。


「………………」


ボクは白坂くんが違うところを見ている内に、一歩分だけ、彼のそばに近寄った。



……ガヤガヤ、ガヤガヤ



人混みは次第に少なくなっていった。帰りのホームルームが終わってから、もう20分近くは経つ。もうそろそろ来てもいい頃だと思うんだけど、未だに彼女は現れなかった。


「……いないねえ」


白坂くんの呟きに、ボクは「うん」と答えた。


「あ、そうだ、もしかすると……」


「なに?白坂くん」


「その人、今日は部活かも知れないね」


「あ、そっか、部活……」


「もしそうだとしたら、まだここへは来ないかもね」


「……うっかりしてた。ボク、自分がどこの部活にも入ってないから、そのことをすっかり失念してた……」


「どうする?今日は諦める?」


「うーん……そうだね」


諦めようかな、と、そう口にしようとした時。


「そんじゃーねー!ばいばーい!」


下駄箱に、今朝の人がやって来た。


彼女は他の友だちに向かって、手を振っていた。


「あの人だ。今朝、会った人」


ボクが彼女に指をさすと、白坂くんは「あっ!」と言って目を見開いていた。


「そっかー!なるほどね、金森さんだったんだ」


「金森さん?」


「そうそう、僕の友だちなんだよ。おーい!金森さーん!」


白坂くんは……その女の子の名前を呼んだ。すると相手の方もこちらに気がついて、顔を向けてきた。


「あれっ?優樹じゃーん!」


彼女はぱあっ!とあまりにも明るい笑顔を浮かべて、こっちの方に小走りでやって来た。


「なになに?どーしたの優樹?あーしになんか用事だったー?」


「いや、僕じゃなくて、横の黒影さんがね」


「んー?」


彼女……金森さんは白坂くんにそう言われて、ボクの方へ目を向けた。


「あー!さっぽんじゃん!おっすおっすー!」


「あ、ああ、どうも……」


金森さんの陽キャオーラに気圧されて、ボクは少し仰け反った。


「あ、あの、今日の朝は……ごめんなさい」


「え?なんかさっぽん、悪いことしたっけ?」


「いや、あの、お金……借りたから」


「あー!そーゆーことね!全然気にしなくていいのにー!」


「えっと、これ、借りたお金……です」


ボクは頭を下げながら、ポケットの中にある140円を金森さんへ手渡した。


「ありがとー!さっぽん優しーね!マジでいつでもよかったのにー!」


「い、いえ……そういうわけには」


「でも、なんでここで優樹と待ってたのー?クラスに来てくれたら、あーしいたのにー!」


「黒影さんは、金森さんの名前を聞きそびれたみたいなんだよ。それで、ここで待ってたんだ」


「あーね!じゃああーし、さっぽんの名前だけ聞いて自分のは言ってなかったんだ!きゃははは!バカすぎー!」


金森さんの笑い声が、廊下に反響していた。


「ごめんねーさっぽん!あーしね、金森 千夏っていうの!よろしくねー!」


「は、はい。分かりました、金森さん」


「あっ!やば!電車間に合わないかも!そんじゃ、またねーさっぽん!優樹!お金ありがとねー!」


そうして彼女は、ぴゅー!と、風にでも乗っているかのように、素早くその場から立ち去った。


「金森さん、今日も元気だなあ」


白坂くんはそう言って、微笑えんでいた。


「………………」


ボクは。


ボクは、なんて言えばいいのか、分からなかった。


いや、正確に表現するなら、何も言いたくなかった。


白坂くんが他の女の子のことを、微笑ましく見ていることが、堪らなく悔しかった。


ボクなんかが悔しがる立場にないんだけど……それでも、この感情を押さえきれなかった。


いつの間にか、スカートの裾をぎゅーっと握り締めていた。


金森さん……。どこかで見たことがあると思ってたけど、そうだ、いつの日か白坂くんと金森さんが楽しげに話しているところを……見たことがあったんだっけ。


今にして思えば、その時からボクは、白坂くんのことが好きだったんだ。自覚はしてなかったけど、二人が楽しそうにしているが悲しかったことは感じていた。


「………………」


これが……ボクと白坂くん、そして金森さんの三人が、初めて一同に会した瞬間だった。






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