「クロナちゃんはカッコいいね」
「あ、ありがとう……」
言われ慣れている”カッコいい”という単語に対して曖昧な返事をした。
普通なら嬉しくて心がぽかぽかになるに違いない。
だけど、女であるアタシには、あまり嬉しくない言葉だった。
アタシの人生で1番多くもらった評価は、”カッコいい”、”イケメンだね”ばかり。
アタシだって女の子だ。”可愛い”とか”キレイ”とか、女の子が1番欲しい言葉を、アタシも欲しかった。
「クロナ、可愛いわね」
「ありがとう、かあさん」
「クロナは母さん似だから美人さんになるぞ」
「あなた、女の子はお父さん似の方が美人になるのよ」
母さんも父さんも、昔はアタシを”女の子”として扱ってくれていた。
でも、それもいつの間にか終わっていた。
アタシが成長するつれて、”可愛い”という言葉をだんだん聞かなくなった。代わりに「カッコいいね」ばかりが増えていた。
「クロナ、最近若い頃の父さんを子どもにしたみたい!」
母さんが笑って言っていたそのとき、アタシは……笑えなかった。
幼稚園に上がる頃には、アタシの顔から”可愛さ”が消えていた。
つぶらだった目は切れ長に変わり、口数が少ないせいで周りから「男の子みたい」と言われることが増えていった。
声も周りの女の子よりちょっと低かったから、女の子言葉を使うと「オカマだ!」って言われた。
口調も男っぽくなってしまい、ますます女の子から遠くなってしまった。
母さんは可愛い顔をしていた。
小さくて、柔らかくて、まるでお姫様みたい。
アタシが思う”女の子らしさ”の象徴だった。そんな母さんを選んだ父さんのセンスは正しかったと思う。
だけど、アタシは父さん似になった。
切れ長の目、整った鼻筋、整いすぎた輪郭。
まるで、美形のイケメン俳優のような顔立ち。
父さんと一緒に買い物に行くと、よくキレイなお姉さんから声をかけられていた。
「すみません、よかったらお茶でも……」
それを見つけた母さんが慌てて駆け寄って父さんの腕にしがみついた。
「主人に何かご用ですか?」
「おい、母さん……」
「だって、あなたを取られたくなくて……」
ラブラブなやり取りに、アタシは「はいはい、お熱いですね」と冷めた視線を送るのが精一杯だった。
でも、本当は……羨ましかった。
そんな両親の間に生まれたアタシは、母さんの”可愛い”を受け継げなかった。
そして、母さんまでがこう言い始めた。
「クロナ、父さんみたいでカッコいいね」と母さんが褒めてくれた。
母さん、それって褒めているの?
本当は母さんみたいになりたかったなんて言いたいけど、それを言ったら困らせてしまう。
だから、アタシは子どもながらに空気を読んだ。
「……ありがとう」
ごめんね、母さん。ウソだよ。
これが初めて母さんについたウソだったと思う。
あのとき、胸の奥に小さな違和感が芽生えていた。
誰にも”女の子”として見てもらえなかったら、どうしよう。
そんな不安が、心の隅っこで静かにささやいていた。
でも、大丈夫。アタシは女の子。
誰がなんと言おうと、その事実は変わらないはずだった。
***
「くろなくん、すき」
アタシは人生で初めて告白された。
しかも女の子に。同じクラスの幼稚園の女の子にお庭の裏に呼び出されて。
その子は真っ赤な顔でプルプルと震えていた。
アタシはすぐに分かった。
この子は、アタシを男の子だと思っている。
”またか”と心の中でタメ息をもらす。
男の子に間違えられるのは慣れている。
アタシが父さんゆずりの切れ長の目と、ちょっと低い声のせいで男の子と勘違いさせちゃったんだよね。
この幼稚園に来てから、クラスの女の子から”くろなちゃん”と呼ばれない。
みんな、”くろなくん”と呼ぶ。最初は「アタシ、女の子だよ」と訂正していたけど、何回も間違われてから説明するのが面倒くさくなった。
それからアタシは、みんなからの”くろなくん”を受け入れた。
あだ名だと思うことにしようと、自分に言い聞かせた。
でも、今回はごまかせなかった。
この子は、本気でアタシに想いを伝えてくれたから。
顔を真っ赤にして、勇気を振り絞って……アタシに、ちゃんと”好き”って言ってくれた。
初めて好意を寄せたのが同じ女の子だと、この子が傷つくかもしれない。
だから、ちゃんと応えないと。
「ごめん、ほかに、すきなこがいるんだ……」と答えた。
アタシがそう言うと、その子は唇を噛んで泣きながら走っていった。
「ごめんね……」
ウソでしか応えられなくて。
アタシは、キミの勇気に対して出来る精一杯なんだ。
アタシはその背中に向かって、ポツリとつぶやいた。
「アタシ、女の子なんだよ」って言えば、あの子がもっと傷つく……そう思っていた。
違う。本当は、アタシが傷つきたくなかっただけだ。
”女の子として見られていない”という事実から目を逸らしたかっただけ。
アタシだって、好きでこんな顔になったわけじゃないのに。
それからアタシは女の子としての楽しみを奪われる日々が始まった。
当時大人気の魔法少女アニメ『魔法少女ウィッチ×クローバー』に憧れたアタシは、母さんにお願いして衣装を作ってもらった。
ピンクのリボンにフリルがたくさんついた可愛い衣装。
女の子の大好きが詰まった衣装を着て、みんなに”可愛いアタシ”を見せたい。
勇気を出して母さんが作ってくれた衣装を着て近所の公園に行った。
公園に入ると、「男の子がピンクのフリフリを着ているぞ!」、「男なのに変なの」とバカにする声が公園中に響く。
アタシは悲しくて、辛くて逃げるように公園を出た。
それから母さんが作ってくれた『ウィッチ×クローバー』の衣装を着ることはなくなった。
それでも『ウィッチ×クローバー』ごっこをしたいアタシは家の中で、こそこそやることにした。
でも、幼稚園でみんなが楽しそうに『ウィッチ×クローバー』ごっこをしているのを見て我慢できずに……。
「いれて……」とアタシは声をかけた。
「いいよ!」
やった! やっと誰かと『ウィッチ×クローバー』ごっこができる!
どの役でもできるように練習しているんだけど、やっぱり主役のピンク×クローバーをやりたい。
「なにがやりたい?」
「ぴ……ピンク……」
「くろなくん、かっこいいからブラック×クローバーがいいよ!」
「え?」
ブラック×クローバー?
ウィッチ×クローバーのメンバーだけど、男っぽくてクールな女の子がやっている役だ。
いつものアタシと一緒だ。アタシは、可愛いピンク×クローバーがやりたい。
「いや、ピンク……」
「そうだよ! ブラック×クローバーやって!」
周りの子もアタシがブラック×クローバーをやることに賛成の雰囲気が漂っている。
もう、アタシがやるしかない空気ができあがっている。
「う、うん……」
アタシは、やるしかないと諦めてブラック×クローバーの役になった。 ごっこ遊びにでもアタシは女の子になれないんだ。
アタシは、『ウィッチ×クローバー』ごっこを心の底から楽しめないまま、遠い未来への不安が膨らんでいた。
***
アタシは『ウィッチ×クローバー』を切っ掛けにアニメが好きになった。
アニメは優しかった。
どんな姿であっても、どんな性別でも、アニメの世界ではみんなが平等だった。
男が魔法少女に憧れても、誰もバカにしない。女の子が戦うロボットに夢中でも、白い目で見られない。
アニメの世界では”好き”をまっすぐに言える。
誰の目を気にしなくていい。
アニメは日本だけではなく、世界中で愛されている。
ネット掲示板やSNSで、世界中の人が顔や名前を出さずに、同じ好きな作品について語り合える。
アタシが誰の目をきにしないでいられる場所である。
アタシはアニメに救われた。
”女の子らしさ”を否定されてきた日々の中で、アニメだけはアタシの味方だった。
だから、気づいたときにはアニメに関わる仕事をしたいと思っていた。
特に引かれたのが”声優”だった。
キャラクターに命を吹き込み、その声だけでキャラクターの感情や気持ちを伝える仕事。
舞台に立たなくても、人前に出なくても、声で世界を変えることができる。
”見た目が男の子みたい”と言われ続けてきたアタシでも、声なら……女の子として生きられるかもしれない。
可愛くて、キラキラしてて、誰かの心を明るく照らす。
ウィッチ×クローバーのピンク×クローバーみたいな存在に。
「アタシ、絶対に声優になる!」
アタシの夢が芽を出した瞬間だった。