冬休み明けても、ハイトは学校に戻ってこなかった。
一週間、二週間。欠席の連絡さえない。教室の中で、ぽつんと空いた席だけがぽっかりと取り残された。
最初はざわついていたクラスメイトも、やがてその沈黙に慣れていった。気づけば、ハイトは黒板や机と同じ、ただの”風景”になっていた。
そしてある日、担任が黒板の前でぽつりと口にした。
「ハイトくん、転校したそうだ」
え……?
その一言だけで、すべて終わった。なぜ転校したのか、どこに行ったのか、何も語られなかった。
誰も動揺しなかった。女の子たちは話題のアイドルに話を切り替え、男子たちはグラビアの話で笑っていた。
まるで、最初からハイトなんていなかったみたいに。
だけど、アタシの世界には確かにいた。笑って、話して、キスをして……ちゃんと、いたんだ。
ハイト、今どこにいるんだ?
アタシは必死に電話をかけた。何通もメールも送った。
だけど、すべて無視された。
数日後に電話番号も変わっていた。
ハイトと繋がるすべての手段が断たれていた。
「ハイト……」
気づけばアタシは、学校の体育館裏にいた。
あの日、ハイトと初めて話した場所。タバコを吸っていたアイツに声をかけて、キスをした場所。
制服のポケットから、小さな箱を取り出す。
”BLACK×LUCKY”。
アイツに渡すつもりだったクリスマスプレゼント。リボンまでかけて、大切に隠していたのに。
「もう、アイツに渡せないんだな……」
アタシは箱を開けると、震える指でタバコを1本つまんだ。
ハイトに渡すはずだったジッポライターで火を点ける。
初めてのタバコ。肺の奥が焼けるように熱くて、すぐにむせた。
「まず……」
ゴホゴホと咳き込んでも、アタシは吸うのをやめなかった。懐かしい匂い。ハイトの隣にいたとき、感じていた香り。
あの時のキスの味と、同じだった。苦くて、甘くて、少しだけ寂しい味。
煙に包まれながら、アタシは呟いた。
「……繋がれた」
それ以来、”ブラッキー”はアタシの一部になった。
***
季節は巡り、アタシは3年生になっていた。
だけど、ハイトのことは頭から離れなかった。
誰と話しても、笑っても、結局はハイトの姿が浮かんでしまう。気づけば、吸うタバコの本数が増えていた。朝起きて、通学中に、昼休みに、家に帰って、夜に。1日に何本も、火を点けていた。
これって、もう片思いなんかじゃない。
呪いだ。
ハイトがアタシにかけた呪い。アタシが自分にかけた呪い。
この呪いを解かないと、アタシは前に進めない。
だったら、ハイトを殺せばいいんだ。
心の中の王子様を。
でも、どうやって?
どうすれば、アイツを殺せる?
「……アタシを殺せばいいんだ」
ハイトのために大切にしてきた”はじめて”を誰かにあげてしまえばいい。そうすれば、呪いも終わる。アタシも自由になれる。
放課後、アタシは教室を覗いた。
そこにいたのは、隣のクラスのオタクっぽい男子。
黒縁メガネに、ヨレた制服、美少女キャラのアクリルキーホルダーがぶら下がったカバン。名前も知らないし、全然タイプじゃない。
でも……コイツでいいや。
「ねぇ、アタシと付き合って」
彼は驚いた顔でアタシを見返す。
「はぁ? 僕は三次元の女子には興味ないんだ……」
あぁ、面倒い。
「ヤるだけでいい……そういう意味だから」
アタシのこんなセリフが出るなんて。
彼は一瞬固まったあと、目の色を変えた。
「……本当に?」
「あぁ」
そして、彼はアタシを自宅へ連れて行った。
***
彼の部屋は”それっぽい”空間だった。
壁一面に貼られたアニメポスター。棚には美少女フィギュア。
ベッドの上に美少女キャラがプリントされた抱き枕。
引くな……。アタシもアニメは好きだけど、ここまで美少女キャラに囲まれた部屋は気持ち悪いと感じる。
まぁ、ヤることをヤるだけの部屋なんだから、どうでもいいか。
怖い……でも、もう後戻りはできない。
彼は何のムードもなく、アタシにキスしてきた。
無理矢理だった。勢いに任せて、服を脱がされていく。
目を閉じると、ハイトの顔が浮かんだ。
”本当に、これでいいの?”
心の中で、もう1人のアタシが問いかける。
何度も、何度も。
でも、もう止まらなかった。
ハイトを殺す。その一心で、アタシは彼を受け入れた。
だけど。
終わったあと、アタシは彼の家を飛び出した。
家に帰って、自分のベッドに潜り込んで、泣いた。
声を殺して、ずっと泣いた。
処女を失った痛みなんかよりも、ハイト以外の男に何も感じられなかったことが、惨めで仕方なかった。
***
そのあと、何人の男と関係を持った。
でも、どれだけ抱かれても、ハイトは死ななかった。
どれだけ上書きしても、アタシの王子様は、そこにいた。
気がつけば、タバコの量がさらに増えていた。
煙に吸うたび、ハイトが側にいる気がして。
アタシは、まだ呪われたままだ。