私もやがて高校へと進学し卒業すると、大学へと入学。
大学生活は新しい生活、新しい友人、新しい時間割――。
日常の全てが変わっていく中で、道場に通う頻度は自然と減っていきました。
それでも、週末や長期休みを利用して合間を縫うように稽古に参加していました。
変わらず稽古に励む同い年の道場生や、少し大人びた顔になった年下の後輩達に混じり、汗を流すひとときは、忙しない学生生活の中でも特別な時間でした。
そこには同じようで、確かに変わっていった空気がありました。
汗のにおいも、掛け声も、見上げる天井の色さえ、微妙に違って見える。
それでも――剣を構えれば、身体は確かにあの頃の動きを思い出してくれました。
やがて大学を終え、社会人となると、生活のリズムはさらに激しくなりました。
仕事に追われ、休日も自由に使えず、稽古に顔を出せるのはほんの時折。
仕事と生活の両立に追われるうち、自分の中で何かがすり減っていくような感覚がありました。
忙しさの中で、いつしか剣を握る意味さえ見失いそうになったのです。
暫く顔を見せないまま、いつの間にか足が遠のき――。
気づけば稽古から離れてしまい――。
それは雪が降るように、音もなく私の心を覆っていきました。
剣を握らない日々が続くうちに、かつての情熱も、少しずつ輪郭を失っていったのです。
――私のスポーツチャンバラ人生は『冬の時代』へと突入していたのです。
その間にも道場では様々な出来事が起きました。
長く続けていた道場生が引退したり、共に汗をかいた大人達が去ったり、時には方針の違いや意見の衝突から一時的に空気が重くなることもありました。
スポーツ性が強くなり武道性のなくなったスポーツチャンバラへの嫌悪感――。
衰えていく自分の身体と、古くなっていく技術――。
一緒にやっていた仲間がいなくなっていく孤独感――。
自分自身も、スポーツチャンバラをやることと、道場に戻るのが怖くなった時期さえありました。
けれども、どこかでふと、「またやってみようかな」と思う瞬間が訪れます。何がきっかけだったのか、はっきりとは覚えていません。
ただ――気づけば道場の扉を再び開けていました。
道場の前に立ったとき、懐かしい匂いが風に乗って鼻をくすぐり、胸がきゅっと締めつけられました。
そこには忘れたはずの鼓動が、静かに高鳴るのを感じてしまったのです。
辞めたり、戻ったりを繰り返しながらも、私は今もこの常栄青塚クラブにいます。
そうです。
何だかんだと言いつつも、私は常栄青塚クラブを、スポーツチャンバラに情熱を燃やし、愛していたからでしょう。
かつてのように毎回の稽古には出られなくても、剣を握ればあの頃の感覚が蘇ってくる。
打ち、受け、構え、動く――繰り返しの稽古の中に、自分を取り戻す手応えがずっと残っています。
今では道場の空気もまた少しずつ変わり、若い世代の声が響き、新しい顔ぶれが技を磨いています。
私も、少しばかり年長者としてアドバイスを求められるようになりました。
常栄青塚クラブという道場は、人生の節々で私が立ち戻る場所です。辞めたと思っていた時期も、戻ってくるたびに「おかえり」と迎えてくれるこの場所が今も変わらずここにある。
道場の名前も、場所も、雰囲気も、そして自分自身も変わっていきます。
それでも私は、スポーツチャンバラの剣士であり続けたいと思っています。
そう、あの日と同じように――。
剣を交えるたび、過去の自分と対話しているような不思議な感覚に包まれます。
それはまるで、時間を超えて、あの日の自分が今の私を励ましてくれるかのようでした。
「お互いに礼ッ!」
過去も未来も、全てははこの一礼に込められているのかもしれません。
人生という道はこれからも続きます。
どれほどの思いを、この剣に込めてきたでしょう。
言葉では語りきれない時間をスポーツチャンバラと共に過ごしてきました。
ありがとう、スポーツチャンバラ。
ありがとう、剣を通じて出会えた全ての人へ。
「始めッ!」
道場は、今もそこにあります。
そして、私は今日もまた剣を手に取る。
この果てなき『戯空流剣談』の続きを紡ぐために――。
(了)