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第2話

 朝起きると既に瑛くんはいなかった。


「えー早くない??」


 時刻はまだ5時半。おれも早起きな方だとは思うけれど、瑛くんはもっと早起きみたいだ。食堂は朝6時から空いていた。朝練がある人もいるから早く空いているみたい。しっかりと朝食を済ませておれは、ジャージに着替えた。


「よーし、ランニング行くか~」


 おれは、実家にいた頃から毎朝5時半に起きて音楽を聞きながらランニングをしていた。高校は、すぐ傍なので始業時間合わせで行動するならば8時頃まで寝られる。だけど、おれは実家にいた時と変わらない行動をとった。ランニングをするのには理由がある。ピアノをやっているとどうしても、座っている時間の方が長くなってしまって運動不足になりがちだからだ。

 ピアノだって弾くのに体力はいるし、絶対に運動はしておいた方が良い。

もしかして、瑛くんもランニングかな? とちょっとだけ期待してしまった。


「どこ走ろうかな~」


 実家よりも断然走り甲斐のありそうな場所だから、昨日からワクワクしていた。昼間も人は少なかったが朝はもっと人がいない。犬の散歩をしている人か同じようにランニングをしている人くらい。大体お年寄りで、若者なんておれくらいかもしれない。何だか特別な気分になれてテンションが上がった。


 この湖には大きなダムがあるらしいのでそこを目指してみることにした。ダムまでの道のりには大きな橋がいくつかあって橋の上を走るのはとても気持ちが良かった。


「おお! ダム、迫力すご~~」


 間近でダムを見たのは小学生の時に遠足でどっかのダムに行った時以来かもしれない。朝から良い物が見られた、と思いながら時間を確認すると7時になっていたので寮へと戻ることにした。朝のランニング時間は1時間。それを毎日やっていれば自然と体力はついてくる。瑛くんも同じかなぁ、なんて思ったけれど道中に瑛くんと出会うことはなかった。


「ま、違うだろうな。運動嫌いそうだもんね~」


 どう見ても瑛くんは、ピアノ一筋! という雰囲気の人だ。運動不足とかそんなことは気にしないのだろう。本人がそれで良いなら良いのだけれど、一緒に走れたら楽しそうだなーと思ってしまった。


 シャワーを浴びて、真新しい制服に着替えた。新しい制服というのは、なんでこんなに煌めいて見えるのだろうか。宮瀬川高校の制服は、特別変わったデザインはしていなくて中学と大して変わらないのに。


「結局、瑛くんに朝は会えなかったな」


 ちょっとだけ寂しい。クラスは同じだろうか。これで、もし同じだったらいよいよおれは死ぬかもしれないなと思いながらも一緒だと良いなと願って高校へ向かった。校舎前に張り出されているクラス割表を見ながら自分のクラスを探した。1年1組と書かれていた。音楽科は普通科3クラスと特進1クラスに分かれているようだった。普通科は1組から3組。4分の1の確率で瑛くんと同じクラスになれる、と思いながら1組の欄に瑛くんの名前がないかも探したけれど残念ながらなかった。


「せめて、2組!」


 せめて隣が良い。だけど、そこにもなくて瑛くんはなんと特進クラスだった。同じクラスになれる確率なんてそもそも土台からゼロだったんだ。


「残念」


 まあ、そんな上手く行くわけないか。ルームメイトの方が断然距離が近いし、高望みはしてはダメだと自分に言い聞かせて校舎へと入っていった。初めて足を踏み入れた校舎は、何だか良い匂いがした。1年1組は2階の1番手前だった。


「おっはよー!」


 ドアを開けて中に入るなり、おれは元気よく挨拶をした。クラスにいた人たちはびっくりしているようだ。おれは、第一印象が大切と思っているので中学生の頃もクラス替え後とかは必ず元気よく挨拶をしながら入っていた。明るくて元気な奴、という印象を持ってもらいたいから。すぐに隣の席の奴がおはよう! と返してくれて早速友達になれた。そんな感じで初日は好調に過ぎて行った。


  ようやく放課後になり、おれは4組のクラスの前へで待ち伏せをすることにした。数分経ってから瑛くんが出て来た。


「瑛くんっ!」

「……はると。何してんの?」

「瑛くんと一緒に帰りたいなって思って!」

「ごめん、俺レッスンあるから」

「え、」

「じゃあ」


 瑛くんはスタスタとレッスン室のある方へ向かって行ってしまった。一人取り残されたおれの肩を誰かがポンッと叩いた。


「みなぎっちー」


 みなぎっち……皆木優紀くんは、隣の席で早速親しくなった明るくて良い奴だ。


「さっきの小畑くんだろ?」

「なんで知ってんの?」

「有名だよ。この学校の一流の先生が知り合いで、親しいからって今日からレッスン開始させてもらってるんだよ。本来、1年生は来週からなのにさ」

「へぇ……」


 なんか、おれが知らない瑛くんの情報を瑛くんのことを良く知りもしない人が知っているのが嫌だなと感じた。


「それよりさ、この後クラスの親睦会やるんだけど陽都も来ねー?」

「行く行くっ!」


 おれはすぐに気持ちを切り替えてみなぎっちの誘に乗ることにした。こういう集まりは積極的に参加しておいた方が良いんだ。瑛くんと夜まで話せない、と思うとやっぱり少し気持ちが沈んでしまうけれど……。


 クラスの親睦会はそれなりに楽しかったけれど、瑛くんに早く会いたいなぁという気持ちの方が大きくて会計が終わると同時におれは、先帰るね! と言って一人で走って寮へと向かった。


「あれ、瑛くんまだ帰ってない……」


 もう20時で門限まで1時間だというのに。そういえば昨日も遅かったっけ。

今日も、瑛くんは知り合いの人と一緒に食べたのだろうか。なんでこんなに瑛くんのことが気になるのか分からなくてモヤモヤする。早く瑛くんに会いたくて、じっとしてられなくておれは寮の玄関付近で瑛くんを待つことにした。


「あれ、陽都先に帰ったのにこんな所で何してんの?」


 ぼーっとベンチに座っていると、みなぎっちとさっき別れた親睦会に参加していた寮組のメンバーが帰って来た。


「ちょっと部屋じゃない所にいたい気分でさ~」

「ふーん。岡本さんが、陽都の連絡先聞きたかったのに先帰っちゃって聞けなかった—って嘆いてたぜ~」

「そっか、それは悪いことしたね! 明日声かけてみるよ~あ、瑛くんっ!!」


 みなぎっちと話していたら瑛くんが寮へ入って来た。みんなは瑛くんの姿を見るといこーぜと言って、階段を登って行ってしまった。なんか嫌な態度でイラついた。


「何してんの?」

「瑛くんに会いたくて待ってた!」

「なにそれ。部屋にいればよくね?」

「早く会いたかったの! 瑛くんにメッセージ送っても既読つかないしさ~」


 そんな会話をしながら、おれ達は部屋と戻った。制服を脱ぎながらもおれは話しかけ続けた。


「レッスンって毎日こんな時間まであるの?」

「あー、俺は特別にやらせてもらってるだけ。基本的には毎日このくらいまではやってるかな。ふつーは18時とかには終わるよ」


 毎日こんな時間までレッスンなんて……。それでは、放課後にクラスメイトと遊びに行ったり、食堂でご飯を食べたり出来ないではないか。


「ご飯はどうしてるの? 毎日この時間って、終了時間19時30分だよ?」

「知ってる。ご飯は、先生の所で食べさせてもらってるから」

「え、瑛くんのレッスンってレッスン室でやってるんじゃないの??」


 宮瀬川高校には、レッスン室棟と呼ばれる所があってそこで担当の先生に放課後レッスンを受けさせてもらえるようになっている。通常、1年生は来週の月曜日の16時~18時の2時間。この間に2時間やってもいいし、1時間でもよくてそこは生徒の判断に任せられている。おれは、どうしようか悩み中だ。それ以外にレッスンが受けられる場所があるなんて聞いてはいない。


「うん。先生の家でやらせてもらってる。先生とは遠い親戚みたいなもんだから」

「へぇーなるほどなーそれなら、納得だけど疲れないの? 高校生活も青春も謳歌出来ないし……」

「疲れないし、謳歌するつもりもないから問題ない」

「え? 友達作ったりさ、ご飯一緒に食べたり、風呂で騒いだりするのけっこう楽しいよ?」

「必要ない」


 ピシャリと瑛くんは言った。


「俺は、ここに音楽を学ぶ為に来た。月末にはコンクールが控えているし、忙しい。はるとが、話しかけてくれるのは嫌ではない。けど、はるとと一緒に高校生活を謳歌することは出来ないと思う。そういう、青春みたいなの楽しみたいようだったら他の人として欲しい」


 瑛くんは、そう言うと立ち上がり寝る準備をする為に洗面所へと向かった。一人ぽつんと残されて、おれは頭の中で色々と考えた。瑛くんの言っていることは理解出来る。おれだって、音楽を学ぶ為に来たのは同じだ。だけど、高校生活をそれだけで終わらせてしまうのは、もったいない。こんな誰もが経験出来るような場所ではない所で、おれ達は高校生活を送れる。みんなと仲良くしたらとかは言わないし、しなくても良いと思ってる。瑛くんがそれで良いならそれで。でも、おれは……。


「おれは、瑛くんと高校生活楽しみたいんだ!」


 戻って来た瑛くんに向かって、はっきりとそう告げた。


「だから、それは無理って……」

「瑛くんの邪魔はしないようにするよ。でも、せっかくこうして再会できたし、そうじゃなくてもルームメイトなんだし、仲良くしたい! 後、瑛くんの愛の夢はもちろん、他の曲もたくさん聞かせて欲しいし! おれのピアノも聞いて欲しい。おれ、こう見えてけっこううまいんだよ?」


 ただ、高校生活を遊んで楽しみたいなんて言っても瑛くんはきっと乗ってくれないと分かった。だから、おれはちょっとずるい言い方をした。ピアノという言葉を出せばもしかしたら、と思ったのだ。


「……へぇ」


 瑛くんは、そんなおれの言葉に関心を持ってくれたようで手帳を開いてぼそりと言った。


「木曜日、ならいいよ」

「え!?」

「木曜日は毎週、先生が都合悪くてレッスンないから」

「良いの!?」

「はるとと2人なら……。ピアノ聞いてみたいし」

「~~~~やったー!!!!!」


 夜だということも忘れて、おれは大きな声をあげてしまった。だって、めちゃくちゃ嬉しいのだから仕方ないだろう。瑛くんとこれ以上仲良くなるのは無理なのかも、と諦めかけていたから……ピアノを続けていて良かったと心底思った。


「木曜日がめっちゃ楽しみだ! ありがとう、瑛くんっ」

「……別に。俺も、はるとのピアノ興味あるし」

「ほんと!?」

「見た目は全然うまくなさそうだから」

「ひどいな~~~」


 だけど、瑛くんがおれに興味を持ってくれたのが嬉しくて今から何を弾こうかとワクワクして今夜は眠れそうになかった。瑛くんも少しは同じ気持ちを抱いてくれたのかもしれなくて、昨日よりも長い時間、布団に入ってからもおれ達は会話を続けていた。



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