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第9話

 次の日、瑛くんとおれはウィーンの音楽大学に行くことになっていた。どうやら昨日の夜、おれがお風呂に入っている間におれのことを助けてくれた瑛くんの友達——ノアくんと電話をしていてお礼をしに行くことになったのだという。


「え!あの音大に入れるの!?」

「入れるし、ピアノも弾けるよ」

「すごい! 部外者なのに良いの?」

「一応、俺の親が時々講師しに行ってて関係者ではあるから息子の俺もそれで入れてもらえてる。ちなみにノアは、音大の留学生」

「すご……でも、なんでお礼で大学に?」

「あーそれは、あいつが俺と連弾したいってきかなくて……俺、連弾って好きじゃないから断り続けてたんだけど今回ばかりは断れないなって……」

「そうだったんだ」


 なんで、連弾をしたくないのか聞きたかったけれど、あまり深掘りしてほしくなさそうにしていたから、おれはそれ以上は何も言わずに黙って着いていった。


「昨日は、本当にありがとう」

「ありがとうございました!」


 音楽大学に着いて、ノアくんと合流してからおれ達は改めてお礼を伝えた。


「いやいや、偶然通りかかって声かけてよかったよー。この世の終わりみたいな顔してる人いるなーってなって放って置けなくて」

「おれ、そんな顔してた!?」

「してたしてた〜」


 それから、ノアくんは練習室に案内してくれた。キャンパス内はとても綺麗でこんな所で音楽の勉強が出来たら素敵だろうなと思った。


「瑛くんが留学してたっていうのもここ?」

「うん」

「そっかーやっぱり瑛くんはすごいんだね」

「瑛はすごい人気者で、瑛に連弾のパートナーになって欲しいって人がたくさんいたんだよ。でも、瑛は絶対に連弾やピアノ協奏曲は引き受けなくて、ソリストだったよなー」

「まあ、ソロの方が楽だからな」


 瑛くんは、何でもないようにそう言ったけれど少し曇った表情をしていた。瑛くんの過去に何があったんだろう。ノアくんも知らなそうだけど、おれと2人きりになったら話してくれるかな? 今日の帰りに聞いてみようと決めた。


 それから、練習室で瑛くんとノアくんは1つの椅子に座った。おれは窓際に置いてあったパイプ椅子に腰を下ろして2人のことを見ていた。瑛くんがおれ以外の人と距離が近いことにモヤモヤしてしまう。好きだと気づいてしまったから尚更、辛い。


「じゃあ、弾くのは2台のピアノのためのソナタでどう?」

「いいよ。どっち弾く?」

「瑛が上やってよ」

「わかった」


 それから練習も無しに2人はすらすらと弾き始めてしまった。2台のピアノのためのソナタはとても有名な曲だから、ピアノが好きな人ならば誰でも知っているであろう曲。明るくて楽しくて、おれも大好きな曲なんだけど今は聞いていて辛い。瑛くんの表情をちらりと見ると、乗り気じゃなかった割には楽しそうに弾いている。


 きっと本当は、連弾をやりたいんじゃないか。瑛くんがどのくらいの期間連弾をやっていないのか知らないけれど、今日久しぶりに連弾をしてやっぱり楽しいなって思ってここに戻りたいって思ってしまっていたらどうしよう。

 2人が奏でる音色は高校に入ってから聞いてきたどの音色よりも美しくて、レベルが違うんだということを突きつけられた。


「ふぅーー」


 しばらくして、ノアくんの感嘆の声が聞こえて曲が終わったことに気が付いた。おれは、ぼーっとしていたことに気づかれないように慌ててパチパチパチと拍手をした。


「2人ともかっこよかった〜!」

「ありがとう、陽都くん! それにしてもやっぱり瑛は上手いな! 一緒に弾いててすごく気持ちが良い!」

「いや、ノアが上手いから俺も久しぶりだったのに楽しく弾けたよ」 

「やっぱり楽しいだろ、連弾!?」


 ズキン、と心が痛む。おれだけが違う世界に切り離されたかのように、2人はキラキラしていて眩しい。


「なぁ、やっぱりさ来年からもう一度こっちに通わないか? 両親からも言われてるだろ」

「え?」


 思わずおれは2人の会話に口を挟んでしまった。


「瑛くん、留学しちゃうの?」


 そんな話聞いていない。今回ウィーンに来たのはただの帰省じゃなくて、そういう理由があったから?


「しないよ」


 焦るおれとは反対に瑛くんは、冷静にぽつりと言った。


「しないのかよ~~」

「ほんとに!?」

「本当に」


 そう言って瑛くんは椅子から立ち上がり、おれの前まで来て手を握ってくれた。


「久々にこっちに来て気づいたけど、俺は今はるとと一緒に日本でピアノを弾いていたいんだ。海外でないとプロになれないなんてことはないし、日本でだっていくらでも活躍は出来るんだって思ってるから」

「瑛くん……」


 力強いその言葉に、さっきまで不安だった心は落ち着いていった。


「そっかー。まあ、ほとんど一匹狼みたいだった瑛がそこまで一緒にいたいと思う友達が出来たんなら日本も悪くないんじゃない?」


 ノアくんは笑ってそう言った。


 ノアくんと別れて瑛くんと2人きりになった帰り道しばらくおれ達は無言だった。何から話せば良いのか、どうしたら良いのかおれも瑛くんも分からないんだ。


「あ、瑛くん。おれちょっと疲れちゃったからあそこの広場で休みたいな」

「分かった。そしたら、近くのカフェで飲み物買おう」

「うん」


 慣れた手つきでコーヒーを購入する瑛くんを見るとやっぱり寂しい気持ちになる。


「はい、はるとにはカフェオレ」

「ありがと~」

「今日は観光名所ぽい所行けなくてごめん」

「全然だよ! 音楽大学なんて普通じゃ入れないし!」


 広場のベンチに腰を下ろしながらそんな会話をした。


「……ねぇ、瑛くんは何でピアノの連弾するのずっと断ってたの? 今日弾いて楽しかったって思ったってことは、嫌いではないってことだよね?」


 意を決しておれは、話しを切り出した。きっと瑛くんも話したいと思っているはずだから。


「……うん、嫌いじゃない。俺が逃げてただけなんだ」

「逃げてた?」

「俺さ、小6の時にお母さんが所属してたオーケストラでピアノ協奏曲を弾かせてもらえることになったことがあったんだよ。最年少天才ピアニスト現る! とか小畑二世がついに大舞台に! とかってめちゃめちゃ期待させられるようなポスター貼られてさ。子どもながらにすっごく緊張して……でも、お母さんがコンミス担当してるオーケストラだし、絶対失敗出来ないって猛練習してた」


 瑛くんは、一口コーヒーを飲んで言葉を続けた。


「まあ、結果的に失敗しちゃったんだけどな。しかも1番静かで綺麗なメロディのところで。何か、急に指が動かなくなってさ、身体が止まってた。でも、大人たちはさすがそういうピンチもたくさん乗り切って来たんだろうな。一瞬音が乱れたけどすぐに俺はいないものとして切り替えて演奏を続けたんだよ。俺はもう、恥ずかしくて恥ずかしくて……。とにかくどっかで合流しないとって切りの良いところで入り直したけど、1番大事な場所弾けなかったからすごいショックで」


 想像しただけで震えた。子どもの瑛くんにとって、その時間はどれだけ辛い時間だっただろうか。タイムリープが出来るなら、その時の瑛くんの傍に行って〝大丈夫だよ〟って言ってあげたい。


「演奏会が終わった後、お母さんが俺に言った言葉なんだったと思う?」

「え? 〝大丈夫よ。良く頑張ったわね〟とか、じゃない……?」

「そう思うしそれが普通だよな。でも違ったんだ。お母さんが言ったのは〝私に恥をかかせて! どうしてくれるのよ。もうこのオーケストラにいられないじゃない!〟って怒鳴ったんだよ」

「嘘……」


 瑛くんのお母さんはとても優しそうに見えた。お父さんも。音楽をしている両親は厳しそうという偏見があったけれど、違うんだって思ったのだけれど……。


「昔のお母さんは、音楽のことしか頭になくてよく怒る人だったんだよ。けど、その出来事がきっかけで俺が人前でピアノ弾けなくなってさすがに気にしてくれたのか、環境を変えましょうってなって中学生からウィーンで留学することになったんだ。でも、俺はもう二度と誰かと一緒に演奏をするのだけはしないって固く誓った。さすがに親も厳しくは言わなくなったよ。あの演奏会の後俺がしばらく引きこもっちゃって、そしたら少しずつ今みたいに優しくなっていったんだ。でもまあ、誕生日よりコンクールな親だけどね」


 そこはもう仕方ないって諦めてると瑛くんは笑った。おれが日本でのうのうとピアノを楽しんでいる頃、瑛くんはそんな想いを抱えて生きていたのかと思うとすごく切ない気持ちになった。


「教えてくれてありがとう、瑛くん。辛いこと思い出させてごめんね」

「はるとにはその内話そうと思ってたから良いよ。何でかはるとには俺のことなんでも知ってて欲しいって思っちゃうんだよ」


 その言葉にどくん、と心臓が高鳴った。ねぇ、瑛くん。そんな風に言われたら瑛くんももしかして同じ気持ちなんじゃない? って期待しちゃうよ……。


「今日、連弾して思ったんだけどさ俺、はるとと連弾してみたい。いや、したいなって」

「え……!?」


 思わぬ言葉に変な声が出てしまった。


「お、おれと? でも、ノアくんみたいに上手くないよ」


 瑛くんの言葉はすごく嬉しいはずなのに、どうしてこんな時にいつもみたいに素直になれないのか。


「はるとのピアノが俺は好きなんだよ。連弾じゃないけどさ、木曜日の公民館で2人でピアノの練習するあの時間がすごく楽しかったんだ。もっと、はるとと色々な景色を見たいって思った。さっきも言ったけどウィーンに来てより一層感じたんだよね。これはさ、一時的なのじゃなくて、これから先も見据えて俺ははるととピアノをやっていきたいって思ってるってことだから、はるとの将来も縛っちゃうことになるかもしれない。だから、すぐに返事はしなくて良い。日本に帰った最初の木曜日に答えて」


 じっとおれのことを見つめる瑛くんの瞳は、とても真剣で冗談ではないんだというのははっきりと伝わってきた。


「わ、わかった。ありがとう」

「よろしくね。は~~~たくさんしゃべったら疲れた。コーヒーおいしいなー」

「うん、カフェオレおいしい―」


 おれ達は、夕焼け空の下コーヒーとカフェオレを飲み干して家へと帰った。


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