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第六幕 慎重な奴の戦い方

 ガタン、ガタン……という音に混ざって、ざわざわと何かが這うような気配がある。

 それは電車の壁、床、天井――ありとあらゆる方向に気配をまき散らしているものの、肝心のが感じられない。

(どこだ……この怪異の、核は……)

 頬を汗が滴り落ちる。

 目をぎゅっと閉じてその気配を探るも、怪異の姿がまるで掴めない。気配はあるのに、その全貌が捉えられないのだ。

 ということは、即ち――。

「……ここには、いない」

 どこか確信めいた言葉が、無意識に口から零れ落ちた。

 手を握られていた満春が、「どういうこと?」と小さく問いかける。

 ガタン、と車内が大きく揺れた。

「この電車の中に、確かに怪異の気配がある。だけど……その核――心臓のようなものが、この空間にはないんだ。無いと言うことは……即ちここに、

 蓮夜は辺りをきょろきょろと見渡す。

 車内は地下を走っているゆえに、薄暗い。車内の電気は点いてこそいるが、まるで切れかけの蛍光灯のように弱い。

 この不気味な空間を纏った電車には、確かに怪異の気配はする。

 だが核がないということは、ということだ。

 これは一体、どういうことなのか――。


 そんなことを考えた時。

 ガチャン、と何かが開かれるような音が響いてきて、蓮夜と満春は思わずそちらに目をやった。

 二人の後方――車両と車両の連結部分の扉が開き、そこに人影が立っている。

 身に纏う制服は、車掌のそれだ。

 だが、所々が擦り切れたり破れたり……一目で生きている人間のそれではない事がわかる。

 妙に背が高く、被っている帽子のてっぺんが天井にまで達していた。

 目深に被った帽子からは、表情は読み取れない。


『切符ヲ、拝見――』


 軋んだ機械のような、雑音のように耳障りな声が、すぐ耳のそばで聞こえた。

 瞬間――、


「――⁉」

 車掌の姿をした怪異が、一瞬のうちに間を詰めて、蓮夜と満春の目の前に迫った。

 蓮夜は咄嗟に満春の腕を掴んで、そのまま背後に庇うように自らが盾になる。

 満春の悲鳴が背中で膨らんだのと同時に、車掌の背後から触手のようなものが溢れかえってきて、蓮夜の全身を拘束しようとした。

「――っ!」

 だが、その手はバチリと嫌な音を立てて弾き返される。

 ジュゥ……と何かが焼けるような音がしたかと思えば、今しがた蓮夜を襲った触手が焼き切れて、ボトボトと床に落下した。

 ギャアア、と車掌の姿をした怪異が叫び喚く。

「なんで、突然……」

「蓮夜君、鈴が」

 背後から満春の手が伸びて来て、蓮夜が腰につけていた除けの鈴を摘まんだ。

 リーン……と澄んだ音を鳴らすそれが、ぼんやりと微かに光っている。

「そうか、除けの鈴……!」

 蓮夜は腰から鈴を外すと、そのまま両手で挟み込むようにして顔の前に掲げる。

 祈るような格好を取って深く息を吸って吐き出せば、途端に周囲の音が耳に入らなくなる。

(集中しろ、見極めるために……)

 目の前で怯んでいる怪異を、穴が開くほどに見つめる。

 叫び声は聞こえない。

 電車の音も聞こえない。

 己の心音だけが、耳のすぐ横で規則的に打ち鳴る――。


「――……っ!」


 目の前の怪異が、一瞬薄くなったように見えた。

 何かに気がついた蓮夜が、ハッと大きく息を吸えば、それと同時に怪異が再び蓮夜に襲い掛かってくる。

 咄嗟に後ろに身を引きながら、合わせた両手をそのままに大きな声で叫んだ。


振鈴しんれい――」


 リーンと、鋭い音がどこからともなく湧き上がると共に、一瞬、時間の流れが止まったかのような空間が展開する。

 身を引いたまま、背後の満春の存在を確認する。

 この距離なら、何かあったとしても、守れる。


「――罰倒ばっとう……正縛しょうばく!」


 叫ぶや否や、蓮夜に覆いかぶさろうとしていた怪異の体が、その場で動かなくなる。ギチギチと、まるで見えない何かに縛り上げられたかのように静止したそれは、無理やり抜け出そうと体をよじって筋を痙攣させる。

「止まった……⁉」

「満春ちゃん、そのまま下がって……!」

 背後に満春を庇ったまま、蓮夜は怪異から視線を外さないようにしてじりじりと後退する。

 やがて、満春の背が次の車両へ続く扉に触れたと感じた瞬間、勢いよく踵を返し扉を開いて、その先の車両へ満春もろとも転がり込んだ。

 すぐさま振り向き扉を閉めれば、後方車両に残された怪異が途端に動きだし、こちらの車両に乗り移ろうと連結部に侵入して、蓮夜の閉めた扉に体当たりをした。

 ガンガンと、衝撃と共に力強い音が響く。

 蓮夜は最初こそ両手で扉を抑えていたが、怪異が扉から体を離した一瞬の隙をついて、扉封じの呪文を扉に向けて飛ばした。

 極めつけに、手に持っていた鈴を取っ手の部分に括りつければ、一瞬だけぼわっと赤く鈴が光る。


「これで……多分少しは時間が稼げると思う」

 念のためと、満春の腕を引っ張って車両の反対側――次の車両へ続く扉近くまで移動する。

 扉に体当たりする音が、少し遠ざかった。

 額に浮いた汗を制服の袖で拭えば、拭き取り切れなかった汗が顎を伝って床に落ちる。

 妙に怠くなった体が熱くて、心臓がいまだ忙しなく動いている事もどこか煩わしかった。

 しかし、気を抜くにはまだ早いのだ。

 怪異から少しでも意識を逸らしてしまえば、術が解けてしまうかもしれない。

 満春がいる以上、少しでも長くあの扉を守る必要がある。

「蓮夜君、具合悪そうだよ……大丈夫?」

 心配そうに言う満春が、スカートのポケットからハンカチを取り出して蓮夜の額を拭ってくれた。

「平気だよ……ちょっと疲れただけ」

 なるべく不安にさせないように笑顔で言って、ふぅと息を吐く。

「それより、この空間と怪異のがわかったかもしれない」

「……カラクリ?」

「うん。さっき、動きを封じる前の一瞬……集中した時、あいつの体が薄くなって見えたんだ」

 蓮夜の言葉を、満春は黙って聞いている。

 力を込めて閉じられた唇が、微かに震えているように見えた。

「薄くなるってことは、この空間で十分な存在が確立出来てないってことだ。それは要するに……存在の全てはここにはない。この空間に、あの怪異はんだ」

「半分……?」

「それは恐らく僕らも同じで、現実に体だけ残っていて、こっちには魂だけ連れ去られている。本当の僕達は眠っているような感じになっていて、こっちの世界で何かしらの条件――それこそあの駅で下車したり、あの怪異に負けたりしたら、現実にある僕らの体に、あっち側に残っている怪異の半分が接触できるというようなルールなのかもしれない。そして核を持っているのは、恐らく現実に残った半身の方だ」

「要するに存在を二つにして、魂担当と体担当に分かれて襲ってるってこと……? でもどうして現実の方に核があるって思うの?」

 満春が伺うように言って、首を傾げる。

「まず単純に、さっき核を探した時にこの空間にその存在本体を見つけられなかったこと。そしてこれは僕の推測になっちゃうけど……現実に残されているであろう魂が抜けた状態の体は無防備でしょ? それこそ起きている誰かが邪魔しない限り、眠っている本人達が反撃してくるってことはまずない」

「そっか……なら眠っている体がある方に、核を持った本体がいた方が安全なのね」

「うん。標的以外の人達には怪異の姿は認識出来ない……いや、出来ないようにしているだろうから……標的さえ眠らせれば確実に体を好きに出来る」

 言って、一呼吸置く。

 いっぺんに話したせいで少し酸欠気味になったのか、微かに眩暈を覚えた。

 満春に気が付かれないように、前髪を直すふりをして手をかざし、その手の陰で一度ぎゅっと目をつぶって平衡感覚を整える。

 ガタンと揺れる振動に足を取られないように、無意識に下半身に力を入れた。


「ロクロウさんの言ってた通りだったんだ……」

 満春が、小さく呟く。

「本当に魂だけじゃなく……体も食べるつもりの怪異なんだね」

「……一定数いるんだ。それこそ妖怪とかには、魂だけじゃなく体丸ごと食って全てを糧にするタイプが」

 言えば、満春が腕を抱えるようにして小さく震えた。

 当然の反応だと、その姿を見て蓮夜はぼんやりと考える。

 得体の知れないこと、そして自分自身の生死に関わってくることなんか怖くて当然なのだ。

 むしろ、怖がらない……危機感がない人間から、こうやって怪異の餌食になっていくのかもしれない。

「……慎重だって、ロクロウが言ってた意味もようやくわかったよ」

 いまだに体当たりする音がやまない後方を見る。

「あの怪異は用意周到だ。それこそ……万一こっちの空間で討伐されたとしても、核を持つ本体を現実に置いておけば……同時に攻撃されない限り消滅は免れるんだから」


 ――臆病な奴は慎重だ。勝ち目がなさそうな喧嘩は絶対しねぇだろうぜ。


 ロクロウの言葉が、脳内で蘇る。


「確かに、この空間に飛ばされた時点で、こちらに勝ち目はないんだろう」

 酷く落ち着いた声で言えば、満春が息を呑んだのがわかった。

「だけどそれは……あくまで僕達だけで戦いを挑んだ場合の話だ」

「……蓮夜君?」

「僕達には――がいる」

 ポケットから、スマホを取り出す。

 ディスプレイを点灯させれば、やはり画面に表示されている文字も数字も化けてしまい、読み取ることが出来なかった。電波は、もちろん圏外である。

 だが、大切なのはそこではない。

 蓮夜はスマホを両手で持って顔の前に掲げると、そのまま再びグッと目を閉じた。

 ガタガタと揺れる車両の音をシャットダウンするように、意識をスマホに集中させる。


(頼む……僕の声よ、届いてくれ)


 額から汗が滴って、ぽたりと床に落ちていく。

 先程の術をまだ解いていないこともあって、体力がかなり持っていかれている。

体が酷く怠い。

 集中しなければいけない場面なのに、どうしても意識がぶれてしまう。

「…………蓮夜君」

 その時、ひやりと自身の体温よりも冷たい満春の手がスマホを掲げる蓮夜の両手を包んだ。

 ハッと顔を上げれば、横に並んだ満春が手を伸ばしたまま、小さく頷いた。

 恐らく蓮夜の具合も、蓮夜が何をしようとしているのかも把握したのだろう。

「私も支えるから……」

 だから、と続ける。

「一緒に、帰ろう」

「……うん」

 さっきまで煩わしかった心音が、不思議と落ち着いていく。

 蓮夜はもう一度意識を集中させるように、ぎゅっと目を閉じた。


(絶対……無事に帰るんだ)


 蓮夜は心の中で――その名を呼んだ。



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