目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第七幕 罠の外

 深夜の風は闇の匂いを濃く含んで街を走り、山に抜けていく。

 誰もいない広域公園……その園内の手すりに腰掛けるようにして、ロクロウは独り目を閉じていた。

 実体化した状態の彼の髪を、その風が揺らす。

 近くにある高架橋は、十数分前に電車が一度通ったきり無言を貫いている。

 公園の外を走る道路には、車一つ通らない。


 公園の中央に聳え立つ時計は、二十三時三十五分を回ろうとしている。

 蓮夜達が乗っているはずの、西叶叶駅を二十三時四分に出る例の車両も、もうそろそろ終点である広域公園前駅に到着するはずだ。

(何事もなければ、の話だがな……)

 風の中には、人には聞こえない声が多く含まれている。

 蓮夜のように見える人間からすれば、こういう騒めきも障害になってくる事案なのだろうが、ロクロウのような人ならざるモノからすれば、問題ですらない。

 夜の闇に漂う気配も、声も、視線も、何もかも……ただそこに在る事象にしか感じない。

(でもまぁ……あいつからすりゃ、生きにくいか)

 この場にいない、相棒の姿を思い浮かべる。

 齢にしてまだ十六歳の子供であるくせに、たまに妙に悟った顔をする。

 出会ったばかりの時に比べればだいぶマシになった方ではあるが、その表情を見ていると、自らの意思とは裏腹に……なぜか心がざわついた。

 悪霊である自分に、心があるとは到底思えないというのに――。


「…………」


 ざぁっと、木々が大きく嘶いた。

 途端、ジジッと何か電気が走るような感覚を覚え、思わず顔を顰める。

 ノイズのような音の中に、微かに違う音が混ざる。

 ……脳裏に、映像が浮かんだ。


 暗い車内、蓮夜と満春、後方の扉に体当たりする怪異、半分の気配、そして――、


 ――ロクロウ、


 名が、呼ばれる。


 ――本体を……核を、斬れ!


 馴染みのある声が――頭に落ちてきた。


「……っは、なるほどな」

 手すりから腰を上げる。

「そういう事かよ」

 広域公園のすぐそばを通る高架橋を見上げる。

 深夜の風は、相変わらず収まる気配を見せず、ひゅうひゅうと寂しくロクロウの背に向かって吹いてくる。

 実体化したところで体温なんか存在しないその背を、まるで冷やそうとするかのように吹き抜ける風は、微かに春の匂いを含んでいた。

 蓮夜の顔が、浮かんだ。


「核を斬れ、ね」

 言って、左手を前に掲げれば、そこに一振りの日本刀が出現する。


「――承知した」


 瞬間。

 ロクロウは地面を勢いよく蹴って、宙へ飛び上がった。

 高架橋の手前にある大木に一度着地し、再度その肌を蹴って高く舞い上がる。

 人では到達出来ない高度に軽々と身を放ち、夜の風が吹く中を実体化を解除して高架橋のど真ん中に降り立った。上下線が通るために二本のレールが敷かれているが、霊体になってしまえば、その感触は感じない。


 間もなくして、地下区間を出た電車がまるで潜水艦が浮上するかのように……高架橋の先に姿を現した。


 丸い電車のライトは、まるで獣の目のように爛々と輝いて前方を照らすが、実体化を解除したロクロウの姿を照らすことは出来ない。透過していく光線を見て、ロクロウは少しばかり目を細めた。眩しさなんて感じないというのに、少しばかり煩わしいと思ったのだ。

 徐々に近づいてくる電車の音を感じつつ、一度目を閉じる。

 音と光の合間を搔い潜るようにして、前方に迫るその車内に意識を潜らせた。


 瞼の裏に浮かぶ……車内には、数名の人間しか乗っていない。

 眠たそうな顔で新聞を読む者、イヤホンを付けてスマホに目を落としている者。

 参考書に書き込みをしている者。

 その中に、まるでうたた寝をしているかのように寄り添う体が二つ。


 蓮夜と満春が目を閉じている。


 その二人に覆いかぶさるようにして、今この瞬間……一般人には見えていないであろう怪異が大きく口を開けた――。


「――……」

 目を開いたロクロウが、大きくレールを蹴って走り出す。

 勢いを殺さないまま、電車は物凄い音をさせてロクロウに近づいて来るが、ロクロウは電車めがけて走る脚を止めない。

 左手に鞘ごと日本刀を携え、まるでチキンレースをするかの如く、電車の正面に迫る。

 ロクロウが見えない運転手は、もちろんブレーキをかけることもしない。

 汽笛さえも鳴らない電車が、ロクロウに迫り、衝突する――、


 その刹那、


「――丸見えだぜ」


 瞬時に抜刀したロクロウが、電車と重なる瞬間、刀を大きく横に薙ぎ払った。


 一閃。


 もちろん霊体であるロクロウの刀は、車両を両断することはない。

 ……だが、その刀は、同じ霊体である怪異のその核を横に真っ二つに斬り裂いた。

 斬った瞬間、怪異と目が合う。叫び声をあげる間もなく、その姿は崩れ落ちた。



 ガタンゴトンと、車両は大きな音を立てたまま、物凄い勢いで吹きすさぶ風を連れてあっという間にロクロウの後方に去っていく。

「…………」

 刃に残った怪異の残穢が、不気味なほどに一度揺らめき、青白く光って消えた。

「……詰めが甘ぇよ」

 刃を左手の袖で挟むようにして拭いながら、口角を上げた。

「臆病なら臆病者らしく、罠の外も警戒しとくんだったな」

 電車が去っていった方角を見る。

 声を飛ばしてきた相棒の顔を思い浮かべて、微かに目を細めた。

「俺様の貸した知恵が、役に立ったな」


 ロクロウは刀を鞘に納めると、そのまま線路沿いを終点に向けて歩きだした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?