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第八幕 目に見えずとも信じているモノ

 スマホを掲げて意識を集中させる蓮夜の頬を、汗が伝う。


 ――俺様が知恵を貸してやる、よく聞け。


 あの時、ロクロウが言った言葉を思い出す。


 ――お前さんは、能力があるのに使うのが下手くそだ。ゆえに、俺様がその場にいない場合、念を飛ばして連絡しようにも限度がある。そこでだ、お前さん達が持ってる薄い板……スマホっつったか、それを通して念じろ。電波ってのはある意味で念と同じだ。目には見えないが、確実にそこで役目を果たす。お前さんの念を飛ばすには、丁度いい補助になるだろうぜ。例え圏外だろうと異空間だろうと、電波を補助する力は残るだろうからな。


 やってみな、と口角を上げたロクロウの顔が浮かんで、消えた。

「蓮夜君……!」

 不安そうな満春の声がすぐそこで聞こえる。

 ガンガンと、体当たりする音が止んで同時に扉が崩壊する音が聞こえた。

 突破された。そう理解した瞬間、背中を汗が伝っていく。

(落ち着け、僕)

 本体は、この空間の――。


 ――ロクロウ、


 名を、呼んだ。


 ――本体を……核を、斬れ!


 瞬間。

 意識がぐっと引っ張られるような感覚がしたかと思えば、目の前が暗転する。

 ぐるっと世界がひっくり返るような浮遊感。

 咄嗟に近くにいた満春の腕を掴んだ――。


「――っ‼」


 ハッと目が覚めた蓮夜は、目の前の光景にその身を強張らせた。

 蓮夜と満春に覆いかぶさるようにして、今まさに大きな口で二人を食おうとした怪異が――真っ二つに裂けた。

「……っは、」

 無意識に止めていた息を吐き出す。

 目の前の怪異は、ギャアとも声をあげることなく、青白い核を一度煌めかせた後……砂のように砕けて消えた。

 ガタン、と車両が大きく揺れる。

 汗でぐしょ濡れになったシャツに気が付き、同時に辺りを見渡す。さっきまで消えていたはずの乗客がちらほら見受けられ、おまけに車内は明るい。

 吊り下げ広告に目をやった……読める。

 電光掲示板に流れる文字も、化けることなくその行き先を明確に記していた。


 ――まもなく、終点、広域公園前……広域公園前です。


 帰れた。

 そう理解した瞬間ドッと疲れが押し寄せてきて、はぁと大きく項垂れた。

 少し顔を動かして隣を見れば、満春が蓮夜の方に体を寄せて眠っている。

「……満春ちゃん、起きて」

 肩に手を伸ばして優しく揺すれば、数秒もしないうちに満春の瞼が震えた。

 閉じられていた瞼がもたげられて、綺麗な光彩の瞳が覗く。

「……蓮夜、君?」

 目を覚ましてくれたことに安堵しつつ大丈夫かと問えば、満春は周りを見渡した後ゆっくりと頷いた。座席に沈んでいた体を、手をついて起こす。

「私たち、帰って来られたの……?」

「うん、どうやら上手く……いったみたいだ」


 キィー……と車輪が軋む音が響き始める。

 電車が減速し始め、やがて窓の外にホームの風景が広がった。


 ――終点、広域公園前、広域公園前です。車内にお忘れ物の無いよう……。


 扉が開く合図が鳴り響き、車内にいた数えるほどの人がぞろぞろと降りて行く。

 怠い体に鞭打って立ち上がり、満春と連れだってゆっくりとホームに降り立てば、屋外にある駅ということもあって、辺りは夜闇一色……街灯だけが寂しくホームを照らしていた。


「よぉ、戻って来られたみてぇだな」


 そんな夜闇の中から、ロクロウが溶けだすように姿を現した。実体化していないその体は、足音のひとつも立てはしない。

「ロクロウ……」

「俺様に知恵を借りといてよかったな」

 役立っただろ、とロクロウが蓮夜のポケットを指さす。つられるようにしてポケットの中に手を突っ込めば、すぐにスマホが手に触れた。

 取り出して画面を見れば、自動でディスプレイが明るくなる。

「ロクロウの言ってたことを思い出してさ……これを掲げてお前に呼び掛けたんだ。半信半疑だったけど、届いてよかったよ」

「言っただろ、人の念も電波も似たようなもんだ。目には見えねぇが確かに役目は果たす」

「うん……」

「だが、変な話だよなぁ。人間は目に見えずとも電波の存在は信じるってのに、どうして幽霊や怪異の存在は信じねぇのかね」

「…………」

 ロクロウの言葉に引っかかりを覚えて、思わず顔を顰める。

 そんな蓮夜を見下ろしながら、ロクロウはどこか涼しい顔をして目元を歪め、ニッと笑った。

「なぁに、深い意味はねぇよ。ただ……そうさな。信じる奴が増えて、って世の中になりゃ……被害はもっと減るかもしれねぇな」

「……何が、言いたい?」

 疲れのせいで、ついムッとした声が出てしまう。

「大切なのは危機感だってことだ。平和ボケは身を亡ぼすってな」

 それはそうと、とロクロウが続ける。

「蓮夜、お前さんあいつが核を持った半身をこっち側に残してるって……よく気が付いたな」

 感情の読み取れない目で言われ、つい視線を逸らす。

 暗闇で光るその目は、何を見ているのか。

 背後で黙っている満春が、なぜか蓮夜の制服の裾を小さく握った。

 疲れを逃がすように、ふぅと一度息を吐いてから言う。

「薄かったんだよ……存在そのものが」

「……ほぉ?」

「核を探した時にそれが見つからなかったって言うのもあるけど……そもそも命を奪おうとするような妖は、どいつも妖気や気配が濃いんだ。だけどあいつはまるでそれが半分になったかのように薄かった。だからひょっとして、半分があっちに引き込んで魂を食い、残った本体が現世で体を食らう妖怪なのかなって……」

 尻すぼみになる自分の声を聞きながら、ちらりとロクロウを見上げる。答え合わせをしているわけではないのに、なぜか相手の顔色を伺ってしまうのは幼少期からの癖だった。相手を不快にさせるような発言をしないようにと……あの頃ずっと気を張っていた。変な事を言って嫌われたくない、その思いが強かった。

 だが、今この場にいるのは見える人間と悪霊だけだ。

 なぜ、今になって悪霊であるロクロウの顔色を伺ったのか。

(……失望されたく、ないのか。僕は)

 先刻、あっちの空間で父の姿を模した怪異に呼ばれた時のことを思い出す。あの瞬間、何も考えられなくなってホームに降りようとした蓮夜を止めたのは満春だった。もしも満春がそばにおらず、単体であの電車に乗っていたとしたら……今頃自分は食われていただろう。

 それすらも、ロクロウには見透かされている気がしたのだ。

 満春に大口を叩いておきながら、いざという時に力不足が露呈する。

 自分だけで何も解決できない事が、後ろめたかった。

 何を言っても、失望されてしまうのではないか……後ろめたさから、幼少期の恐怖が背中に圧し掛かかるように思い出された。


「……なるほどな」

 頭上からロクロウの声が降る。 

 結局のところ、最終的に怪異を倒したのはロクロウだ。

 何か苦言の一つでも言われるかと、下げた顔をそのままに続く言葉を待てば、降って来たのは思いのほか、柔らかい言葉だった。

「まぁ、お前さんのことだ。力の使い方が下手くそなだけで、素質はいいもん持ってるからなぁ。俺様がいなくてもどうにか突破口を見つけるとは思っていたが……」

 思ったよりスムーズに事が運んだな。

 そう言ったロクロウの体が、ふいに質量を持った。

 伸びた手の下に微かに影が出来る。

 くしゃっと、大きな手が蓮夜の頭を撫でた。

「……え⁉」

「おいおい、なんだその反応」

 面白いと思ったのか、そのままぐしゃぐしゃと二度三度と頭を掻き回された。

 呆然とロクロウを見返せば、彼はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、今度は蓮夜の背後でじっと二人の会話を聞いていた満春に目をやった。

「満春、お前さんもご苦労だったな」

「私は何も……」

「正直なところ、蓮夜ぐらいウマソウな奴が単体で乗り込めば、あの怪異は目の色変えて捕食に走っただろう。お前さんがいなくても、な。だが……お前さんがいたことで、こいつの精神力の補助になってたことは間違いねぇな」

 おろおろとしていた満春の視線が、あがる。

 蓮夜の制服の裾を掴んでいた手が、もぞりと動いた。

「私、少しは役に立ったんですかね……」

「……それは、お前さん達が今ここにいることが答えなんじゃねぇか?」

 意外な言葉に、蓮夜もついついロクロウを見た。

「ロクロウ……お前、そういう事、言えるんだな……」

「何言ってんだ。俺様はいつだって優しいだろ」

 言って、手をひらひらと振ったロクロウが踵を返す。

 同時に、背後に停車していた電車の扉が閉まって、ゆっくりと車両が動き始める。車内の電気が消えて闇に溶けたその車両は、このまま車庫に吸い込まれて眠りにつくのだろうか。


「……満春ちゃん、」

 同じ方角を見ていた満春を、呼んだ。

 どうしたのかと、満春が蓮夜の方へ向き直る。

 少しばかり疲れた色を浮かべてはいるが、彼女の瞳は相変わらず綺麗に見える。

「車内では偉そうなこと言ったけどさ、僕は未だに……自分の力に対して自信とかそういうのは、ないんだ。確かに……ロクロウと出会う前みたいな酷い劣等感はなくなったけど、それでも、ね」

 ゆっくりと咀嚼するように言葉を紡ぐ。

「だから……さっき、ホームで手を引っ張ってくれて……本当に助かったよ」

 ありがとう。

 思ったよりも弱々しい声になってしまったが、満春の耳には届いただろうか。

 答えを求めるかのように彼女を見つめていれば、微かに彼女の瞳に涙の膜が浮かんだ気がした。

「……ううん。私はきっと、蓮夜君の言葉に助けられてるから……私こそ、色々ありがとう」

 ふるふると首をふる満春の表情が、横髪で隠れる。

「帰ろうか」

「……うん」

 蓮夜の制服の裾を掴んだままの彼女の手に、ふいに自身の左手が当たった。

 一瞬感じた温もりを追い求めるように、つい手を握ってしまう。

 満春は何も言わなかった。

 ただ、返事をする代わりに、蓮夜のその手をそっと握り返してくれた。



             ***



 満春を家まで送り届けた後、蓮夜はロクロウと家路を歩く。

 深夜と言うこともあって、明かりがついている家は少ない。時折吹いてくる風は冷たく、今が春であると言うことを感じさせない。

 自分自身の足音に混ざって、隣を歩くロクロウの革靴の音が響く。

 実体化したままで居てくれるのは、夜道ゆえに気を遣ってくれているのだろうか。


 そんなことをぼんやりと考えながら、疲れた足をふと止めた。

 ロクロウが訝しそうな顔をして、同じように止まる。

「精神だけのあっちの空間で……父さんの姿を見たんだ」

「そりゃ、あの怪異の術か」

「うん……偽物だってわかってたのに、抵抗できなかった。満春ちゃんがいなかったらそれこそ……僕はあいつに魂も体も……」

 手が震えた事を誤魔化そうと拳を作れば、思ったより強く握りしめてしまう。

 食いこんだ爪が、手の平に傷をつけた。

「…………」

 ロクロウは何も言わない。

 ただジッと、蓮夜を見下ろしていた。

「七獄の年を乗り越えて、少しはましになった……それは間違いない。だけど、力があったとしても、それをちゃんと使えないと、何にもならない」

 呟いた言葉を攫うように、夜風が二人の間を吹き抜ける。

 実体化しているロクロウの髪が揺れて、それが煩わしいというように彼が目を細めた。


 今回の怪異といい、満春が言っていた穴の話といい、何かが自分達の知らない場所で起きようとしている。

 そんなざわつきを胸に残したまま、蓮夜は深く息を吐いた。


「もっと、成長しなくちゃ」


 言い聞かせるように呟いたその言葉は、闇夜に溶けて消えた。


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