「お前さんなぁ……体調管理はちゃんとしておけよ」
ベッドに腰掛けたロクロウが、どこか気怠そうに言った。
人が消える電車の一件から数日後、蓮夜は見事に体調を崩し、ダウンしていた。
怪異を退けた時の反動でかなり体力を消耗していたところを、翌日下校時に通り雨にやられたことが引き金になったのか。最初こそ鼻水が出るな……程度だった不調が、数日後の今朝になっていよいよ牙を剥いてきた。
発熱し、悪寒がする体でベッドに横になっていれば、そばに腰掛けたロクロウが顔を覗き込んでくる。
「おい、俺様の話聞いてんのか?」
「……もう、うるさいなぁ」
聞こえてるよ、とため息交じりに答えれば、ロクロウがどこか不満そうな顔をする。
「……ったく、これだから生者は。お前さんが具合悪いと、契約で繋がってる俺様もダルいんだぞ」
わかってんのか、とロクロウが右手親指で自身の左胸をトントンと突いてみせた。
スーツの下に隠れてパッと見ではわからないが、彼の左胸には契約印が刻まれている。そしてそれは、蓮夜も同様だった。
七獄の年に、ロクロウから一方的に契約をされた時はひっかき傷のようなものが浮かび上がっただけだったが、この度蓮夜から契約を申し出ればちゃんとした印になった。ロクロウいわく、この印がお互いの霊体や精神、肉体を繋いでいるという。
「ごめんって……まさか風邪ひくとは思わなくて」
「怪異討伐する度に気張りすぎてガタが来るようじゃ、この先やっていけねぇぞ」
「確かに気張りすぎて疲れ果てていたのは事実だけど、この風邪は次の日に通り雨にとどめを刺されたからであって……」
うだうだと言い訳をしていたが、途中でそれを止めた。どうせ何を言っても嫌味を言われるだけだ。不毛なやり取りは精神も体力もすり減らすだけでなんのメリットもない。
ゴロッと寝返りを打って、ロクロウに背を向ける。
「……ロクロウ、お願いがあるんだけど」
背を向けたまま言えば、一拍置いてからロクロウの声が背後で染み出した。
「お願いをする態度には見えねぇけどなぁ」
一瞬怯んだ自分に気がついたが、そのまま構わず続ける。
「満春ちゃんに授業の板書をお願いしてるんだけど、家まで来てもらって風邪をうつしたらいけないから……ロクロウ、受け取って来てよ」
「はぁ?」
「あとついでに……帰りに何か食べる物買ってきて……ゼリーとかレトルトのおかゆとか、そういうのでいいから」
「おいおいおい、ちょっと待て」
ベッドの脇から腰を浮かせたロクロウが、不満そうな声を上げた。背を向けた蓮夜の上に覆いかぶさるようにして、顔を覗き込もうとしてくる。実体化している彼の重さに、ベッドがギシリと音を立てた。
「なんで俺様がそんなことしなくちゃいけねぇんだよ」
「ロクロウ以外に頼める人がいないんだ」
ばあちゃん達、出掛けちゃったし。
そう呟けば、背後でロクロウが大きくため息を吐いた。
そう、よりにもよって祖母やお手伝いが皆揃って出張へ行くタイミングで、蓮夜は体調を崩してしまった。年に何度か、祖母達は地域の祭事などに呼ばれて泊りがけで出かけていくのだが、運が悪いことに今日がその出張の日だった。
一日家を空けるということで、早朝に出かけていく祖母達が何か食べ物を作り置きしておこうかと提案してくれたのだが、その時は熱が低かったので断ってしまった。夕方になったら自分で何か調達すればいいかと高を括ったのだが、時間が経つにつれて症状が悪化してしまい、結局今ベッドから動けないでいる。
「なぁ、頼むよロクロウ」
覆いかぶさっているロクロウの顔を見上げるように体の向きを変える。自分の熱っぽい体臭が微かに香って内心げんなりとするが、すぐ近くにいるロクロウは気にしていない様子で蓮夜の顔をじっと見下ろしていた。
漆黒の瞳の奥には、蓮夜の知らない何かが揺らめいているように感じる。
吸い込まれそうだなと思った途端、軽く眩暈を感じて顔を顰めれば、ロクロウが再び大きくため息を吐いて体を引いた。
そのままベッドの脇に腰を戻して、続ける。
「お前さん、悪霊使いが荒いんじゃねぇか?」
「もう……ごめんて」
もはや反論することも怠くて素直に謝罪して枕に顔を沈めれば、ふいに何かが動く気配がした。のっそりと顔を上げれば、その場に立ち上がったロクロウと目が合う。
「仕方ねぇから世話焼いてやる。財布寄越しな」
「ありがとう……本当助かるよ」
ベッドから床に置いてある通学鞄に手を伸ばし、中をゴソゴソと弄って財布を取りだしロクロウに手渡す。実体を持った彼の手は、蓮夜と真逆に酷くヒンヤリとしていた。
その手を額に当ててもらえたら、さぞ気持ちが良さそうだと……ぼんやりと考える。
「満春は学校か?」
「多分……」
「多分、ね」
確信のない言い方をしたゆえに怒られるかと思いきや、ロクロウはただ気怠そうに首を鳴らしただけだった。そのまま部屋の扉へと足を向ける。
「まぁ、どうにかなんだろ。大人しく寝てろや」
「うん……ロクロウも僕のせいでいつもの調子が出ないのに、ごめん」
本日何度目かの謝罪を口にすれば、ふいにロクロウが足を止め、振り返った。
一瞬の沈黙が、二人の間に落ちる。
何か気に障る事を言っただろうかと、蓮夜が熱で回らない頭で考えれば、それを上書きするようにロクロウがはっきりと言い放った。
「心配、してんだぞ」
「え?」
「……お前さんのことは、なんでもわかるんでな」
言って、ロクロウは少しバツが悪くなったような顔をしたが、すぐに「いいから寝てろ」と指を刺して部屋を出て行った。
パタン、と扉が閉まる音がして、足音が遠ざかる。
「……本当、悪霊らしくないよ」
枕に顔を埋めるようにして呟いたそれは、誰にも聞かれることはなかった。