満春がいるとなれば、恐らく高校が一番可能性があるだろう。そんなことは悪霊であるロクロウにだってすぐわかることだった。
蓮夜の言い方だと確証はないが、とりあえず行ってみる価値はあるかと高校への通学路を進む。と言っても、歩いていると時間がかかることこの上ないので、霊体に戻って屋根から屋根へ飛び移るスタイルなのだが。
蓮夜が居れば「自分だけ上を飛んでズルい」とでも文句を言いそうだと考えつつ、ふと道路へ目を落とした時、
「……あ?」
片側一車線の道路、その脇の歩行者用通路のちょうど真ん中に、ポッカリと黒く大きな穴が開いていた。
(穴……か)
屋根から通路へ飛び降り、穴のそばに着地してみる。勿論実体化していないロクロウの存在は一般人には見えない。
中を覗き込んだ。何も見えない。
いや、厳密に言えば
「……こいつは、ひょっとすると」
そう独り言ちた時、ロクロウの横を自転車が通り過ぎた。乗っている女子中学生は穴の存在に気が付くはずもなく、その上を通過していく。だが、不思議なことに穴に落ちはしなかった。
その代わり、穴の上を通過した瞬間、得体の知れない低級霊が無数に彼女の自転車にくっついていく。
まるで取り憑かれたと言わんばかりの光景に、ロクロウは思わず刀を抜いていた。
一歩で自転車までの間を詰めると、次の瞬間にはくっついていた低級霊を一閃する。
ぎゃあと声をあげることもなく低級霊は消し飛び、自転車はそのままロクロウの存在に気づきもせずに遠ざかって行った。
(なるほどな)
カチン、と刀を鞘にしまう。
(吹き溜まりってのは、こいつか)
来た道を振り返ってみるが、穴は既になくなっていた。
***
高校までたどり着いたロクロウは門扉をくぐり、ぐるっと校舎内を霊体のまま歩き回って満春を探すも、その姿を見つけることは出来なかった。
ひょっとすると既に帰宅したのかもしれないと思い、仕方がないから校舎外を探すかと門扉へ向かって歩いていれば、背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
「ちょっと……あんたこんなところで何してんのよ」
振り返れば、肩から鞄を掛けた深雪がまるで不審者を見るような目を向けて立っていた。
「なんだ、お前さんか。お早いお帰りだな」
「今日は部活休みなの。だから早く帰って家の事やろうと思って。そういうあんたこそ、どういう用事でこんなところをほっつき歩いてるわけ?」
「好きでうろついてんじゃねぇよ。お前さんの妹を探してんだ」
「満春を?」
「ああ。蓮夜が満春に板書を頼んでるらしくてな」
言えば、深雪の表情が少し曇った。今のロクロウの言い方で何かを察したのか、一瞬躊躇うような素振りを見せた後、ワントーン下がった声色で続けた。
「なに、蓮夜……具合悪いの?」
「悪いも何も、高熱出してダウンだ。おまけに、今日に限ってばあさんや坊主達が出払ってやがるから、板書貰って来るついでに何か食いもん買って来いだとよ」
スラックスのポケットから財布を取り出して見せる。
「財布を持った悪霊……変な光景ね」
「文句なら蓮夜に言ってくれや」
やれやれと肩をすくめて、取り出した財布をポケットへ突っ込めば、深雪が「そういえば」と呟きながら鞄に手を入れた。
一拍置いて抜き出された手にはスマホが握られている。手早く操作し、ロクロウに画面を向けた。
「今思い出したけど、満春からこんな連絡が来てたのよ。今日は六限目の授業で校外活動するとかで、多分今校内にはいないと思うわ」
差し出されたそのスマホの画面を見るために、ロクロウは少しばかり身を屈める。
画面には満春と深雪のショートメールのやり取りが表示されていて、なるほど確かに、校外へ行くから帰宅が遅くなるかも……という文面が見て取れた。
「こりゃ、本格的に外を探すしかねぇな」
「蓮夜が直々に板書を満春にお願いしたんでしょ? だとしたらあの子の性格上、恐らく校外活動が終わってそのまま蓮夜の家に寄ると思うのよね。一度学校に戻るにはちょっと手間も距離もあるし」
自分が要領悪いの自覚してるからと、今度は深雪がやれやれと言うように肩をすくめた。
「蓮夜もきっと、満春がわざわざ家に持ってくるって想像ついてたんでしょ。で、風邪を移したくないとかなんとかで、先手打ってあんたに取りに来させたってとこかしら」
風が吹かれた髪の毛を抑えるようにして、耳にかけながら深雪が言う。
「……ほぉ? お前さん、探偵になれそうだな」
揶揄うように口角を上げれば、少し嫌そうな顔を向けられる。
「はいはい、そういう煽りはいいから」
「可愛くねぇなぁ」
「満春には『ロクロウが板書を取りに来てる』って私がメッセージを入れとくから、あんたうちで待ってなさいよ。まっすぐ帰ってくるようにって、送っとくから」
言いながら深雪が、素早くスマホの画面を操作して文字を打ち込む。まだ承諾すらしていないというのに、こっちに選択肢はないのかと突っかかりそうになったが……ロクロウは珍しくそれをやめた。
深雪の性格上、放っておけないのだろう。それは、今まで見て来た深雪の行動を思い起こせばすぐにわかる。とどのつまり、満春も蓮夜も、深雪の加護対象なのだ。無意識なのかはわからないが、「守ってあげないと」と思っているのが手に取るようにわかる。
ゆえに、彼女が好意で行動してくれていると、なんとなく察することが出来た。
(やれやれ、そんなもん感じるなんざ……悪霊としてどうかね)
自宅のベッドで臥せっている蓮夜の顔を思い浮かべた。
契約しているからなのか、自分もだいぶ……彼に
「ほら、連絡しといたから。さっさと帰るわよ」
スマホを鞄に仕舞い込んだ深雪が歩き出す。
「なんで一緒に帰らねぇといけねぇんだよ」
反論を口にすれば、想定していたように深雪が振り返った。
「あんたの事だから、屋根でも塀でも飛んであっという間に我が家に到着できるのはわかってるけど、それやられると、先にあんたが家に到着するじゃない? なんか待ち伏せされてるみたいで嫌なのよね」
「お前さんも、俺様みたいに飛べばいいじゃねぇか」
「馬鹿ね。私は死んでるけど、一応生きてるように幽霊やってるのよ?」
「はぁ? わかりやすく言え」
「……元々言霊とか、そういう普通じゃない力が使えるせいで霞んじゃってるけど、私こんなになっても幽霊らしい動きって出来ないのよ。死人だけど動いているような状態って言えばわかる?」
空飛んだり、浮いたり、すり抜けたり、見えなくなったり……そういうのは出来ないのと、ため息交じりに言った。
「ははぁ……なるほどな。それ聞くと、確かに見方によっちゃ、お前さんはただの人間に見えるかもしれねぇな」
「まぁ、私一人の力じゃないけどね。前も言ったけど、言霊に加えてアケビ……火車が力を補って支えてくれてるから実現してるようなものだし。アケビがいなかったら私は今頃もうここには居ないわ。実際、肉体はもうないんだもん。今は魂を術で具現化して、生きた人間のフリをしているに過ぎないしね」
「……前から思ってたが、お前さんいつ死んだんだ。肉体はどうしたんだよ」
ふと、なんとなく気になった事を口に出せば、深雪が少しばかり目を見開いた。まるでそこを突っ込まれると思っていなかったというような表情に、ロクロウもつい顔を顰める。
「……別に、いいじゃない」
拒絶するような声だった。
ふいっと踵を返して、深雪が再び歩きはじめる。どこか逃げるように遠ざかるその背中を、ロクロウは暫くの間眺めていた。
こういう時、蓮夜だったら何かと理由をつけて追いかけるのだろうと頭の片隅で考えていると、ふと曲がり角の手前で深雪が立ち止まって振り返った。
なんでついてこないのだと言わんばかりの表情に、思わずため息を吐く。
「……ついて来て欲しくないって感じだったんじゃねぇのか、今のは」
やれやれとため息を吐きながら歩き出す。
深雪に追いつけば、案の定「なんでついてこないのよ」と嫌味を言われた。ここで言い返してもまた面倒な事になりそうだと、ロクロウはただ黙って肩をすくめた。