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第三幕 蘇り始めたモノたち

 十六時過ぎの空には雲が多く、太陽が隠れてどこか薄暗い。少し崩れれば雨でも落ちて来そうな雰囲気だ。

「それはそうと、人目に見えるようにしてくれない?」

「あ? なんでだ」

「私が独りで話してるヤバイ奴だと思われちゃうじゃない」

「うるせぇなぁ……」

 文句を言いつつも、押し問答に引き問答になれば面倒な事になりかねないと、ロクロウは仕方なくその身に質量を宿した。それまでに香ってこなかった木々の匂いが、風に紛れて鼻をくすぐる。どことなく、雨が降り出しそうな匂いだと思った。

「そういえば、あんたに聞きたいことがあったのよ」

「なんだよ」

「……吹き溜まりって知ってる?」

 歩幅二歩分ほど先を歩く深雪がふと、背中越しに言う。まるで息をするように平坦に言うもんだから聞き逃してしまいそうになって、思わず眉間に皺を寄せた。

「……ああ、そういやなんか満春が言ってたな。お前さんから聞いたって言ってたぞ」

 そっちこそ情報を寄越しな、と言わんばかりの声色で言えば、立ち止まった深雪が振り返った。妹の満春と似て、澄んだ綺麗な瞳がロクロウを映す。

「私も、そんな詳しくないわよ」

 言って、ぽつりと話し始める。

「後輩が噂してたのよ。なんでもお化けが出て来る穴があって、それに遭遇したら怖い目にあうとかなんとか」

「ほぉ?」

「それに、その穴は人間にだけ作用するんじゃないかもしれないって。この世にいるお化けとかが力を増して、人を襲う原因にもなってるとかどうとか……」

 まぁどこまでが本当かわからないけどと、まるで保険を掛けるように深雪は言う。

「六怪異みてぇになるってか? 仮にそうだとして、どうして人間共にそんなことがわかるんだよ」

「……今ではめっきり聞かなくなった都市伝説だとか、怪奇現象だとか、そういうのが突然復活してるっていうのよ」

 ロクロウの頭の中に、先日の鉄道の怪異が浮かんだ。確か奴も、ここ最近になって突然何件も事件を起こし始めたと言っていたはずだ。

(仮に奴が吹き溜まりの影響を受けていたとしたら……辻褄は合うか)

 生きている人間というのは、怖いもの見たさで都市伝説や怖い話を好む傾向がある。現にロクロウが怨代地蔵に居た時だって、夜中に肝試し感覚で訪れてくる人間が後を絶たなかった。

「……なるほどな。人間の方がある意味、俺様達よりがある。それゆえに敏感だってところか」

「人間って噂話とか好きなのは否定しないわ。まぁ……今言ったこと全部が本当かどうかはまだ判断できないとは思うけど……」


 深雪がそう言った時、


「そりゃマジだぞ、嬢ちゃん」


 突如すぐ近く――深雪とロクロウの目線より遥か下方から、野太い声が飛んだ。

 二人揃って声がした方に顔を向ける。

 すると、すぐ後方の道路脇……そこに立つ電信柱の陰からぬっと一匹の犬が顔を出した。

 垂れた耳に、小汚い毛並みのその犬は……顔だけが中年男性のそれをしていた。

「ねぇちょっと……人の顔した犬が馴れ馴れしく話しかけて来たんですけど」

 思わず顔を顰めた深雪に、人の顔をした犬の怪異――人面犬が肩眉を上げる。

「なんだぁ、嬢ちゃん思ったより反応薄いなぁ? もっとこう……キャーとかワーとか言ってくれるもんだと思ってたんだが……って、なんだ、よく見りゃ嬢ちゃんも

 ハッハッと舌を出してニタニタと笑う人面犬に対して、深雪がムッとした表情をすれば、すかさずロクロウが深雪を背後に庇うようにして前に出た。

「てめぇ、人面犬か。何か知ってることがあるなら話せや」

「んー? そういうあんたは悪霊かぁ? 一体どういうパーティーなんだよあんたら」

「きめぇ面の犬には、言いたかねぇなぁ」

 見上げる人面犬に眼を飛ばしつつ、その場にヤンキーのようにしゃがみ込んだかと思えば、犬の頭を指で思い切り弾いた。

 キャンッ、と人面犬が思わず顔を背ける。

「くっそ、暴力悪霊野郎め!」

「ああ?」

「……まぁいい」

 話してやるよ、と人面犬が首をぶるぶると震わせてから、続けた。

「ちょいと前からよ、たまーに瘴気が出るが発生するようになってな、それに影響を受けた怪異や妖怪、逸話モノが調子に乗り出してるんだよなぁ、これが」

「……その穴が出現する、そもそもの原因はなんだよ」

「そこまでは知らねぇ。だが、一説では去年……一瞬開いた地獄の穴の残穢ざんえって言われてら。出たり消えたり神出鬼没だから遭遇しちまうこともあるだろうぜ、そりゃ人間殿も例外無く、な。おかげでいい迷惑だぜ、引退しちまって闇で大人しくしてた奴らも活発になっちまってるからなぁ」

 やりにくいったらねぇよ、と人面犬は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「あんま調子乗る奴が増えるとさ、俺みたいな地味な怪異は肩身が狭いのよ。あんた、結構腕っ節強そうだしよ、調子乗ってる奴らがいたらギャフンと言わせてくれるかと、期待して話しかけたんだが……」

 人面犬が、ちらりと深雪を見上げた。

「そっちの嬢ちゃんも訳ありそうだし、まぁ、防衛に回った方が無難かもな」

「どういう意味だ、こら」

 ロクロウが、間髪入れずに人面犬の耳を引っ張る。

「いてて! 暴力反対! ……いや、ほら、な? 悪霊の兄さん、あんたはともかく、だ。そっちの嬢ちゃんは……どういう訳か人間のように実体化しているが、なんだろ?」

 ロクロウの手を逃れた人面犬が、数歩距離を取る。

「初見じゃ気がつかないレベルの擬態……逆に不安だぜ。人間だと思って、標的にされかねんぞ。……まぁ、気を付けるこったな」

 人面犬はそう言い残すと、逃げるようにして電信柱の陰にサッと消えた。

 しゃがんでいたロクロウは、その場にゆっくりと立ち上がる。

 背後で、深雪がため息を吐くのが聞こえた。

 振り返れば、どこか複雑そうな表情をしている。

「人面犬って……私、そこそこ怪異とか都市伝説には遭遇してきた口だと思ってたけど、初めて見たわ」

 本当にいるのね、と呟いたその唇の動きを見ながら、同時に背後で膨れ上がった別の気配に、今度はロクロウがため息を吐いた。

「……んなら、あいつも見たことねぇんじゃねぇか?」

「え?」

 ロクロウが少し横にずれながら、自身の後方を振り返るようにして顎でしゃくる。

 曇天の空の下、遠くから微かに漏れた夕陽に照らされた道――そこに、女が一人、いつの間にか佇んでいた。


 春だと言うのに、赤いロングコート。

 地面まで付くのではないかと思うほどに長い、漆黒の髪。

 そして、顔の面積に対して、やけに大きな白いマスク――、


「――ワタシ、綺麗?」


 不自然に首を傾けながら、その女はニヤリと目元を歪めて問う。


「口裂け女⁉」

「あー……この手の輩も活発になってるってか? 百鬼夜行でも始まりそうなラインナップだな、おい。俺様の記憶が正しければ、この女が流行ったのはもうかなり昔だろ」

 コキリと首を鳴らしながら言えば、深雪がつかつかと横まで歩いてきて、ロクロウの腕を引いた。

「そういう問題じゃないわよ。どうして次から次へと……! ロクロウ、あんた悪霊だし、呼び寄せてんじゃないの⁉」

「抜かせ」


「――ワタシ、綺麗?」


 二人の前やり取りなんぞ一切耳に入っていないかのように、女は何度も同じ言葉を繰り返す。さながら壊れたレコーダーのように、少しばかりノイズ交じりのそれを繰り返す様は不気味以外の何物でもなかった。一般人の前にでも現れようものならば、瞬く間に再び流行のそれになるだろう。

 じりじりと、足を擦るように歩きながら、女は近づいてくる。


「――ワタシ、綺麗?」


「……おいてめぇ、相手は選べよ。そういうのは生きている人間様に対してやるもんだろうが」 

 面倒臭そうにロクロウが言うが、女は聞く耳を持たない。

 何度も何度も、同じ言葉を繰り返しながら近づいてくる。


「――ワタシ、綺麗?」


 その女の視線が、横にいる深雪に向けられていることに、ロクロウは気がついた。

 ゆっくりと視線を辿って深雪を見下ろせば、「何よ」と怪訝そうな表情をされる。

「……なるほどな、犬の鼻はともかく、お前さんのは完璧に近ぇってことか」

「はぁ? どういう意味よ」

 問われても、ロクロウは答えない。

 深雪を背後に庇うようにして押し下げると、自身はそのままつかつかと口裂け女の目の前まで歩み寄った。


「――ワタシ、綺麗?」


「さぁな、まぁまぁなんじゃねぇか? 面がほぼ見えねぇから判断しかねるが」

「――コレデモ?」

 不気味なくらい細く白い指が、スッとマスクの紐に伸び、ゆっくりとそれを外す。

 白い布地が取り払われたそこには、耳まで避けた大きな口。

 鋭い歯をぎらつかせた口元は、歪んでいる。

 ヒヒッと、気味の悪い声で女が笑った。


 瞬間――、


 左手に刀を出現させたロクロウが、それを右手で抜きながら女に斬りかかった。

 上半身と下半身が真っ二つになる位置で振られた刃は、まるで意志を持っているかのように鋭利に女の体を斬り分ける。

 耳を劈くような悲鳴を上げて女がその場に崩れ落ち……砂のように姿を消した。


 そこには、嘘のような静けさしか残っていない。


「……容赦ないわね」

「逆に聞くが、容赦する理由が何かあんのか」

 カチリと音がして、鞘に刀が仕舞われる。

「牙を剥く奴は、斬り捨てるに限る」

「おー……こっわ」


 振り返ったロクロウの目が、鋭く光った。


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