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第七幕 人魚の声

 満春の叫び声が蓮夜の耳に届いたのは、自動販売機のボタンを押そうとした瞬間だった。

「⁉」

 ゾクリとした気配に、思わず振り返る。

 いつの間にか太陽を覆い隠すような分厚い雲が出現していた。

 生ぬるい風が吹きつけ蓮夜の髪を揺らしつつ流れていく中、何か嫌な気配が浮上していることに気づく。

(まさか……!)

 蓮夜は慌ててもと来た道を引き返す。

 数十メートルしか離れていない。間に合わないはずはないと自分に言い聞かせて走れば、目の前に衝撃的な光景が飛び込んできた。

 満春が、今まさにもう一人の満春――コイトサンに引き摺られ、手すりから下の海へと引きずり込まれそうになっていた。


「満春ちゃん‼」


 引き摺られたままの満春は、手すりから体の半分を乗り出しながらも、懸命にこちらを振り向いた。

「蓮夜君……」

 今にも泣きだしそうな瞳が、蓮夜を捉えた。

「満春ちゃんを放せ‼」

 すぐさま満春に駆け寄り、コイトサンから彼女を奪い返そうと体を引っ張る。だが、海に引き込もうとする力は強い。満春の体に爪を立てそうになってしまう。

「……っ!」

 満春の体を傷つけるわけにはいかない。だがこのままでは確実に海に落ちてしまう。

(……ごめん!)

 心の中で満春に謝罪しつつ、蓮夜は満春の腰に腕を巻き付けるように体勢を変えて、懸命に彼女の体にしがみついた。一瞬、ビクリと満春の体が震えたが、今はそんなこと気にしていられない。

 踏ん張る足がズルズルと砂を掘る。滑って体ごと持っていかれたら一巻の終わりだ。嫌な汗が全身から噴き出し、満春の体にぴったりとくっついた心臓が張り裂けそうな音を鳴らした。

「満春ちゃん……鈴は……⁉」

 苦し紛れに問いかけると、切羽詰まったような声で満春が「持ってるけど……!」と言う。

(除けの鈴を持っていても、効いてない……⁉)

 除けの鈴は蓮夜の祖母が力を込めて作っている。ある程度の怪異ならば一瞬で退けられるはずなのに、それがまるで効いていない。そもそも、除けの鈴の存在すらコイトサンは認識していないように見える。

(ただの怪異じゃないのか?)

 そういえば、コシズがコイトサンのことを怪人というような呼び方をしていた。

 頭が混乱する。この状況をどう打開すればいいのか。

 このままだとまずいとわかっているのに、どうすればいいのかがわからない。コイトサンの力は徐々に強まり、ついにその手が満春の頭に伸びた。

「きゃあ!」

 グイっと頭を鷲掴みにし、思い切り引き摺り込もうとする。

「満春ちゃん……!」

心臓の奥が冷たくなる嫌感覚が蓮夜を襲った。まるで彼女の死が目の前にあるような気がして喉の奥がカラカラになる。

(駄目だ、このままじゃ)

 無我夢中で、満春の頭を鷲掴みにしているコイトサンの手に自らの手を伸ばした。わざと爪を立てるようにして無理やりにでも引き剥がそうと、思い切り力を込める。

「手を放せ! 放せってば!」

 冷たくぶよぶよとした手に、力任せに爪を食いこませた。

 瞬間――


「⁉」


 蓮夜の心臓に、何かが絡みついた気がした。

 それはドクドクと脈打つように、蓮夜の体からを吸い出そうとしている……いや、これは恐らく満春の体に起こっていることが、触れている蓮夜にも連動して起きている。となればこれはつまり――、

(――生気を、吸ってるのか⁉)

 それを裏付けるかのように、目の前の満春の体が徐々にぐったりとしていく。呼びかけても返事をしなくなった彼女の体温が、急速に下がっていくのを指先に感じる。

「や、めろ……!」

 そうこうしている内に蓮夜自身も力が入らなくなってきた。同じように生気を吸い取られているとわかっているが、この手を放すことは出来ない。

「……満春、ちゃん! しっかりするんだ……っ」

 必死に呼びかけるも、満春の体はどんどん重たくなる。そしてそれに比例するかのように、蓮夜自身の意識も朦朧とし始めた。

(駄目だ……今気を失ったら……)

 意地でもこの手を放すまいと、コイトサンの手に爪を立てる。

 その時、ふいに蓮夜の頭の中に見知らぬ光景が流れ込んで来た。


それは、雪の降りしきる日。

 血だらけの男が、地蔵に縋るようにして息絶える。

 かと思えば、場面が転換し、暗く深い海にひとりの少女が沈んでいく。

 そして最後に流れ込んだ光景は、布団に横たわった男性が一人、誰もいない部屋で静かに息絶える姿……雪の降る寒い日に、たった一人で――。


『死ヲ、受ケ入レロ』

「⁉」

 その声で、意識が再び現実に引き戻される。

(……何だ、今の……)

 一つ目は見覚えがあった。あれは以前、ロクロウの過去を垣間見た時に目撃した……彼がまだ六朗という名の人間だった頃の最期の姿だ。

 そして二つ目。あれは恐らく満春の姉、深雪の最期だ。彼女は自らの死を隠ぺいするため、死にゆく自分の体を、暗く深い海の底へと沈めたと言っていたはずだ。

(でもじゃあ……一番最後のあの光景は……?)

 誰もいない部屋で、独り寂しく息を引き取ろうとしていたあの姿……。

(あれは、まさか)

 そう気を取られた一瞬。

 コイトサンが思いっきり満春の体を引く手に力を込めた。

「⁉」

 しまった、と思った時にはもう遅い。満春の体は蓮夜の腕をすり抜け、手すりを乗り越えて真っ逆さまに真下の海へと転落した。

「満春ちゃん‼」

 蓮夜の絶叫が響く。強く引かれた衝撃で手すりに体を打ち付けた蓮夜が、這うようにして手すりを乗り出し、自らも海に飛び込もうとした。

 しかしその蓮夜の腕を、誰かの手が掴み止める。


「下がりなさい! 蓮夜‼」


「え⁉」

 声の主は、背後から駆け寄ってきたコシズだった。

 彼女は蓮夜を後ろに下げるように腕を引いた後、自分は満春を追いかけるようにして手すりを乗り越え、そのまま真下の海へと一直線に飛び込んだ。

「コシズ‼」

 体力を振り絞って、もう一度手すりの向こうを覗き込む。バシャンと飛沫を上げた水面が見えるが、そこにはコシズどころか、満春もコイトサンの姿も見えない。

「コシズ……満春ちゃん……」

 ずるずるとその場に膝をついてしまう。もしかすると、取り返しのつかない事態になってしまったのではないか。震える手で地面を掴めば、小石が爪の間に食い込んで血が滲んだ。

「おいおい、何項垂れてやがる」

 ふいに、すぐ横で気配が膨らんだ。同時に、大きな手が蓮夜の頭を掻きまわす。

 導かれるように顔を上げると、ロクロウが手すりに足をかけるようにして、今しがた満春達が落ちていった水面を覗き込んでいた。

「ロク、ロウ……」

 蓮夜の言いたいことを察したかのように、ロクロウが口角を上げる。その姿は、ここに来た時の軽装ではなく、普段のスーツに戻っていた。

「安心しな、全部あの人魚の計算通りだ」

「……それは、」

 どういう意味だと、蓮夜の喉が絞り出す前に、遥か下の水面がバシャリと音を上げた。

「!」

 慌てて手すりから下を覗き込むと、気を失った満春を抱えたコシズが水面から上半身を覗かせていた。そしてすぐ横には、大渦の中から湧き出るようにコイトサンが姿を現す。

「コシズ……!」

 大きな声で叫ぼうとするが、生気を吸われた反動なのか、体が怠くて思うように声が出ない。

 と、横にいたロクロウがふいに「蓮夜」と水面を見据えたまま名を呼んだ。

「耳、塞いでろ」

「え……?」

「いくらお前さんでも、今の状態でまともにを聴くのはよくねぇ」

「あれ……?」

 一体何の事を言っているのか。ロクロウの視線の先に答えがある気がして、力を振り絞ってもう一度手すりの先――水面を見る。

 コシズが今まさに大きく息を吸って、何かを発声しようしていた。

 直感が動く。耳をふさげという警告が頭の中で噛み合って、蓮夜は咄嗟に手で耳を塞いだ。

 刹那――

「……‼」

 両手の向こう側で響いたのは、コシズの歌声。

 耳を塞いでいるせいでくぐもってはいるが、その澄んだ声は人間のものではない……そうハッキリと認識出来るほどに美しかった。

 そしてその歌声に対して、まるで毒を食らったかのように水面に浮いていたコイトサンが暴れ始める。

「何が起きてるんだ……?」

 バタバタと苦しむコイトサンの姿は、もはや満春の姿を留めてはいない。黒くドロドロとしたヘドロのような姿になった何かが、水面で藻掻き苦しんでいる。

「馬鹿ね、水中で私に勝てるとでも思ってるの?」

 気絶した満春を抱えたまま、コシズが右手を顔の前に掲げる。人魚の姿に戻った彼女の白い腕が、空中にスッと伸びた。

 途端、ものすごい勢いで海水が柱を上げ、次の瞬間にはコイトサンの上に覆いかぶさるようにして襲い掛かった。

「この子の死因を水難事故にしたのが、運の尽きね」

 顔の前に掲げた腕を大きく振り上げる。

 すると、まるで龍のようにうねった海水の先端にコイトサンが捉えられた。だがそれも束の間、すぐさま空中へ放り投げだされる。


「頃合いだな」


 ロクロウが、意味ありげに呟く。何が何だかわからない蓮夜は、ただただ彼を見上げることしか出来ない。

「ロクロウ……?」

 余裕そうに上がった口角。細められた目。彼がこういう顔をする時は、先が見えている時だと知っている。

 そんなことを思った矢先、打ち上げられたコイトサンがロクロウの頭上に落ちて来た。その軌道がまるで狙ったかのようで、コシズがわざとこちら側めがけてコイトサンを放り出したのだと――。

「――下がってろ」

 カチリ、と鯉口を切る音がして、ロクロウが構えた。

 蓮夜達の頭上から降り注ぐ、ギャアギャアと苦しむ声。その声の主にロクロウの視線が突き刺さる。

 と、最期の悪あがきをするかのように、コイトサンが真っ黒い身体を捩らせ幾重もの触手を生み出し、それがロクロウめがけて一直線に走った。

 だがロクロウは眉一つ動かさない。それどころか、再び小さく口角を上げた。

 直後。

 バン、バンという耳を劈くような銃声が、ロクロウの後方から空気を震わせた。幾重にも響くその音は降り注ぐ触手を器用にも全て撃ち落としていく。

(この音、サネミ……⁉)

 それが正解だと言うように、サネミがロクロウの後方に姿を現した。彼は「手筈通りに」とだけ告げた後、静かに軍帽を被り直した。サネミもまた、ロクロウのように普段の軍服に戻っているところを見ると、これは最初から彼らの中で計画されていたのではないか。

「おう。サネ、問題なしだ」

 ロクロウは背後を確認することもせず、淡々と言う。

 構えの姿勢から更に一段深く身を沈めたその瞳が、今まさに触手を無くし、丸腰も同然で落下してくるコイトサンの姿を捉え直した。


「お前さんも、運がねぇな」


 ビリっと、空気が震えた。


「獲物は――ちゃんと見定めねぇとなぁ?」


 瞬間。

 ロクロウの日本刀が目にもとまらぬ速さで抜刀されたかと思えば、それは雷撃のような光を放ち、頭上から落ちてきたコイトサンの身体を真っ二つに切り裂いた。


『ッッギャァァァアアア‼』


 コイトサンの断末魔が辺りに響き渡る。叩き切られ、二つになった塊が地上目掛けて落ちて来るが、それは瞬く間に灰のように脆く崩れ、地に着く前に綺麗に消え去った。

 最初から何もなかったかのように、海風が木々を揺らす。

(すごい……一瞬で……)

 ついさっきまでやられる覚悟をした相手が、ほんの一瞬で消えていく……その光景に思わずゾッとする。これが自分の相棒の所業だと思った時、つい背中を冷たい汗が伝った。

「思ったより骨がなかったな」

 日本刀を袖で挟むように拭ったロクロウが、それを鞘に納める。

 カチリと、冷たい音だけが辺りに響いた。

「死を与える怪人、か。余計なお世話なもんだ」

 放っておいても人はいずれ死ぬと、そう言わんばかりの口調で言ったロクロウが、地面に尻を付けるように座り込んでいた蓮夜の顔を覗き込んでくる。

「おら、しっかり息しろ」

「あ……」

「顔色悪いぞ」

 言われて初めて、自分自身の呼吸が浅くなっていることに気が付いた。生気を吸われた影響か、はたまた疲労が押し寄せて来たのかはわからない。

 深呼吸しようとするのに思うように肺に空気が入っていかず、つい喘ぐような声が漏れる。苦しくなって、胸を掴んで前屈みになれば視界の端が暗くなってきた。

(やばい、このままだと倒れる……)

 お腹に力を入れてなんとか持ちこたえようとするが、まるで穴が開いてしまったかのようにそれらはすぐにどこかへ抜けていってしまう。

 思うように自分の体をコントロール出来ない焦燥感に、心臓が不規則に音を立てる。耳のそばで血液が暴れる気持ち悪い音が響いた。

「……しゃーねぇなぁ、お前さんは」

 その時、ふいにロクロウの片腕が蓮夜の背中に回った。

 そのままグッと力を入れて、自分自身の胸の内に蓮夜の体を引き寄せる。

「え……」

 抱きしめられている、その事実を理解するのに数秒かかった。

 驚いたまま体を固くしていると、背中に回っていた手がやがて蓮夜の頭に移動し、ポンポンとまるで子供をあやすかのような動きをした後、ゆっくり体ごと離れた。

「……お前さんから俺様に供給されてる分の『気』を、少し戻してやったぞ」

「え、え?」

「何動揺してやがる。これでちったぁ体が楽になっただろ」

「……あ、本当だ」

 言われてからようやく、さっきまでの苦しさがなくなっていることに気づく。不規則に音を立てていた心臓も、今では嘘のように穏やかなリズムを刻んでいる。

「死に、引っ張られんなよ」

 立ち上がったロクロウを追いかけるようにして顔を上げる。厚く空を覆っていた雲はいつの間にか消え去り、光の筋が空から降り注いでいるのが見えた。

「ロクロウ……」

 見下ろす彼の目が、微かに細められた。


「上手くいきましたかな?」

 と、後方で事の成り行きを静かに見守っていたサネミが蓮夜達に近づいてくる。

「ああ、問題ねぇ。コシズもちゃんと下で役目を果たし済みだ」

「ふむ、どれ」

 手すりから身を乗り出し、そのままひらりと下の岩場へと降りた。近くには水面から顔を出したコシズと、その腕の中でいまだ意識を失っている満春が浮いている。

「満春さんをこちらに」

 言われた通りにコシズが満春を引き渡すと、サネミは一気に飛び上がり、蓮夜とロクロウのところに戻って来た。

「大丈夫、満春さんは無事のようです」

 息をしています、と腕に抱えた満春の顔を見る。

 後を追うようにしてコシズも水面から飛び上がり、ロクロウのすぐ横に着地してきた。人魚に戻っていた部分は再び人の脚へと姿を変え、服装もボランティアに参加した時の仕様になっている。

「ちょっと失礼」

 髪の毛を掻き上げながらサネミに近づき、抱えられたままの満春の手をまじまじと見つめた。

「うん、薬指の傷もなくなってる。完璧にコイトサンの標的からは外れたわね」

「え、ということは……」

「全て終わったってこと!」

 ブイサインを作ってウィンクをするコシズ。そのハツラツとした表情を見るに、どうやらこの度の案件はこれで本当に終息らしい。思わずため息が出る。

「……でも待って、今回って明らかにロクロウ達はこうなるってわかってる感じだったよね。ひょっとして僕達の知らない所で作戦立てたりしてたの?」

 思ったことをそのまま投げる。

 振り返ってみると、妙に上手く事が進んだと感じたからだ。

 コシズはサネミとロクロウと顔を見合わせると、ちょっと困ったように眉を下げた。

「満春ちゃんから聞いたこいとさんの特徴……コイトサンって標的になった人間が死ぬときの姿で出て来るって言われてるじゃない。満春ちゃんを襲ったコイトサンの風貌を聞いた時、すぐにこの後満春ちゃんに降りかかる死因が水死だってわかったのよ。ほら私、何百年と海で生きてたから、そういうの見慣れてるし」

「え、じゃあ海に行こうって言ったのは……」

「ええ。水難事故は海や川、プールで起こる確立が高い。満春ちゃんひょっとしてそのどれかに行く予定でもあるのかしらって思ったら……案の定海でボランティア活動があるって言うじゃない? なら、襲ってくるなら絶対ここだろうって確信があったの。私人魚だし、海で戦った方が勝てる自信があったから」

 ごめんね、と意識を失ったままの満春の頭を撫でる。

「とんだ悪女だと思ったが、まぁ作戦勝ちってところだな」

「ロクロウは気づいていたのか」

「当たり前だろ」

「私も二人から作戦を聞いた時はどうなるかと思いましたが、何とかなってよかったですな」いつの間にか軍服からボランティア仕様の軽装に戻ったサネミがにこりと笑う。

「けどまぁ、単純に今回のは、って程度に過ぎねぇだろうな」

手すりの向こうに広がった海原に目を向けて、ロクロウが言う。「どういうこと?」と問えば、どこかつまらなさそうに続けた。

「あいつに狙われて助かったやつがいねぇって言ってたが、さっき叩き切った時に確信したぜ。ありゃ芯を持たねぇ……それこそ、人間共の言い方にあわせりゃ存在が不明瞭な逸話者と同じってことだ」

「……?」

「つまりだ」とロクロウが続ける。

「口裂け女でも人面犬でも、その場しのぎでぶち殺そうがどうしようが、すぐさま他所で復活すんだ。それはあいつらが妖怪とは違って人間の噂から生まれた存在だからだ」

「人々の『あんなのがいたら怖い』や『こんな妖怪がいたら』という空想が顕現する……という具合です。ゆえに妖怪や幽霊と違って存在に芯を持たないものが多いのです」

 まぁ強力なモノで例外はありますが……とサネミが肩を竦める。

確かに都市伝説の中には実在する妖怪ではない――人間達が想像で作った話が、あたかも本当のことのように語られているものもある。

「難しくて噛み砕けないんだけど……要するに倒しても復活する……噂がなくならない限り、妖怪みたいに確実な討伐は難しいって解釈であってる?」

「ええ、だいたいあってますな。妖怪も基本死にはしませんが、一度退けられると復活まで少々時間を要します。稀ではありますが、魂にまで届く深手を負うと復活できない場合もある……人間と同じです。しかし逸話者はすぐにでもほかの場所に無傷と同じ状態で現れる。噂がゼロにならない限り消失と言う概念は奴らには存在しないといった方が近いかもしれませんな」

 その解釈がまるで正解だと言わんばかりに、風が強く吹いて木々を騒めかす。煽られた波が大きくなり、岩肌に当たってドンッと鈍い音をさせた。

「なるほど……だから退けにくくて、狙われた人は助かる術がなかったんだ。正直、今回だってロクロウ達がいないと無理だったと思う」

「だから言っただろうが、餅は餅屋ってな」

 退屈そうにロクロウが鼻を鳴らす。既に終わったことに興味がなくなったのか、はたまた完全に討伐出来ないという事実にもやもやを残しているからなのかは分からないが、どこか彼の表情はスッキリしていないようだった。

「まぁ反省会はこの辺にして、さっさと移動しましょ。満春ちゃん、濡れちゃってるから着替えさせてあげなくちゃ」

「あ、そうだよね」

 コシズが満春をサネミの手から譲り受けて背負おうとする。それを見て反射的に「あ、僕が」と名乗り出れば、コシズがちょっとニヤッと笑った。なんだよその顔……と思いつつ、ひょっとすると、一応女性同士の方がいいかと思ってあえてコシズが名乗り出たのかと思い始め、余計な事をしたのではという心配が沸いてきた。

(下心あるって思われたかも……)

 ゆっくりと歩き始めていたが、不安になって振り返る。ロクロウやサネミはともかく、コシズはまるでいいものを見たかのように目を輝かせていた。

 途端、急に恥ずかしくなって顔が熱くなる。だが今さら下ろすわけにもいかない。

 蓮夜は煩悩を振り切る様に首を左右に振って、再び前を向いた。

 背中に当たる感覚は柔らかい。温い体温と規則的に感じる呼吸に、満春が助かったんだと、胸を撫でおろす。

 指先が血で固まっていたかったけど、それすらも癒されるような安心感。

「よかった……」

つい口から出た言葉が、じんと胸に沁み込んだ気がした。


             ***


「いやぁ、一件落着ですかな」

 言ったサネミが、蓮夜の後を小走りで追いかけていく。その後姿を眺めるロクロウの横に、足音もなくコシズが並んだ。

「……中々根性あるじゃない、あなたの鞘は」

じろりと見下ろすと、口元に笑みを浮かべる。太陽に透ける髪を風が揺らしている。

「気の弱いだけの子かと思っていたけど、さすがあなたと言う刀を収めてるだけあるわね。優しいじゃない。それに強いわ」

「……っは、そうかよ」

 前を言った蓮夜達を追うようにしてようやく歩き出せば、コシズもぴったりとロクロウの横をついて歩き出した。

「いいパートナーじゃない、大切にしないとね」

 海から吹く風が、彼女の言葉を肯定するかのように再び木々を揺らした。まるで彼女の味方をしていると言うように思えて、無性に面白くない。

 つい声のトーンが下がる。

「……言われるまでもねぇよ」

 蓮夜の顔が浮かんだ。大切なものを取りこぼさない覚悟は、他人に示すものではない。

 ロクロウはあえてそれ以上何も言わなかった。





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