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第六幕 海辺

 翌日は天気予報通り、よく晴れた日だった。

 満春について海岸の清掃ボランティアに参加することにした蓮夜達は、他の参加者と同じように集合場所で主催者の説明を聞いていた。動きやすい恰好で来いとのことだったので、半袖シャツにハーフパンツという真夏の恰好を選んだが、風が少々冷たい事を考えると上着を持ってくるべきだったかもしれない。

「あら、お兄さんイケメンねぇ! お住いはどちらなの?」

「お住いですか。強いて言えばあの世なのですが、こうして麗しいレディにお会いできるゆえに、ついついこちらに長居してしまっている次第で」

「まぁレディだなんて! お兄さん冗談がお上手ねぇ!」

 ……なんてやり取りをしているサネミの横で、ロクロウが怠そうに大あくびをかます。他の婦人がロクロウに話しかけるが、彼はサネミとは違い「ああ」とか「はぁ」とか、まるで気のない返事しかしない。

 彼らも今日は一般人に紛れ込むために、あえて実体化していた。おまけにいつもの恰好だと百パーセント浮いてしまうため、郷に入っては郷に従ってもらう。ロクロウには普段のスーツを脱いで黒の半袖シャツにジーンズ、サネミには軍服の代わりに爽やかな水色の長袖シャツとパーカー、加えて白のハーフパンツを着用してもらった。

 もちろん、コーディネートはコシズである。

「ロクロウ……お前もう少し愛想よくしたら? せっかく良い背格好してるのに」

 隣に立って小声で言うと、ジロリと見下ろした彼の顔が歪む。

「何が悲しくて悪霊様が人間ごときに愛想ふりまかなくちゃいけねぇんだよ」

 鼻で息を吐くロクロウに、「でもサネミは愛想良いよ」と言えば、「あいつは英霊だろ」と、これまた微妙に答えになっていない返事をされた。

 だが出会った頃の彼を思えば、こうして人助けのために動く姿を見る限り、何だかんだ彼も変わって来ているな……と思った。


 そうこうしているうちにボランティア活動は開始され、とりあえず蓮夜は満春と終始行動を共にすることにした。白い半袖シャツに薄紫のショートパンツをはき、白い帽子を被った満春の姿は、参加している誰よりも綺麗に見える。恐らく離れていても見失わないのではないかと思ってしまう出で立ちだが、こうしてピッタリそばについていれば、何かあった時に対処できる確率が上がるはずだ。

ゆえにロクロウやサネミにもなるべくそばにいるようにお願いしていたが、ものの数十分も経たないうちにロクロウ達はふらりと何処かへ消えてしまった。

「ロクロウ達どこ行ったんだよ……」

 一体何のために同行しているのか。

 呟きながら辺りを見渡してみるが、参加者が多い上、所々に大きなゴミステーションが設置されていることもあって中々その姿を捉えることが出来なかった。

「まったく。真面目なのか不真面目なのかわからないなぁ。ロクロウはともかくサネミはサボったりしなさそうだけど」

 ゴミを拾っては配給された袋へ入れていく。空き缶やペットボトルといったゴミが思った以上に多くて、ついついため息が出てしまう。特に、浜辺から少し外れた道路の周辺なんか酷い有様だった。

「思ったよりゴミ多いなぁ」

「本当。これ全部人間が捨てたんだもんね」

「空き缶にペットボトル……ポイ捨ての吸い殻に、こっちにはアイスクリームのゴミもある」

 暑いから仕方ないか、と言えば満春が「そうだね」と相槌を返した。

「人間は自分達の事しか考えないのかな……ロクロウさん達はこういうゴミを見てどう思ってるんだろう」

 満春がどことなく、そばにいないロクロウ達を捜している気がした。

 無理もないと思う。実際、満春はコイトサンという怪人に命を狙われている身なのだ。人間である蓮夜よりも、確実に対処してくれるロクロウやサネミがそばにいてくれた方が心強いに決まっている。

「……なんかごめんね、満春ちゃん。僕だけだと頼りないかもしれないけど……なんかあったら絶対どうにかするから」

 自分の中の懸念を払拭したくて、あえて口に出してしまった。満春が否定的なことを言わないことをわかっての言葉だ。ズルいな、と自分で思った。

 正直なところ、ロクロウやサネミに比べると自分は戦闘能力も低ければ、霊能力だってまだまだ不安定である。だからと言って尻込みするわけにはいかない。

 そんなことを考えつつゴミを拾いながらも、常に気を張って周囲を警戒し続けていると、隣で同じようにゴミを拾っていた満春が、ふと足を止めた。

 反射的に、蓮夜も足を止める。何かあったのかと満春の顔を見れば、彼女はどこか嬉しそうに目元を緩めていた。

「私は、蓮夜君がいてくれてすごく安心するよ」

「え」

「いつもありがとうね」

 囁くような彼女の声が、潮風に乗って耳に辿り着く。心地が良いその響きに、思わず体が熱くなるのを感じた。

 頬が赤くなったのではないかと、咄嗟に顔を隠す様にして明後日の方向を見る。

 と、少し行った先――海が見下ろせる小さい岬のような場所にベンチがあるのが見えた。

「あ、ちょっと休憩しない? あそこ涼しそうだよ」

 咄嗟に口をついて出た。まだボランティア活動が始まって一時間も経っていないが、一度口をついて出た言葉は戻せない。なんと根性なしなんだこの男は……と思われたかもしれない。

 だが満春の反応は思ったよりも柔らかかった。

「そうだね、風が気持ちよさそう。ちょっと休憩しよっか」

 風で飛びそうになる白い帽子を押さえ、満春が微笑む。潮風にのって香ってきた花のような匂いは満春の匂いなのだろうか。

 二人は少しばかり坂を上った先にあるベンチに辿り着くと、ゆっくりと腰を下ろした。

 目の前には木製の手すりがつけられていて、その下には海が広がっている。なんとなく水辺から離れた方がいいと無意識に思っていたのか、気が付いたら浜辺を離れてこんな坂の上まで来てしまっていた。

「思った通り風が気持ちいいね」

 そう言いながら、再び帽子を押さえた満春の左手に目が行く。

 薬指には可愛らしい絆創膏が貼ってある。その下には昨日現れた傷――コイトサンの予兆が隠されていることを蓮夜は知っている。

「薬指、痛む?」

 恐る恐る問う。

「ううん、大丈夫だよ」

「そっか」

 内心ホッとするが、まだ何も解決したわけではない。当事者である満春を安心させてあげなければと思いつつも、こういう時に気の利いたセリフの一つも浮かばない自分が恨めしい。

「ロクロウもいるから、絶対大丈夫だよ」

「……うん」

 やはりいつもよりもどこか元気がない。

 日陰ではないというのに、まるで日の光を受けられなくなって萎れた花のように感じてしまう。どうにかして彼女を元気づけてあげたい。そのためには何としても今回の案件を解決しなければいけない。

 考えつつ満春の横顔を見ていると、ふいに顔を上げた満春がこちらを向いた。

 パチッと合った視線に、思わず「あ……」と声を出してしまう。

「蓮夜君は、ロクロウさんを信頼してるんだね」

「……!」

 その言葉に驚きつつも、自分自身の心に問いかけてみる。確かに、気が付けばそばにいることが当たり前になっていた。

今の自分にとって彼は……。

「……そうだね。自分でもこの気持ちをなんて形容すればいいいかわからないけど、確かに……いつも何だかんだ言って、助けてくれるんだ」

 具合が悪くなった時も、憎まれ口をたたきつつも行動してくれる。それはロクロウにきっと蓮夜を少なからず思ってくれる心があるからだと、そう信じたかった。いや、もう信じていた。

「信頼してるよ、いつでも」

言えば、満春が安心したように笑った。

五月の太陽を受けて火照った満春の笑顔に思わず見惚れそうになる。笑った時に少し細くなる瞳は、姉の深雪とそっくりだと思った。

「えっと」

 なんだか急に照れてしまって、蓮夜は慌てて立ち上がる。満春の笑顔の可愛さに見惚れてしまったなんて悟られるのが恥ずかしくて、誤魔化す様に空を見上げた。

「あ、そうだ! 僕ちょっと飲み物でも買ってくるよ!」

 言いながらごそごそとポケットを弄って除けの鈴を取り出す。何かあった時のためと、念のために持ってきていたものだ。

「これ持って待ってて! 大丈夫、すぐ戻るから!」

 満春の手にしっかりと鈴を握らせ、なるべく顔を見られないように蓮夜はその場を走り去る。本当は満春も一緒に同行させるべきだとわかっているが、今ばかりは顔を見られるのが恥ずかしかった。

 確実に自分は、満春を意識している。

 女の子として、意識してしまっていると、なぜだか自覚したのだ。

 そしてそんな感情を持った自分が、酷く照れくさくてむず痒かった。

(何考えてるんだ! こんな時なのに僕‼)

 自分で自分の頬を抓りながら、蓮夜はトイレの近くに設置してある自動販売機まで走った。


          ***


 一人取り残された満春は、ベンチに座ったまま、手の中で温もっている鈴を見下ろしていた。

「ふふ、不器用だね。蓮夜君」

 ちょっとかっこいいことを言っただけで、酷く照れてしまう彼のことを思い浮かべ、つい笑顔になる。それに満春の顔を見て照れるような仕草をすることにも気が付いていた。

(優しいから、蓮夜君)

 だからきっとロクロウも彼を助けてしまうのだろう。なんとなく放っておけないと感じさせる人なのだ。優しい分、とても繊細で脆い。

 まるで人の痛みを自分の痛みのように感じられる人だと思う。

「すっかり相棒だね、二人は」

 ロクロウと蓮夜の姿を思い浮かべる。蓮夜はああ見えて自己肯定感の低い部分がある。だから自分がロクロウに助けられてばかりだと思っている節があるかもしれないが、満春からすればそれは少し違った。

 なんというか、ロクロウの鞘だと感じるのだ、蓮夜は。

 ロクロウが肩の荷を下ろして休める場所……そんな気がしてならない。

「いいなぁ」

 なんだか、とても羨ましかった。

 心の隙間を埋め合っているような、二人の関係が。

 満春には姉の深雪がいるが、自分が蓮夜のように、深雪にとって何か役立つ存在になれているかと言われると、そうではないと思えた。

(お姉ちゃんがこの世に居続けるのは、私が心配だから……)

 深雪は満春を一人にしないためにこの世に留まっている。

 それは裏を返してしまえば、満春を一人残していくことに不安を感じているからだろう。

 とどのつまり、満春は頼りないのだ。

 以前、蓮夜はその不安を否定してくれたが、やはり心のどこかではそう思ってしまう自分がいた。深雪は自分のせいで成仏できないのではないか……と。

 満春自身が頼りないと同時に、その使命感が深雪に重たく圧し掛かっている気がしてならない。

「私は、蓮夜君みたいには……なれないな」

 うつむいた視線の先には除けの鈴。

 なんとなくグッと握ると、微かにリンと音がした。

 その時。


――ズル……ズル……。


 何かが擦れるような音が周囲に響いた。

 思わず顔を上げて辺りを見渡す。いつの間にか太陽は厚い雲に覆われていて、生ぬるい風が満春の頬を撫で始める。

「……何?」

 除けの鈴を握ったまま、その場に立ち上がって辺りを警戒する。風に吹かれた木々がざわざわと音を立てるが、それに混ざって確かに聞こえる……まるで何かを引きずっているような、いや、身体を引きずって来るかのような音――。

「……っ」

 風に飛ばされそうになった帽子を押さえようと腕を動かした時、左手の薬指に目が行く。絆創膏に覆われたはずのそこは、まるで傷口が開いたかのように真っ赤に染まっていた。

「え⁉」

 驚いて凝視すれば、それが合図になったかのように絆創膏から赤が溢れ出し、薬指を伝って腕へと滴り落ちていく。

 痛みはないのに、まるで何かが抜けていくかのように指先から冷たくなっていく。

「う、そ……」

 視線を下げ、指を見つめたまま思わず後退る。何かがおかしい。そう思った時だった。


 ベタリ。


 ベンチのすぐ目の前、木製の手すりを乗り越えようとしているのシルエットが視界に入った。同時にズル、ズル、というあの音。

這うようにして手すりを乗り越えたそれが地面に落ちた……いや、全身で着地した時、まるで濡れた雑巾が落ちるかのようなベチャリという嫌な音が辺りに響いた。

 視線を合わせてはいけない。本能が警報を鳴らす。

 全身が震えて歯が鳴りそうになった。

 逃げた方がいい、そうわかっているのにまるで金縛りにあってしまったかのように足が動かない。その間にも視界の端に映るシルエットはどんどん満春の方へと近づいてくる。


 ズル、ズル……。


 ついにそれは、俯いた満春の顔を覗き込むような形で、ヌッと視界のど真ん中に姿を割り込ませて来た。

「……っ!」

 動悸がする、瞳が震えて焦点がぶれそうになる……目の前に現れたその姿は――


 ――間違いなく、満春自分の顔をしていた。


「きゃぁああああッ‼」

 震えた喉から絶叫が漏れる。

 目の前に現れた自分――コイトサンは文字通り死人のような形相で満春に手を伸ばし、縋りつこうとして来る。

 青ざめた皮膚に、ぶよぶよとふやけた肌。水に濡れた髪を振り乱す自分の顔をしたそれは、どう見ても生きている人間のそれではない。

 まるで水死したかのような姿で、伸ばした手で満春の腕を思いっきり引っ張った。

「――ッ!」

 物凄い力で引かれたことで、前のめりにバランスを崩してしまう。踏鞴を踏みそうになった瞬間を見計らうかのようにコイトサンが更に力を込めて引っ張る。想像よりも強い力に翻弄され、満春はその場に転倒してしまった。

「いや……」

 そのままズルズルと引き摺られるようにして、ベンチの向こうの木製の手すりへ体が近づいていく。

(海に……引き込まれる……!)

 このままだと間違いなく自分は海に落とされ、溺死するだろう。

 そう考えた時、コイトサンはその人の死ぬ時の姿で現れるという事を思い出した。

(だから……そんな姿で……)

 あの夜、ベッドに現れた時にその事実に気づいていれば、満春は今日誰になんと言われようと海へ行く事を拒否しただろう。例えコシズが提案したとしても、だ。

 だが、今さら後悔しても遅い。

「だ、誰か……ッ」

 目に涙が浮かぶ。

「蓮夜君……ッ」

 手に握りしめたままの鈴が、リンッと鳴った。


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