遠くで、名を呼ぶ声が聞こえた。すると、肉が裂けた部分が温かくなり柔らかな何かに包まれるような気がした。先ほどまでは血の匂いしか感じなかったが、甘い花の様な香りもする。
ぼんやりと瞳を開けると、金色が見えて眩しい――彼女だ。
イザークは、ぼんやりとその姿を眺めていた。怪我をしている部下の治療をしているのだろう――祈るような顔は、普段はあどけない可愛らしいものなのにどこか神秘的に見えた。
「イザーク様、目覚められました?」
不意にヴェンデルガルトが振り返り、自分を見ていたらしいイザークに気が付いた。ほっとしたような安堵を滲ませた笑みで、イザークの元に駆け寄る。
「あんなに深い傷を負いながら、部下である騎士団の方を護り帰って来られたのですね。素晴らしいです――大丈夫です、傷は全て塞がりました」
「……ヴェー……? 何故君が……?」
愛称で呼ばれるのに一瞬驚いたが、ヴェンデルガルトは慌てて駆け寄ってきたライナーに視線を向けた。
「彼が、私を呼びに来てくれたんです。もう、大丈夫ですよ」
「良かったな、イザーク。あんな怪我で、よく戻ってこれたな」
頭を下げるイザークの横にカールが立ち、横になっているイザークの頭を軽く撫でた。イラっとした表情を浮かべたイザークは、その手を払いのける。
「何でカールが居るの? ヴェーだけでいいのに」
「心配して付いてきたんだよ、そんな事言うなよ」
拗ねるような口振りで、カールは唇を尖らせた。それを「ふん」と鼻先で笑いながら、イザークは上体を起こした。慌ててヴェンデルガルトがその体を支える。
「あの温かさは、ヴェーの魔法だったんだね。とても気持ち良くて、ハマりそうだなぁ……」
うっとりとしたようにそう呟くと、イザークはヴェンデルガルトに額にキスをした。それを見たカールが大声を上げる。
「イザーク! お前ヴェンデルに何するんだよ!?」
慌てて、カールはヴェンデルガルトをイザークから引き離す。ヴェンデルガルトは、ほぼ初対面の筈の彼が自分に親しくしているのに心当たりがなく、不思議そうに整った顔のイザークを見つめた。
「ヴェーの母親みたいだね、カール。ヴェーは君のものじゃないよ」
起き上がったイザークは、血まみれの騎士服を脱ぎだす。それに気が付き、慌てたのはヴェンデルガルトだ。赤い顔のまま慌てて立ち上がる。
「あ、あの! お着替えでしたら私部屋を出てますね。失礼します!」
「あ、ヴェー!」
急いで部屋を出るヴェンデルガルトにイザークが声をかけるが、彼女は赤い顔のまま部屋を出た。
「詳しい話は、後で聞く。俺は、ヴェンデルの護衛に戻るからな」
カールはそう言うと、急いでヴェンデルガルトの後に続いた。残されたイザークの元に医者が来ると、彼は驚いたようにイザークの身体にあった傷を確認する。
「まさか……本当に傷が塞がっている上に、傷跡すらもない。一瞬で、まさか……」
彼の言うように、イザークの身体は綺麗に傷がなくなっていた。血まみれの騎士服が不自然なくらいだ。
「お前たちはどうだ?」
イザークが怪我をした部下達に声をかける。
「聖女様のお陰で治りました!」
「奇跡の光で、俺も治りました!」
部下たちが、歓喜の声を上げる。しかし、ライナーは少し声を落とした。
「最初に狙われたものは、間に合わず亡くなってしまいました……」
「そうか……残念だ」
十名で三匹のバウンドに不意を襲われたのだ。一匹が怪我を負っていた。それを護る為に、通りかかった部隊を威嚇したのだろう。意識を失う前に、三匹を倒した記憶はあった。カールの戦闘能力が五人の中で一番高いからあまり目立たないが、イザークは頭を使った戦いでは十分強かった。怪我をした一匹は部下たちが倒したが、残り二匹を倒したのはイザークだ。
「疲れはあるが、身体は動くな。風呂に入って、ジークハルトに報告に行くよ」
「団長、大丈夫ですか?」
心配そうにライナーが声をかけるが、イザークはため息混じりに答えた。
「お前たちは休んでいてくれ。ジークハルトはうるさいから、さっさと報告して僕も休む。亡くなった団員への慰労金の手配だけ頼む」
「分かりました」
イザークは、医務室の裏にある簡単な風呂場に向かい生乾きの血を洗い流した。怪我をするのは、毎度の事だ。しかし、今回の怪我は嬉しみがある。彼女が治してくれた傷の後は、温かくて気持ちが良く――何より、彼女の香りがした。
彼女の身体から漂う香りが自分からも感じられることに、イザークは喜びを感じていた。
目覚めてから、仕事の合間に彼女を見ていた。ギルベルトもカールもランドルフも、邪魔だ。
「――彼女は、僕のものだ」