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兆し

 抱っこしたルーシーを花に近づけてやると、尻尾を振りつつクンクンと花の匂いを嗅いだが、食べられなさそうだと分かったのか、今度は下ろせと少し身をよじる。

 俺は要求に従って地面に下ろしてやった。随分大きくなったなとは思うが、こういうところはまだ子供だ。我が儘、と言えばそうなのだろうが微笑ましいほうが強いな。


 地面に降りたルーシーはフンフンと空気の匂いを嗅ぎ始めた。


「近くに何かいるのかな」


 その様子を見た俺が言うと、サーミャもルーシーと同じように鼻を動かす。ルーシーとクルル、ハヤテに次いで鼻が利くのはサーミャだ。


「うーん、アタシには分かんないな」


 サーミャは首を横に振った。リディがスッと目を閉じ、しばらくそうしていたが、やはり首を横に振った。


「魔力の乱れも特にないですね。近くに魔物がいるわけでもなさそうです」

「ふむ……。じゃあ、特に何もいないってことか」

「でも、ルーシーが何もなく反応するかしら」


 ディアナがそう続ける。子供っぽい部分も多いとは言え、成長してきてもいるし、賢い子だ。ディアナの疑問ももっともだな。

 ヘレンがサーミャに声をかける。


「ちょっと辺りを探るか?」

「うーん」


 サーミャがおとがいに手を当てた。異常やその兆候がないかのチェックも今回の目的だ。それを考えれば、移動メインにするのはここらで終いにして、探索をメインに切り替えてもいいかも知れない。


「うん、ちょっと辺りを探ってみよう。アタシも気になるし」


 サーミャは頷いたあと、皆を見回すようにしてそう言った。普段、狩りに出ているときもこんな感じなんだろうな。

 ずっとこの森で暮らしてきたサーミャを中心に、それぞれで意見なんかを出して判断する。

 俺の知らない皆の姿が少し見えた気がして、なんとなく嬉しさを覚えた。


 花のあったところの周囲を、渦を描くように何かがないかを探す。足跡や血痕のような分かりやすいものは勿論だが、匂いのような分かりにくいものも、である。

 しかし、探すものが明確ならばともかく、あるかないか分からないものを探すのは難しい。何もないと思っても、本当にないのか、それとも見落としているのかは判別できないからだ。


「やっぱり何もないのかなぁ」


 俺達より頭一つくらい高い位置から辺りを見渡してアンネが言った。彼女の役割はその身長の高さを活かして、ざっくり周辺に何かないかを探ることだ。

 アンネのレーダーには何もかからなかったらしい。だが、ルーシーは時折立ち止まっては鼻をヒクヒクさせているし、頻度は低いがクルルもだ。

 2人の様子からすると本当に何もない、というわけではなさそうだ。


 ルーシーの鼻ヒクヒクの頻度から言って、何か見つかるならそろそろ見つかる、逆に言えば切り上げても良さそうなくらいの時間が過ぎた。


「うーん、よし!」


 屈んで足跡(もちろん人と獣の両方のだ)を探していたサーミャが立ち上がった。これは異常なしと判断したかな。

 茂みを探していたリケもその手を止めてサーミャのほうを見た。それに気づいたサーミャが頷き、リケも頷く。


「そろそろ……」


 サーミャがそこまで言ったときだ。


「わんわん!」


 少し離れたところで、ルーシーが茂みに向かって吠えはじめた。茂みからは何も聞こえてこない。俺達には可愛らしいとさえ思える声だが、そこそこにしっかりした身体の狼に吠えられているのだ、全く無反応でいられるだろうか。


 ルーシーを歯牙にもかけないような“何か”であれば、吠えられたところで無視することもあるか。その場合、危ないのは――。


 俺とディアナは同時に同じことに思い至ったらしい。2人ともヘレンもかくやのスピードでルーシーと茂みの間に割って入る。

 すぐにディアナがルーシーをなだめる。俺はそれを見てから、ルーシーが吠えていた茂みを、“薄氷”の鞘でそっとかき分けた。

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