翌朝、俺はいつものとおりに朝の日課を済ませた。娘たちは親の苦悩は知る由もなく――よしんば人語を完全に理解できたとしても仕事の愚痴を娘たちに言うつもりはまったくないのだが――元気にはしゃいでくれて、活力を得るのに一役買ってくれていた。
それに、水汲みの行きも帰りも風は爽やかだったし、未知の素材とぶつかるための気力は十分に溜まってくれた。
「よし、それじゃあやるか」
フニャフニャとした、しかし、形状的には明らかにそれとわかるドラゴンの鱗を前に、俺は気合を入れる。
「叩く……は意味がなさそうだな。熱には強いんだっけか」
「炎のブレスを吐くらしいですからね」
「なら強そうだな」
前の世界でも自分が負傷したり、あるいは死んでしまったりといったことを顧みない攻撃や防御の手段をもった生物もいたが、流石にドラゴンみたいな希少種が己の炎に害されるようなこともないだろう。
であれば鱗も高温に耐えるようになっていると考えてよさそうだ。いやまぁ、背びれ状のところに血管が集中していて熱交換器みたいになってる、みたいな可能性もなくはないが、そもそも耐えられるほうがシンプルだし。
俺とリケは2人でドラゴンの鱗をしげしげと眺める。
「できれば3分割くらいにして何回か試せるようにしたいが、切れるかな」
「どうでしょう。本来は硬いんですよね」
「柔らかすぎて切れない、のほうも有り得るな」
「ああ、確かに」
感覚的には分かりづらいが、あまりに柔らかいとなんというか刃が入らずにうまく切れなかったりするのだ。
「とりあえずやってみよう」
俺は自分のナイフを取り出して、おおよそ1/4ほどのところで切り分けてみた。予想に反し鱗はスッと切れた。感触的には、はんぺんあたりが近いだろうか。
とにかく心配したようなことはなく、あっさりとドラゴンの鱗は切り分けられた。俺は大きい方を脇にどけて、小さい方を手に取る。
「こっちのほうがありがたいけど、ちょっと拍子抜けはするな」
「ですねえ。これで攻撃を防げるとは思えないですし」
「うん、やっぱりドラゴンには、なにか秘密があるんだな」
俺とリケで顔を合わせて頷く。ふにゃふにゃだし、武器を防ぐのは前の世界の防刃ベストの素材のようになっているからかとも考えたが、いかにとんでもない切れ味の俺のナイフといえども、ランスの一撃を防ぐほどのものが抵抗もなくスッパリ切れることは少し考えにくい
であれば、その身体に秘密があるとするのが道理のように思える。
「加熱と……あとは魔力かな……」
魔力をこめた物質はいろいろな性能が上昇する……ようだ。詳しいところはチートの感覚でもインストールの知識にもないのでわからないが、実際の経験上そうとらえるしかない。
とりあえずシンプルに加熱だけをしてみて、その後は魔力をこめる実験をするということを、リケと計画した。
加熱を試す前に、もう少し切り分けておこうと大きいほうのドラゴンの鱗を手に取ると、金属の立方体が姿を現した。切り分けたと言ってもドラゴンのウロコ、そこそこの大きさがあるのだ。
「うわ、しまった」
昨日失意のうちに作業を終えたので、カリオピウムを置きっぱなしにしてしまっていたらしい。それを知らずカリオピウムの上にドラゴンの鱗を被せるように置いてしまっていたのだ。
だからと言って何が起こることもないだろうが、鍛冶屋としてだらしないことには違いない。
「ん?」
ドラゴンの鱗を一旦リケに預け、カリオピウムは片付けておこうと思った俺はその表面が少し変化していることに気がついた。
カリオピウムは虹色に反射するのだが、それが若干歪んでいるような……。
「どうしました?」
「ほら、これ」
俺はリケにカリオピウムを差し出す。窓から入る陽光が照らし、キラリと光った。
「あれ、なんか虹色じゃなくなってますね」
「だよな」
カリオピウムを金床に置いて、俺はハンマーで叩いてみた。キィンと澄んだ音がするが、やはりおかしい。
「なんか、音もおかしくないか?」
「ですね。昨日聞いたのとは違っているように感じます」
リケにも同意されて、俺は腕を組んだ。何が起きているかはハッキリしないが、ドラゴンの鱗とカリオピウムの間で、なにか反応が起きていそうだ。
「やはり変化はしているっぽいな。これがいい方向ならいいんだが、ほんの少しだから分からないしなぁ」
前の世界で言えば、アルミニウムに液体のガリウムを塗ると起こる、ボロボロと崩れるように脆くなる脆化という現象なら、今回やりたいことに合致する。それをもって粉々にできればいいのだから。
しかし、固体から一気に気体に変化する昇華をさせてしまうようなら問題だ。流石にそれをインクにすることは不可能で、貴重な素材を失うことにもなりかねない。
「それじゃあ、少し放置して様子を見るのがいいのでは? 幸い鱗は切り分けることができますし」
「ふむ……」
途中から急激に反応して一気になくなってしまう可能性もあるが、いずれこのままでは手詰まりだったところでもある。やらないで悩むよりも、やってみて考えたほうが良さそうだ。
「よし、少しだけやってみるか」
「わかりました。私も気をつけますね!」
「お互い集中しちゃうから、お互いに気をつけないとな」
「はい!」
そう言って、俺とリケは小さく笑いあった。