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第3話 いのり

 朝です。

 おはようございます。

 王都を離れて、この家に移り住んで二年。

 つまり、異世界に呼び戻されてから二年。

 目を覚ます度に、目に映るモノを確認して、自分のいる場所と自分の姿を確かめる癖は、今もまだ抜けないまま。

 素朴な木組みの天井は、日本で暮らしていた頃のおれの部屋ではないし、一度目に呼び出されたときの王宮のジューの部屋でもない。

 ベッドの上、仰向けに寝っ転がったまま伸ばした腕は男のモノで、身につけている寝間着も、ひらひらした飾りのついた柔らかな絹ではなくてシンプルな綿のモノ。

 だから、今のおれは来生寿太郎でも、聖女ジューでもなくて、西の森のとば口に住むジュタ。

 ジュタのままだってことに安心して、おれは身体を起こす。


 ベッドから下りて、服を着替える。

 胸の真ん中から少し左より……ちょうど心臓の位置に、うっすらと葉っぱと蕾を図案化したような痣がある。

 ついっと指先でなぞっても、痛みも違和感も何もない。

 ため息ひとつ。

 これは前回呼び出されたときについたもので、警察に保護されたときに刺青と間違えられてちょっとした問題になったもの。

 服を身につけて、ベッドの上を整えて、窓を開ける。

 外はうっすらと白く明るい。

 おれの常識からは理解できない、別の世界。

 太陽はなくても夜明けはあって朝はくるし、夕焼けはないけど、夜はある。


「うん、おはようだ」


 独り言が癖になったのは、家族がいなくなってから。

 それまでは家族との挨拶だった。

 今はこの家で一人。

 この家は今のおれの家。

 ミリヒが、王宮を離れたおれのために用意した。

 おれの感覚でいったら3LDK。

 料理するところと飯食うところと、くつろぐところと、おれの部屋と、仕事部屋と、客用の寝室。


 部屋を出て台所で湯を火にかける。

 竈の扱いもお手の物になったもんだよ。

 湯が沸くのを待つ間に、窓を全部開けて、簡単に掃除をする。

 洗濯物を回収して洗い場に置いて、裏口の扉を開けたら、いつものように小さな花束があった。


「今日のは昨日のと違う」


 手にとって仕事部屋に向かう。

 『聖女』じゃないけど、今でも、おれは祈りを捧げるのが仕事。

 だから仕事部屋っていうか、仏間? 祭壇? よくわからないけどまあ、そういう仕様の部屋。

 『聖女』じゃないから、祈りの形は好きにしていいよとミリヒは言った。

 祈りさえすればいいらしいので、おれの家族たちがいた頃の形でいいかと聞いたら、いいよって言ってくれた。


「どんな素材をどう料理したって、美味しいものは美味しいでしょ。同じことだよ。君の心で君の気持で祈りを捧げれば、形はどんな形でもいいんだ。別にこの世界に……国の教えの形にこだわる必要はないよ」


 だから、仕事部屋の祈りの場所は、仏壇みたいにしてもらった。

 用途と形を説明して、木魚と鐘みたいなのも用意してもらった。

 祈りなんてものは知らないけど、仏壇に参るのは子どものころから毎朝の習慣で、身についている。

 仏壇の水を取り替えて、花を整えて、線香の代わりの香をたく。

 特製座布団の上に正座をして手を合わせる。


「魔訶ぁ~般若はらみたしんぎょ~ぅおおおおぅ~」


 心を込めて祈れるのは慣れた形だから、般若心経。

 ホントはあと二つくらいしか経文は覚えてない。

 でも、祈りさえすればいいらしいので、無問題。


 ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃん、兄ちゃん。

 おれは今日も元気です。




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