先日、私の胸に咲いていた痣が、ついに姿を消した。
私の『聖女』は、もういない。
私はジューを二度、失った。
私の住む世界は、こういう言い方をすると不遜だが大層寂しがり屋で、常に『祈り』を求めている。
常時ささげられる『祈り』は言わずもがな、それとは別に好みの『祈り』というものがあるらしく、時おりそこに住まう生き物に過酷な環境を与えては、下々からのあまたの『祈り』を集めるのだという。
その中から、探し出した好みの『祈り』を求めるのだ。
この世界の中に『祈り』をささげることができる者がいれば神殿に召し上げて祈らせるし、いなければどこかの国が魔方陣を駆使して別の世界から召喚する。
それゆえにわが国には『聖女』を召喚するための陣があり、その方法が伝わっている。
そうして呼び出されたのが、ジューだった。
小柄で元気がよくて、思いやり深く愛情が濃い、愛おしい人。
呼び出されて姿が変わったと、自分の本来の姿は男だと言っていたが、私の手の中で啼かせた時は嫋やかで柔らかい女性の体だった。
王になる私を支えたいのだと、多少の無茶はものともせずに聖女として励んでくれていた。
身体を合わせた後ジューの胸には、私の胸のものと対になるような、痣が浮かんだ。
「すごいな、イルスと運命なんだって……嬉しい。夢みたいだ」
花開くように笑った姿は、今もはっきりと思い出せる。
そんなジューを私は二度失ったのだ。
一度目はまだ皇太子のころ。
聖女として私のそばにいたジューを婚約者として召し上げ、婚姻を結ぼうとしていた矢先のことだった。
己が権力を求める貴族たちの陰謀によって、引き裂かれてしまった。
召喚した聖女をその血をもって陣に戻し、召喚元へ返す禁術で、ジューはその身を傷つけられたのだ。
この世界から姿を消した先を、私は知らない。
ジューの命がどうなったのか、どこに行ったのか、何もわからない。
ただ、陣の上に、夥しい血痕があるのだけが現実だった。
嘆き悲しんだのは、私だけではない。
ジューの『祈り』を欲した世界が、荒れた。
地は揺れ、割れ、山は火を噴き、空はさめざめと泣いた。
そこで妖精族の『守り人』が、わが国の陣を使って今一度ジューを呼び寄せたいと言い出した。
そのころ私はすでに即位していた。
後宮に妃候補たちが集められてはいたが、誰に手を付けることもなく放置していたころだ。
私はジューを求めていたし、他の女などどうでもよかったのだ。
どうすればよいのか考えることもできずに、ジューの血痕が残るままにしてあった陣を見て、守り人はあきれたように眉を上げた。
「守れなかった割には、未練たらたら……」
不敬な奴だと怒鳴りつけようとして、その顔に見覚えがあることに気が付いた。
ジューの世話係を買って出ていた、変わり種の妖精族だ。
「『聖女ジュー』の血がこれだけ残っているのだから、かの人が生きていれば、間違いなく呼び戻せますよ。ところでこの魔方陣、間違いがあるので掃除ついでに直していいですか?」
「間違い?」
「このお国の方々は、確実に『聖女』を国に縛り付けたかったのでしょうね。条件付けは年齢や魔力の質や孤独……このあたりは、まあ、いいとして絶対に『聖女』として呼び出すように陣が書かれている」
「それが間違いだと?」
「ほかの条件すべてが満たされた存在が男の体でも、この陣を通って呼び出される限り、『聖女』に……女の体になるようになっているんです。きっと、王族をめあわせることが前提なんでしょうね……まあ、だから、『聖女ジュー』は自分が男だと言い張っていましたが、かの人の言い分は本当だったということでしょう」
淡々と告げる守り人のその言葉に感じたのは、怒りか失望か。
生まれ育った場所から引きはがし、持って生まれた体を勝手に変え、生き方までも押し付けたというのに。
その相手を、傷つけてまで追い返した。
わが国のものがジューにしたのは、そういうことだ。
「『守り人』殿よ」
「はい」
「その申し出、今しばらく保留にしてほしい」
私の申し出に、妖精族の男は呆れたような顔をして、頭を下げた。
ジュー。
愛しい人よ。
私はどこかで生きているらしい、大事な人に呼び掛ける。
私は、あなたを守り切れないだろう。
あなたを呼び戻すことも、私には止められない。
この世界に戻ったあなたを再び手元に置いて、以前のように愛しても、きっとまた傷つけてしまう。
例えば側室を持つことで、例えばあなたより国を優先することで。
ジュー。
愛しているよ。
今の私が言葉を尽くしても、あなたのためには何もできないけれど。
私は妖精族の男に、ジューの身柄を預けることを条件に、召喚陣に手を加えることを許した。
この世界に訪れたジューを、王宮ではないところで、望む形で穏やかに暮らせるようにすること。
それが、再びの聖女召喚を許す、私の条件だ。
再び姿を現したジューは、本人の言葉通り、男の姿で。
それでも、私の愛しい人に変わりはなくて。
私は王の仮面を張り付けて微笑んだ。
「初めまして、異世界の人」
ジューと体を合わせて、胸に痣を抱いてから、ずっと。
その花は胸に咲いていた。
色あせてもうっすらとでも。
それはジューの悲しみ。
私の未練。
その花の痣が、ついに消えた。
とうとう私は、完全にジューを失ったのだ。
花が姿を消してから数日の後、私の成婚の儀で、ジューは『西の森のジュタ』と名乗り、言祝ぎの舞を贈ってくれた。
それはとても、美しい舞であった。
<END>