淡い花々に守られるようにして、その店はあった。庭先にやって来た鶯の歌が泡沫の春を慈しみ、祝福しているかのように聴こえてくる。
青年は暇つぶしの本を床に置いた。
季節の花を紹介するこの本は、出先の古書店で買った一点物だ。そこの店主が、花好きなのをきっかけに贔屓にしてもらっている。いい本を仕入れると真っ先に連絡をもらえるから有り難い。
先日も
春の訪れを待つ時が一番飲まれ、それ以外は春を祝う行事でよく振る舞われる。
噂をすればなんとやら。
本日来客のないはずの店に、癖のある声が玄関口から聞こえてきた。
「主。今日は桜餅と蓬餅と菫餅お持ちしましたよ」
思わず苦笑する。ひとりきりだと言うのに、いつも食べきれないほどの量の和菓子を持ってくる。
花見が好きな珍客は風呂敷を背負い、両手にもぶら下げている。一体中には他に何が詰まっているのか。頭に花びらをつけているのを見、“ああ、春だな”と愛おしくなる。
「俺とお前だけなのに、一体誰がそんなに食べるんだよ」
「心配いりませんよ。なにせ、桜には大食いに変える魔法がかけられてるんですから」
どう考えてもそんなものは言い訳に過ぎないのだが、庭に咲いている桜を眺めていると不思議とそんな気がしてくるから、あながちこの珍客の言うことも嘘じゃないかもしれない。
「いいなそれ。その“魔法”に乗っかってやる」
にやりと不敵な笑みを浮かべる。いつもならとっとと追い返すところだが、春だから浮かれてもしょうがないというものだ。
春より夏、夏より春だ。
青年はお茶を淹れるために席を立つ。日頃から珍しい茶葉を集める癖が、おもてなしの時により一層輝く。
青い茶器は贔屓にしてる茶屋から買ったもの。他にも美しい茶器を何点も買って、今月は言うまでもなく赤字だ。
「なあ
真の名を呼べば。「そうですね。あなたが、いますからね。あなたが」
「そりゃどうも」
互いにとって、居心地がいい相手が現れることは後生ないだろう。腐れ縁なのかもしれない。
あれは肌寒い春の夜だった。