それからの行程は、当初の計画とは大きく違ったものになってしまっていた。
ゼトロスの速さは、計画よりも遅かったのであろうか。
そうではなかった。
寧ろ、速すぎたのである。
オトゥリアの計画の方こそが、駆け抜ける速さに追いついていなかったのだ。
ゼトロスの駆け抜ける速さは、アルウィンがダイザールの街までやって来た馬よりも遥かに早かったのだ。
切り立つ崖も40フィート程度ならば余裕で飛び越えられる驚異的な跳躍力でなんのその。
29層から30層への道を守護する魔獣も、ゼトロスの一撃のもとに伸されてしまっていた。
本来ならば、中級冒険者が数人がかりでないと倒せないと言われている
それを、ゼトロスは爪を振り下ろしただけで絶命させてしまったのだ。
行く手を阻むような魔獣はゼトロスが一撃で葬り去り、疾風怒濤の快進撃。
一時間かからぬうちに29層まで続いた遺跡のある平原地帯を突破した彼らは30層への道を歩んでいる所だった。
「予想よりも1時間巻いている訳だし……凄いよ!ゼトロス!」
あまりにも早い時間短縮。やや前傾姿勢で嬉しそうに手を組んでそう言ったオトゥリア。
「けど……この先でオレらを待ち受けるのは過酷な砂漠地帯だよな?昼の間は熱砂に包まれた灼熱の世界だろ」
アルウィンはゼトロスにちらと目配せをしつつもオトゥリアに問う。
ゼトロスは氷と風の魔法を得意とするため、熱気や暑さにめっぽう弱い。
毛皮も厚く、それがゼトロスの身体の熱の放出を妨げてしまうのだ。
「砂漠地帯には所々オアシスが存在するけど、基本的に昼の暑さは50度近くて……夜の寒さは10度付近まで下がる地域だね」
「あと五時間、夜を待てばゼトロスで駆け抜けることが出来るけど……そうなれば大幅なタイムロスだろ」
王女ミルヒシュトラーセ救出に急ぎたいオトゥリアにとって、この五時間という痛手はあまりにも大きいものである。
待つことなく砂漠の大海をゼトロスで突破することはほぼ確定だった。
「予定よりも早いけど……この砂漠地帯をどうやって抜けるんだ?ゼトロスにはかなりキツいだろ?」
「砂漠……限りなく暑い地域だろう?我は毛皮も厚く、人間のように汗をかけぬ」
「砂漠を抜けた後でもゼトロスが必要だと思うし、置いていくことは出来ないよな……」
アルウィンはこの先どうするのか途方に暮れていた。
しかし、そこに。
オトゥリアの声が天から降り注ぐ救世主のように響くのだった。
「2人とも、心配しないで。解決策はあるよ」
パチンと指を鳴らし、えへんとドヤ顔を見せるオトゥリア。
アルウィンとゼトロスの会話を聞き、いつ解決策を言ってやろうかと時期を見計らっていたのだ。
「この先にはね、暑さを軽減させながら次の遺跡エリアに向かえる道があるんだよ」
「暑さを……軽減?」
目を丸くしたアルウィンは、興味津々といった様子である。
「42層まで冒険者向きに暑さを和らげるルートを王国騎士団とホッファート公爵が合同で作ったらしいよ。
その道は、砂漠を探索することなく深層へ向かいたい人への道となっているんだ」
アルウィンに説明するオトゥリアは、やけに嬉しそうだった。
口角からは絶えず幸せが溢れている。
「砂漠にはサンドワーム、サソリ、一部の鳥竜や飛竜が生息しているけど……過酷な環境だからあんまり生息してないし、暑いから冒険者は探索をしないんだ」
「……まあ、そうだよな」
「運営側としては冒険者がより活躍出来る深層を狩場としてもらいたいと思うわけじゃん?だから王国騎士団は画期的な方法で砂漠渡りの道を開発したんだよ」
曰く。
まずは、大規模な灌漑事業であった。
王都から高名な魔術師が何人も呼ばれ、土属性の魔法などでオアシスの水源から各層の入口、出口へと水路を引っ張る。
そうして、簡易的な水路ができたところに氷属性のアイススライムを放ち繁殖させたのだ。
アイススライムの冷気が砂漠の暑さを緩和させるだけではなく、絶えず蒸発する水によっても周囲の熱は冷やされる。そのサイクルによって、砂漠であるにも関わらず前エリアと同程度の気温にまで下げることに成功したのだという。
最後に、水路の両端に道を敷き詰め、アカシアの木を植えている。アカシアのこの簡易的な林が風に飛ばされる黄砂から冒険者を守ってくれるのだとか。
説明してくれたオトゥリアに対し、アルウィンとゼトロスは「おおっ…」とだけ一言。
危惧していた砂漠渡りが楽に出来てしまうという事実に、ゼトロスは少し鼻息を荒らげているように見える。
「という訳で……早速、この先に進もっか!」
オトゥリアが指差す方向にアルウィンも目を向けると広がる黄色と緑の世界が見える。
29層と30層を繋ぐ涼しい洞窟を抜けると、外の世界はもう竈の中のように暑く感じられていた。
しかし。
オトゥリアが言ったように、入口はアカシアに囲まれており、真ん中には確かに水が存在していた。
深さは10インチ程度、一番深いところでも30インチ程度だろうか。
そしてその中を、グラスの中の氷のようにアイススライムがぷかぷかと浮かんでいる。
ゼトロスがその中に四肢を入れると。
確かに周囲の温度は低く感じられた。
アルウィンはゼトロスの背から降りると、透き通る水を掬いあげた。
手に伝わる、ひんやりとした触感。
口につけると、僅かに甘みのあるような水であった。
───かなりいい水だ。スライムに浄化されてるからといって、ここまで綺麗になるものなのか?
アルウィンはその水をまた掬い、口に流し込む。
隣でオトゥリアも降りてきて、アルウィンの真似をした。
もちろん、ゼトロスも舐めるように水を飲んでいる。
「うわっ!すごく透き通ってて綺麗な水!
この水はソルジメント王国のテーヴェルの水に似てる気がする……」
オトゥリアの言葉に出てきたソルジメント王国。
それは、エヴィゲゥルド王国と東の山脈を挟んだ隣に位置する半島にある国である。
古代から芸術で栄え、街の景観や独自の料理で有名であり、ワイン造りに適した気候のため酒造業が盛んな国だ。
そして、大陸南西地域では1番、古代遺跡が多い国としても知られている。
「ソルジメント王国の水に似てるってことは、どういうことなんだ?」
アルウィンの問に、オトゥリアは間髪入れずに口を開く。
「ソルジメント王国のテーヴェル川の上流には、大規模なスライムの生息地帯があるんだ。それがここみたいに川の水を浄化して、魔素を少し含んだ水を下流へ運んでいるんだけど……
その水がペーストしたコーヒー豆とよく合うんだ!
ソルジメントで作られたコーヒーは、物によってはうちの国の50年物ワインと同価格になることもあるくらいなんだよ!」
「そっ、そうなのか……でもその、コーヒーって飲み物は王都でしか出回ってない貴重なものだろ?ジルヴェスタおじさんも王都でしか飲む機会がないらしいし、高くて当然って気がするよ」
「そうだろうね。うちの国ではコーヒーを全て輸入に頼ってるから普及してないんだ。
コーヒーって簡単に言っちゃうと、コーヒー豆をお湯に潜らせて抽出する飲み物なんだけど……
何て言うのかな、多分だけど、ソルジメント産のものは水に溶けた魔素が炎を帯びて内側からもコーヒーを温めてくれるんだ」
「そうなんだ……凄いね」
オトゥリアの勢いに、ただただ凄いとしか言えないアルウィンがそこにはいた。
目線は彼女に向けられているが、頬には汗が筋を作っている。
───正直な所、ぜんっぜん話が解らねぇ!でもそう言えば……オトゥリアは昔から興味あるものに対してはかなり語ってくれる方だったな。
アルウィンがそう思ったとき。
会話の蚊帳の外だったゼトロスが、頃合を見計らったのか声を発するのだった。
「確かに気温は丁度よさそうだが……突き刺すような日差しが我の毛皮と相性が悪いことに変わりはないな」
水路に両足を突っ込んで、そう言うゼトロス。
ひんやりとした水が跳ねて、背の上にいるアルウィンとオトゥリアの頬を少し冷やした。
「ゼトロスが日差しでキツそうなら、定期的にオレが氷結魔法をかけてもいいんだけど……どうする?」
そのアルウィンの言葉に、「頼む」とゼトロス。
アルウィンが氷結魔法を首筋にかけてやると、ゼトロスは気持ちよさそうに目を少しだけ細めていた。
「じゃあ……アルウィンが前で、私が後ろ側に乗るね。大丈夫そう?」
オトゥリアがそう問うと。
「アルウィンに氷魔法をかけて貰える以上、それが最善であろうな」
ゼトロスが返すと、アルウィンとオトゥリアは背に飛び乗った。
「じゃあ、ゼトロス、そろそろ出発できる?」
アルウィンから冷気を貰い、体力を回復させたゼトロスは「ああ!」と力強い一言で返す。
「じゃ、砂漠を突破しちゃおう」
オトゥリアのその言葉が消えるか消えぬかのうちに、ゼトロスは大きく水の上を駆け出していた。
彼女ゼトロスの背に跨りながら、跳ねる水を楽しんでいるようである。
そこからの砂漠を越える旅路は、特に特筆すべき点はないと言えるだろう。
何故なら、彼らが行ったことは安全な水路の上をゼトロスで駆け抜けたことと、アルウィンが定期的に氷魔法をゼトロスにかけてやっていただけ。
しかし、流石はゼトロスと言うべきか。
30層から今日の目標地点である40層へはたった2時間と、かなり好調なタイムでゴールインしたのである。
アルウィンが夢うつつの状態から戻った時に見た景色は、砂漠のオアシスにどっかりと佇む