「そんな馬鹿な、と思うでしょうね。でもそうなの。おそらく、それの生命力が落ちてきているのではないかしら。それで今上の…… 器としての身体自体も弱っているのだと思うの」
「するとその『落ちてきた場所』を見つけて、それを回復させると?」
いいえ、とカラシュは首を横に振った。
「その逆よ。『それ』を完膚なきまでに破壊して欲しいの」
「は?」
思わずナギは問い返していた。
「聞こえなかった?『場所』を探し当てて、『それ』を破壊しろ、と言ったのよ」
「ちょっと待って下さい……」
さすがのナギもそれには驚いた。探し当てろ、はまだいい。だが「破壊しろ」?
「資料が欲しければ幾らでも提供するわ。それに助手もつける。破壊工作にはずいぶん向いていると思う子よ」
「助手?」
カラシュはす、と手を上げる。
「お呼びですか」
あまり高くもなく低くもない声がする。ナギは気配をさせずに背後に立った者を振り返った。
「紫。あなたの仕事よ」
紫? ユカリ? やはり黒髪黒目の…… ナギは迷った。……これは一体男か女か?
背もそう高くはない。歳の頃は自分の見かけと大して変わらない。大きな目、形のいい眉。そしてほんのこころもち、厚い唇。それがまた紅も引いていないのに、ほんのり綺麗に染まっている。
髪は短いと言えば短い。正面から見れば短いだろう。耳の下くらいで切りそろえる、最近副帝都で最新流行のそれに近い。
だが少し横を向くと、それはただ前だけのことで、後ろは結構長いのだ。
つまりは自分と似たタイプの髪型だった。だがナギの髪がプラチナ色でさらさらとしているのに対し、やや彼もしくは彼女の髪には重みが感じられた。それはその色のせいだろうか。
「彼女にしばらく助手としてついていてちょうだい」
「は……」
紫はやや怪訝そうな顔をした。
「よいわね、紫」
「皇太后様のご命令であれば」
ほんの少し含みがありそうな声で紫は返事をする。ナギはまだ別に承諾したわけではないのだが。
「明日早々に、あなたがたは青海区に向かってもらいます」
カラシュは断言した。は、と紫は頭を下げる。そしてどう見ても不服そのものであるナギに視線を移した。
「あらどうしたの? それとも断固として断る所存?」
カラシュの声の調子は柔らかだった。
だがその柔らかさとは裏腹に、断れば切るぞと言わんばかりの強さが秘められている。もちろんナギもそれに気付かない程馬鹿ではない。ここで断ることがどういうことか、彼女もよく知っている。
「断りはしません」
「ありがとう」
「ですが、彼女に…… シラさんに一度会わせてもらえませんか」
ナギは気付いていたのかどうか、声のトーンがこれでもかというばかりに落ちている。ただでさえ低い彼女の声が、黒夫人と同じくらいに低くなっている。
「眠っているわよ。それでもいいの」
「別にいいです」
「そう」
*
シラは確かに眠っていた。
眠らされていたという方が正しい。おそらく耳元で軍楽隊の演奏があったとしてもぴくりとも動かないだろう、とナギは思った。
紫ともども、ホロベシ邸まで馬車が送るという。要するに、彼もしくは彼女をつれて、そのまま出掛けろ、ということだ。
馬車の用意ができるまでの時間、眠っているシラのところに居てもいい、とカラシュはナギに言った。
居てもいい。ひどくその言葉はナギの癇に触った。
自分の相棒に会ってもいい、と許可をされた。もしもこれで起きていたら、許可すらもされなかっただろう。
眠る彼女の寝台の側に寄ると、柔らかい焦げ茶の髪が柔らかな枕いっぱいに広がっている。ふっとそれに触れてみる。ついこの間別れたばかりなのにどうしてこうも懐かしく思うのだろう?
その髪の間に手を差し入れ、力の抜けたどっしりと重い頭を抱え込む。目は開かない。
空いている方の手で、内着の首のスナップをぷつ、と外す。
白い首筋があらわになる。ナギはそこに顔を埋めると、ゆっくりと、幾つかの跡を付けた。
……足音が聞こえる。手早くスナップを元通り留めると、抱え込んだ彼女の、ほんの少し開いた唇にくちづけた。反応はない。それでも構わなかった。ノックの音がする。唇を離し、どうぞと返事をした。
扉が開いた時には、シラの身体は元通り寝台に横たえられていた。何処かで見られていたとしても別に構わなかった。見たい奴には見せておけばいいのだ。勝手にすればいい。
「用意ができましたよ、ナギマエナさん」
紫が声をかける。ナギはまだ紫が男か女か区別できなかった。
「行きましょう」
紫は再び声をかける。ええ、とナギは扉へ向かった。