「……ま、歩こうか」
ナギはすっとかがむと、トランクを手にした。
「話が……」
「歩きながらの方が都合がいい」
そしてさっさと一人で歩き出した。ユカリはその後に慌てて続いた。
実際、ずっと調子が狂いっぱなしなのだ。確かに相手は、彼の主人の命じた、手助けのための相手だ。しかし、これほどに、自分が振り回される羽目になるとは、彼は考えてもいなかった。
「おそらく、次の列車で、さっきの奴らはやってくる。その前になるべくこの地を見ておきたい」
「何故」
「探しているものの手がかりが何か掴めるかもしれない」
「ではその探しているものとは、何なんだ? あなたはああ言ったけれど……」
「どう言った?」
「どうって……」
彼は口ごもる。言えない。どうしても言えない。彼女が言った、「帝国を終わらせる」なんて言葉、彼には決して言えない言葉だった。
「帝国を終わらせる、ということか?」
ユカリはその言葉に反射的に目を細めた。それは、自分にとってありえない、あってはならないことなのだ。返事をすることもためらわれる。彼は首を縦に振ることだけでようやく答えた。
「本当だ。あれが私の目的だ。……と言うか、あなたの主人の、『お願い』だ」
「あの方が――― 何故」
「さあ。そこまでは私からしたら、推測の域を出ない。あの方が本当に何を考えているかなんて、私にはさっぱり判らない。考えてみろ、私があの方に直接出会ったのは、ついこの間、いや、ほんの五日かそこらの前だ。長いつきあいというなら、あなたとの方が長い訳だ」
つき合い、だなんて。彼はその言葉に戸惑う。
「そんな…… だって俺達は」
「あの方が、どんなお考えであろうが、従うのが使命、か?」
「……」
そのナギの口調には、明らかに嫌悪感が混じっている。彼は感じる。
「別にいいけどな。ただとにかく、今回の件については、あなたも色々知っていないと、はっきり言って、私の動きが取りにくいんだ。だから聞かれれば私も話す。だが、あなたが聞かない限り、私はいちいち説明するのは嫌なんだ」
「じゃあ聞いていいですか」
「何」
「ナギあなたは、何を、具体的に探そうとしているんだ?」
ふうん、と言う様に、ナギは彼の方を仰ぎ見た。
「いきなり核心をついてきたな」
「だって、それが一番の問題でしょう」
「確かに。……ユカリ、『落ちてきた場所』のことを聞いたことがあるか?」
「『落ちてきた場所』……?」
「ここは建国の地。あなたはこの帝国の建国の由来を聞いているか?」
「一応。歴史も一応初等学校では学んだことだし」
「どうだった?」
「……初代、イリヤ大帝は、元々北西の一部族の出身だったけど、ある時、天からこの国土の統一を命じられて……」
「そう、そういう奴」
あっさりと彼女は済ませる。建国の崇高な歴史も彼女の口にはひとたまりもない。
「では聞く。あなたはそれを信じている?」
「信じるも信じていないも、それが歴史だろう?」
「まあ普通、連合の奴に言わせれば、十中八九は冗談だと笑うと思うぞ」
「は?」
ユカリは思わず立ち止まった。数歩前を歩きそうになったナギはくるりと振り返る。その拍子に、長い三つ編みがざらり、と揺れた。
「立ち止まるなよ」
「どういう意味ですか?」
「だから、そんなことは、向こうの感覚では、『ありえない』んだよ」
ナギは首を大きく回す。
「何が…… ありえないんですか?」
「だから、天から命じられて、とかそういうくんだりは、向こうの感覚で言えば『歴史』じゃあない。それはおとぎ話か、いいところ伝説だ。少なくとも、事実の積み重ねの『歴史』じゃあない」
「しかし」
「もっとも、国史としてはそれでいい。と私の師は言ったがな」
「師? それは第一中等の?」
「いや、あそこは官立だからな。そういうことは教えない。とにかく歩こう。その方が話しいい。ほら、だんだん景色が変わってきた」
確かにそうだった。ずっと駅舎から、枯れた草がさわさわと音を立てる野原に一本伸びた道を彼らは歩いていたのだが、その時いきなり、視界は開けた。
「確かに、行けば判る、とはこの通りだな」
道はそこで終わっていた。そして、そこには平地がただ大きく広がっていた。
しかも、その平地には、それまではあった草が一本も生えていない。
「……」
思わずユカリは言葉を無くした。
「……向こう側が、見えない……」
「全くだ。見える範囲に木の一本も見えない。いや、生えないのか……」
ナギはその乾いた大地に足を踏み入れる。彼女の編み上げ靴がざっ、とその土を確かめるかのように、横に動いた。乾いた土は、細かく、さっと灰色のほこりを立てる。
「死んでるな」
「死んでる?」
ナギはそれには答えずに、しばらくその平地の上をふらふらと歩く。そして時々立ち止まり、やはり先程の様に、足先やら踵やらで、その乾いた土を確かめる。
そしていきなりその場にうずくまった。ユカリはそれを見て、慌てて彼女のそばへと近づいた。
「気分でも……」
「いや」
彼女は短く答える。その目は、彼の方を見ることはなく、じっと真っ直ぐ、向こう側の見えない平地を見つめていた。
「ほら」
言われて、彼はえ、と声を立てる。彼女はまっすぐ、そのふくらんだ大きな袖にくるまれた手を伸ばしていた。ひじより先は、白い、カフスだらけの長い袖口にくるまれたそれが、真っ直ぐ先を指す。