「ねぇ、アーレ。私たち、このまま死んじゃうのかな」
「そうだね、フィーロ。八十まで生きたし、満足……なんて、できないよね」
伝染病なのだろうか。足の爛れが日に日に広がっており、熱も上がってきた。二人は死期を悟ったかのように、毛布を被り小声で話す。
人間の八十歳とエルフの八十歳は意味合いが大きく異なる。エルフの里では結婚は百過ぎてからが多い上に、二人はまだ人間の街を見たことがなかった。
一度でいいから、人の里を見てみたい。
そんな夢に取り憑かれるも、足は爛れ、熱も高くなっている。
「ううぅ。寒い、寒いよ」
「こうしてれば、きっと寒くないよ」
被る毛布を共有し、傍に密着する。
「華の精」
二人のうちどちらかが、ふと呟いた。
病を治すと言われている妖精。普段誰も近寄ることはない、パープレア大樹海の最奥に棲むと言われる華の精。
その噂は長命種、エルフの里にも響いていた。
しかし大樹海までは遠く、大樹海の麓まででも一週間はかかる。おまけに二人は満身創痍とも呼べる状態だ。二人が大樹海まで一週間で向かうのは難しいだろう。
「長老に頼んだとしても戻ってくるまでに二週間、それなら」
「うん、二人で頑張るしかないね」
二人は羽織っていた毛布を首元に寄せ、くしゃっと握る。必要な食料と荷物だけ持って二人、里を飛び出した。
***
「今日はこの森で取れる薬について、少し掘り下げて教えようと思います。三人もちょうど退屈してきたところでしょう?」
「「「っ!?」」」
シニカは辺り一面を囲う紫色の木々を見回しながら話し始める。最近教わる内容はどうにも慣れが出てきて退屈してきたところであった。見事に言い当てたシニカに三人は目をぎょっとさせる。
こほん、と咳払いを一つ。シニカは背中を向け、移動を始めた。
「少し歩きますがついて来てください。見せたいものがあります」
シーナ達はシニカに続く。
森の最奥からは遠ざかり、森の外れへ向かっているのだろうか。差し込む光が眩しくなる。
「ここは?」
「見ての通り、樹海の端です。太陽の光が眩しいでしょう」
「それはそうだけど」
シーナは困惑した。そんな心境を他所に、シニカは陽光を浴びて気持ち良さそうに伸びをする。
「どうしてここに来たのか。それもすぐに理解できますよ」
シニカはそう言うが、光が届くに連れて自分達の見知った植物が増えていく。だからこそ、シニカの意図が余計に分からなくなる。
「そうですね。例えば、あれ……でしょうか」
シニカの指差した先には雑草。否、雑草と言うにはややカラフルかもしれない。ベリーのような果実をつけ、地面からまっすぐに生えている。
「あの植物、シャノゲは咳止めの材料になります」
「へ、へぇー」
まさか、と思う。シーナが昔生活していた村でもシャノゲは至る所に雑草として生えていた。咳止めの材料になると聞き、驚愕と困惑が飽和する。
対照的に、マグとノリアは目をキラキラと輝かせていた。そんな中、突然シニカの表情が固まる。
「どなたか今、荷物を落としましたか?」
「いえ、落としてはないけど……」
シーナの反応に残りの二人も強く頷く。シニカは確かにパサリという、妙に軽い音を耳にしたのだ。マグとノリアの手元を見ても、やはり荷物を落としてはいなかった。
──シニカの目が森の外へと向かう。すると、すぐに魔法を展開した。
「【
風を操り、周囲の状態を探る。すると、シニカは目の前のある一点を指差して指示を出す。
「あの先に誰かが倒れているかもしれません。私は移動が遅いので、シーナとマグは倒れている二人を背負ってもらえますか?」
「わかったわ」
「ああ、了解」
シーナとマグは急ぎ足で森を走り抜ける。
***
「お目覚めですか。お二人共」
「「ここは……」」
少女二人は目を覚ます。家具も何も無い部屋だ。
辺りを見回していると、ぼやけた視界が鮮明になり、シニカの頭に咲いた花弁を見て口を開く。
「貴女が華の精さん、ですか?」
「ええ、私の名はシニカと言います」
上体を起こそうとして、膝下に痛みが走った。二人の口元が思わず歪む。
「まだ動かない方が良いですよ。両足に雑菌が繁殖して、膿となっていますから」
「雑菌……?」
「目に見えない小さい生き物で、時に
雑菌という言葉に違和感を覚える少女二人だったが、シニカに説明されるとついに背筋が凍る。長い耳がピクピクと震えているのが目に見えて分かった。
「実際に貴女方を運んだのは、あそこでこっそり眺めているマグとシーナです。礼を言うならあちらに」
「「助けて頂き、ありがとうございました」」
フィーロとアーレは力無く頭を下げる。痛みは全く取れていないのか、首を動かすだけでも足が痛い。辛くて辛くて涙が出る。
「私達には貴女方を助ける術があります。ただ一つばかり、お願いがあるのですが」
シニカの言葉に二人は目を丸くする。
「……私に、血を数滴分けて頂けますか?」
「血を?」
「ええ、私はこれから五つまで貴女方に質問をします。そうですね、では血を五滴ほど頂けますか?」
シニカは手の平を上に向け二人の手元へ差し出す。続けて「その分、貴女たちの病はしっかりと治しますから」シニカは言う。
シニカの真摯な眼差しに、エルフの少女二人は首を縦に振った。フィーロとアーレは人差し指の先を口の中に入れ、力強く噛む。血の滲んだ人差し指からシニカの根へ血の雫が落下した。併せて十滴の鮮血がシニカの根の上で踊る。
「取引成立ですね。さて、第一の質問です」
シニカはまず、二人をじっと観察した。足先から脛の辺りが赤く爛れている。次に目に入ったのは傷口の位置だ。脛の内側よりも寧ろ外側、ふくらはぎ周辺に傷が多い。エルフの里といえば、生活形態が人の生活から切り離されているという話も少なくない。シニカは生活する場に問題があるかもしれないと考えた。
「……貴女たちの集落について。というよりも生活で怪我をする可能性のある場所について、教えてください」
「ええと、私たちの故郷は……水が豊富な地形で、湖で水浴びをすることが多いです。衣服も脱ぐので怪我があるなら湖くらいだと思います」
フィーロの言葉に、シニカの双眸が鋭く光る。
「では、次の質問です。湖の底に尖った場所はありますか?」
「ええと、分からないです。目に見えて怪我をするような場所はないと思います」
シニカは尖った場所で怪我をしたのではないかと考えた。しかし、その質問の回答にシニカの表情が曇る。
「水浴びの時に身体が痛む……しみる感覚はありませんか?」
「いいえ。毎日の日課なので、そういった事はないです」
またさらに表情が曇った。顎の辺りに手を当てて、思考に耽る。おまけに水浴びをできるくらいには、水は鮮明ということになる。
「これは確認の質問になります。湖の水は濁ってはいませんよね?」
「はい」
湖の水が汚れていないことをシニカは再度確認した。少女の回答に水の濁りがないとなれば、傷口の原因となる場所は水の中ではないだろう。
「最後の質問です。貴女方、エルフという種族は普段……靴を履きますか?」
「どうして当たり前の質問を……? 裸足で移動しなければ獲物を捕まえられないです」
シニカの眼が見開かれる。バチリ、と脳に電気が走ったような感覚に襲われる。全ての情報が一直線に繋がったのだ。
「貴女方が今苦しんでいる原因が分かりました」
「まさか、靴……とでも言うのですか?」
「ええ、その通りです」
シニカは静かに頷く。するとシニカは火と水の属性陣を展開し、緻密な操作でエルフの少女二人の足元を洗い流していく。
温かい水が傷口にしみる。少女二人は思わず目を瞑った。次にシニカはいくつかの薬草を取って来て、それを火で
「これを温かいうちに飲んでください」
カップに入った「お茶」はいかにも苦そうである。少女二人の視線が上下左右に揺らぐ。
やがて覚悟を決めたのか、フィーロは右手でカップを受け取りアーレは左手で柄を握る。目を見開いて、二人は一気に飲み干した。
「あとはこの軟膏を毎日塗っておけば、時間が解決してくれます」
シニカはどこからかともなく、壺に充填された軟膏を取り出す。壺の中身は、褐色と緑が混ざったような色だ。
「それともう一つ、提案があります。これから貴女たちの故郷、エルフの里へ案内して頂けませんか?」
「「「ええっ!?」」」
聞き耳を立てていたシーナ達が声高に反応する。
「そこに隠れている三人をエルフの里へ連れていってもらえませんか? あの中の誰かが、里の問題を解決してくれることでしょう」
後ろを振り向き、シニカはウインクした。まばたきに込められた意味はすなわち、「三人共頑張って」というものだ。
突如与えられた
***
「シニカさん! どうして急にあんなことを!?」
「そうだよ。どうして俺達を試すような……」
「ええ、勿論。私は皆を試しています」
シーナとマグから困惑の声が飛ぶ。シニカは二人の視線を意に介さず、シーナやマグ、ノリアと一人ずつ目を合わせていく。
「私が貴方達に魔法や多くの知識を与えていったのはどうしてか覚えていますか?」
「それは、まあ……生きていくためだろ?」
マグがぶっきらぼうに答えた。
「その通りです。でもその知識は自分だけが生き残るために使われるものでもありません」
シニカは「皆が生きていなければつまらない」と言う。シニカの考えを聞いて、シーナの双眸が見開かれる。昔を思い出してか、握る手に力が入っていた。
「私は遠くから眺めているので、三人共。頑張って下さいね」
シニカはそのように締めくくると、手を二回ほど叩く。それから三人とエルフ少女二人組が大樹海を飛び出したのは、翌日になってからのことだった。