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第1部 1話 オッサン

 最寄りは渋谷駅。

 高架近くで築四十年、賃料月四万のオンボロアパート。


 私はカギを開けて中に入った。


「おぉ、久々の我が家……ってくせぇ」


 主のいない部屋は、箸を突っ込んだ食べかけカップ麺が悪臭を放っていた。

 私はカップ麺を流し台にぶち込み、ちゃぶ台の上のサイレースやら化粧道具やらをパーカーのソデで薙ぎ払った。


 ブタの金で買ったノートパソコンを開き、世界宝飾店の情報や、セキュリティ会社の情報をかき集める。

 必要道具を買いそろえ、徹夜で計画を練る。


 ウトウトしてきたら、キンキンのエナドリを喉に流し込んだ。


「脳が蜀エ縺医k」


 自分でも何言ってるのか分からん。

 フヒッって変な声が出ちゃう。


 でも、眠ってなんていられいない。

 これで人生を変えるんだ。


 そうだろう、ドブネズミは美しくねぇ! 同情した上で金もくれ!

 最悪、鉛玉に撃たれてジ・エンドでもいいさ。太く短く。


 死んだまま生きるより、常に戦うのが私の生き様だ。


 ――という訳で、アッと言う間に一か月。

 楽しいことやってると時間が過ぎるのも早い。


 私は完璧に整えたワクチン強奪計画書をリュックに詰め込み、気分ルンルン家を飛び出した。パーフェクトな計画を埋める最後のピース。


 とある人物をスカウトしに行くのだ。




 歩いている間はヒマなので、架空の脳内番組を起動する。


「私の人生はクソ・オブ・クソだ」


 脳内の私がそう吐き捨てると、インタビュアーのオネーサンが、眉間にシワを寄せた。


「何でそんなクソ人生になったのでしょう?」


 私の両親は……私が幼いころ、交通事故で死んだ。

 そして、親戚にはみなしごを引き取る足長オジサンもいなかった。


 たらいまわしの末、私は養護施設に引き取られた。

 ちなみに、私は小さいころから変わっていたらしい。


 施設ではいつもひとりだったし、ひとりでいるのが楽だった。

 だからか、特に記憶に残っていることも何もない。


 だが、そのあとは飛び切りおもしろい転機があった。

 脳内インタビュアーのオネーサンが大げさに催促する。


「聞かせてぇ!」


 十四歳になり、金持ちの家に引き取られたのだ。

 カモガワ、カモナカ……名前は忘れたけど、IT系の会社で財を成したらしい。


 彼女や妻はいない一人暮らしで、世田谷区の住宅街に一軒家を構えていた。

 二人で住むには豪勢な家で、食べるのにも困らず、欲しいものは何でも買い与えられる生活を送った。


 楽だし、当面は楽しかった――が、とびきり嫌いな時間もあった。

 週に一度、かわいらしいフリル付きの服を着せられ、ついんてーるとかいう変な髪形にされたのだ。


 いわば着せ替え人形。


 幼いながら私は、自分が美しいことを知っていた。

 大人たちの「かわいい、かわいい」がお世辞でないことも理解していた。


 生まれつき肌の色素が薄くて真っ白なくせに、髪や目は真っ黒。

 養父は「そのコントラストが良い」と繰り返し言っていたっけ。


 引き取った男――カモシカ? カモナカ?


 ブタでいいか。

 ブタの目的は分かりやすく、私の身体だった。


 実際、数か月経ってなれなれしくなったころ、襲われそうになった。

 着せ替えお人形遊び中に欲情しちゃったのだ。


 ロリコン野郎は世界の害悪。

 滅ぼせ、殺せの精神で、近くにあったゴルフクラブでメッタ打ちにしてやった。


 血の海でピクピク痙攣する養父と、折れ曲がったクラブの組み合わせは、案外ロックに見えたものだ。


「今のお前、カッコイイぜ!」


 私は捨て台詞を残し、家をあとにしようとした。

 だが、天性の心配性である私は、その後の生活を憂いた。


 結果、ブタの男の有り金や宝石をできる限り盗んだ。

 後ろ足で砂かけ、立つ鳥跡を濁しまくってブタ小屋を飛び出したワケだ。


 ブタは命こそ助かったものの、事件になるのを恐れ、通報はしなかった。

 行政も動かなかったので、これはチャンスとほくそ笑み、私は男の名義で家を借りた。


 渋谷近くの駅沿いで築四十年、賃料月四万のオンボロアパートだ。


 ここまで聞いてもらえば分かる通り。

 私の人生は、世間じゃ「失敗」と呼ばれるクソ人生ダークサイド横浜だ。


 盗みが手癖になる人生に、なるべくしてなったのだ。

 だが、失敗だろうが何だろうが生きにゃならん。


 私はコンビニで万引きした。

 忘れもしない十五の夜、人の財布を盗り、盗んだバイクで走り出した。


 最初は感じていた恐怖も、緊張感、スリルも――すぐに薄れて消えていった。

 もはや生きる為の義務感で盗みを働いている。


 罪悪感? それだけは最初からなかったなぁ。

 でも、そんな飽き性な私には、ひとつだけ飽きないことがあった。


 それは「鍵開け」だ。

 鍵開けだけは、何故か飽きなかった。





 かちゃり――。





 鍵が開く瞬間の、小気味よい音には、きっと中毒性がある。

 あの音、瞬間を、想像しただけでゾクゾクと何かが背中を駆け上る。


 甘美で、舌なめずりしたくなる衝動。

 それは、頑張った私への、世界からの祝福のように感じられた。


 世界側には、全然その気はないんだろうけど。

 私は自分のクソみたいな、でもそれなりに楽しい人生を頭の中で反芻しながら歩いた。


 いつの間にかインタビュアーのオネーサンはいなくなっていた。




 たどり着いた場所は、ホームレスの聖地と呼ばれていた公園だ。

 カラフルで下品な落書き、ゲイや立ちんぼ、情報屋、薬の売人。


 闇の住人のオンパレードだった場所は、再整備によって健全な公園に生まれ変わった。

 ――つうのは表向きのうたい文句で。


 ホームレスたちは、渋谷川脇に整備された駐輪所と駐車場の隙間でしぶとく生き延びていた。


 ベニヤと雨除けのブルーシートで建てられた掘っ立小屋は、まざりまくった悪臭を放つ。

 日向ぼっこに興じるジジイは、こちらの視線なんぞ気にもせず、汚ねぇ毛布に身を包む。


 私は奥にあるひときわ小さな家の前に立ち、前かがみになってベニヤ壁を叩いた。


「バイトしないか?」


 のれんがわりのブルーシートをかき分けて現れたのは――。

 四十代くらいのオッサンだ。


 髪はボサボサ、口ひげもボーボー。

 不健康そうな猫背、眠たげな目の男は、これでもか、と言わんばかりに眉をひそめた。


 ここの住人たちはヘルメットをしていない。

 感染すればほぼ確実に死ぬnMORT-25ウイルスだが、感染率自体は高くない。


 高い金かけてヘルメットを買うのも、循環機や酸素の購入を維持するのももったいない。

 いつ死んでも良いぜ、ヒャッハー勢なのだ。


 だが、食うために金は欲しい。

 釣り針にかかった魚が、少しだけ目を輝かせた。


「いくらくれんの?」


 対照的に、私はフルフェイスのメットを被って変換されたキレイな空気を吸引している。

 いやぁ、それにしても何だこの淀んだ空気は。


 ヘルメット越しなのに、吐き気がノドもとまで駆け上がってきた。

 一刻も早くこの場から去ってアルプスの爽やかな空気を吸い込みたい。


 でも、このオッサンの力は必要だ。

 ガマンガマン。私はヘルメットの中で眉を吊り上げて答えた。


「二億五千万円くらい?」


 オッサンは死んだ魚の目の光を一層曇らせ、ブルーシートののれんを戻した。


「ウソじゃねーって、話聞けよー」

「ウソじゃねぇなおさら聞けねーよ、銀行強盗でもすんのか?」


 私は素直に答えた。


「金庫破りをしたい。ほら、最近、情報屋たちが騒いでるだろ?」

「あー仲間から聞いたな。nMORT-25のワクチン保管してるって金庫か?」

「そうそう」


 ワクチンの相場は周知の事実だ。

 いくら情報にうといボンクラでも知っている。


 私はブルーシートののれんをかき分け、横になったオッサンに言葉を続けた。


「ワクチン一本の相場は一億円。今回の入荷は十本だろ? 〆て十憶」

「闇市で売りさばいて五億、その半分で二憶五千万ってか。算数はできるみたいだね。おーヨチヨチ」


 オッサンは部屋で横になり、屁をこきながらガリガリと尻をかいていた。

 カップ麺の空き箱にはハエがたかっている。


 おうおう、皆さん。

 これを「地獄絵図」と呼ばずに何と呼ぶ。


「でもやんねぇぞ。金庫ってのは単にパスワード分かれば開けられるってもんでもないんだ。例えば赤外線熱探知ってモンがあってな」


「赤外線探知は物質から放射される遠赤外線を検出する装置。簡単に言えば、温度を色で示してくれる装置よね。制汗スプレーとかの射出温度で無効化できるよ」


 オッサンの尻をかく手が止まった。


 私はリュックから資料を取り出してオッサンの近くに置いた。

 連日の徹夜、安アパートでまとめた計画書だ。


 私は世間一般でいう「頭の良い」人間らしい。つっても賢くはない。

 ただ、IQとかそんなのが高いだけの人間。


 しかも、道徳的観念もないオシオパスかサイコパスな上に、失うものがない。

 いわば、サイキョー。


 もちろん、ここまで大きなヤマは試したことはない。

 空き巣、万引き、スリなどのコドモ怪盗団ゴッコが関の山だ。


 だが、私は気づいていた。

 チマチマ犯罪起こしても、いつかのたれ死ぬ。


 私みたいな失敗作が金持ちになって、幸せに生きるには――。

 いつか大きな勝負をしなければならない。


 それが今だ。


 林センセーだって言ってるだろ? いつやるの? 

 いつか来る日の為、知識を蓄え、準備もしてきた。


 計画は万全だ。

 オッサンは顔をしかめつつも、あぐらをかき、その計画書に目を走らせた。


「確かに計画としてはよくできてる」

「あとは伝説の詐欺師の協力が必要なだけだ」


 オッサンは爆発頭をガリガリかいて舌打ちした。


「俺のこともよく調べたモンで」


 目の前の男――名前はシモダ、シモムラ、シバタ?

 ――忘れたが、オッサンは伝説の詐欺師だ。


 短期間で三億以上ギッたにも関わらず、直ぐに消えた。


 一説によれば依頼元のヤーさんを裏切って全額持ち逃げし、それで東京湾に沈められそうになって高跳びしたとか。


 だが、実際はこうしてホームレスになっていた。

 信頼できるスジ――タツさんの情報だ。

 オッサンは真剣な目で資料のページをめくってアゴに手を置いた。


「見ての通り、勝算はある。やるのか? やらないのか?」


 オッサンは資料を放り出すと、見定めるように私の目を見た。

 私もその濁った目を見返す。


 年齢相応のシワが刻まれた汚れた顔――渋い、とも言えなくもないが、汚いヒゲやくしゃくしゃの髪で台無しだ。


 オッサンはしばらくして目をそらし、小さくため息をついた。


「あー、腹減ったな」


 私はリュックからうまい棒を取り出し、オッサンの口にねじ込んだ。


「ちげぇ! どんだけ安い男だよ俺は。決起会なんだから叙々苑とかをだな」

「といいつつ食うんだな」


 私はうまい棒をほおばるオッサンに予備のメットを投げつけた。


「今までは運良かったかもだけど、感染したら一発アウトだ。やるからそれ被っておけ」

「いらねぇよ、俺はいつ死んでも構わねぇんだ」


 私はオッサンに無理やりメットを被らせた。

 イカした紫色で、さっき買った新品だ。必要経費。


「計画が終わるまでは死なれたら困る」

「ふげ! 苦しい! 死ぬ!」


 こうして、私はホームレスのオッサン……元伝説の詐欺師と契約した。

 名前は……何だっけ、忘れた。


 知る必要もない。

 呼ぶときは「オッサン」でこと足りる。

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