目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第1部 6話 篠崎吾郎1

 生きていてもいいことなんてない。


 それでも、生きていかなければならない。


 生きていかなければならない。


 それなら――。




 俺はその歌が嫌いだった。

 特に最後のフレーズがよろしくない。


 酔っぱらったタツさんがよく歌ってたから覚えちまったけど。

 できれば止めてほしかった。


 俺みたいな小市民にや、耳に痛い歌だった。

 そんな俺に入ってきた仕事――。


 忘れもしない。それは二年前の雨の日だった。






「成功報酬は十億。前金一億円で依頼したい」




 タツさんの目は本気だった。

 いつもの革ジャンにサングラス。


 袖から見える手の甲、指先は入れ墨で青い。

 鍛えぬいたゴツい身体と焼けた肌。


 怪しいその男は、見た目の通りの闇の住人――「情報屋」だ。

 俺は昔一度だけ世話になったことがある。


 その後はたまにゴールデン街やのれん街で顔を合わせる腐れ縁だ。

 しかし、どうにも今日は様子がおかしい。


 いつもは汚い横丁か路地裏で会うのが常だったのに、今日は家に招かれたのだ。

 情報屋が家を教えるたぁ、単に信頼関係の話じゃない。


 裏がある。嫌な予感はあった。

 歌舞伎町の大通りを少し歩き、脇道に入って見上げるテナントビル。


 昭和五十年代に建てられた五階建てのビルの五階に、タツさんの事務所兼自宅はあった。

 狭い階段を数段上り、エレベーターに乗り込むタツさんの背を追う。


 タツさんは上機嫌らしく、いつもの歌を口ずさんでいた。

 エレベーターを降りた狭い通路から、ギラギラに光る夜の街が見下せる。


 出会いカフェ、居酒屋、コンビニ、バー、ゲームセンター。

 うんざりするほどの喧騒で溢れた街をしり目に、事務所の戸を開ける。


 何かを期待していた訳ではないが、ごくごく普通の事務所が広がっていた。

 事務机が三つ、資料棚、冷蔵庫、神棚に応接セット。


 窓際には洗濯物が干され、古びた換気扇がカタカタと音を鳴らす。

 奥に見えるドアの先には、寝具などがあるのだろう。


 派手な身なりのタツさんからすっれば「らしくない」殺風景な印象だ。

 お互いヘルメットを外して置き場にしている棚の上に置く。


 俺の「嫌な予感」は的中していた。

 ソファに腰かけ、酒を注ぎながら金の話が飛び出したのだ。




「何で俺に? 自分で言うのも何だけど、他に適任いるんじゃない?」


 十億と聞いちゃ興味がないと言えばウソになる。文字通り「遊んで暮らせる」額だ。

 ――が、逆に言えば「額が額」だ。


 相応のリスクと難易度の仕事であることは間違いない。

 少なくとも、俺みたいな足を洗った小物に頼む仕事ではないだろう。


「お前が適任なんだよ、ゴロー」


 タツさんは小さく息を吐くと眉根を寄せた。怖い怖い。

 しゃがみこみ、部屋の隅に行儀よく並ぶ鈍色のアタッシュケースの一つを前に置く。


 パチンという音二つの後、開いたケースの中には、ビッシリと札束が並んでいた。

 映画やドラマでよく見るアレだ。


 嫌でも胸の鼓動が高鳴り、喉がごくりと鳴ってしまう。

 わざわざ現ナマで見せるたぁ憎い演出だ。


「据え膳、何たらって言うだろ?」

「依頼内容さえ聞いてないのに返事できるか! タツさん、人が悪いよ。知らない人についていったらいけないってガキでも知ってることだよ?」

「知らない仲でもないだろ、キョウダイ」


 こういう時に限ってキョウダイだ。

 都合がよい血縁関係に、俺はため息をついた。


「依頼内容はワクチンの強奪。数年内にワクチンが日本に来るってウワサだ」

「一本一億っつーあの?」

「そうだ。俺には昔、死んだ娘がいてな」

「待った、待った! 聞きたくない! 聞きたくなーい!」


 タツさんには恩がある。そりゃ、どんなお願いだって無碍にできない。

 でも、それとこれは話が別だ。


 オレオレ詐欺の受け子がセイゼイの俺に強奪だって?

 荷が勝ちすぎる。


「大丈夫。計画はある。お前は指示通り動くだけだ。仕事が終わったら南の島でバカンスでも楽しめばいい」


 俺はボサボサの髪を掻いた。湿った空気が肌に貼り付く。


「でもよぉ……」


 タツさんはキタネェ床に膝をつくと、床に手をついた。


「俺は……この瞬間のために汚い仕事をしてきた。前金が少ないってんなら二億出す。だから頼む……」


 生まれて初めて土下座なんてもんを見た。

 思っていた以上にみっともない。


 タッパ百八十以上あるタツさんが小さく見えた。

 タツさんはバカだった俺を助けてくれた。


 あのまま受け子を続けていたら、捕まるか半グレになっていたかだ。

 地獄に落ちる前に拾ってくれた兄貴分だ。


 前科もつかず、医者になれたのはタツさんのお陰だ。


「……っ、てまさか!」

「お前が医者だからこそ……頼みたいことなんだ」


 そう、俺のワクチン強奪計画は、ロクが持ってきたワケじゃない。

 とおの二年前から――始まっていたのだ。






「俺の娘がウイルスに感染したのは、娘が高校三年生の時だ。十二年前……ちょうどワクチンが出回り始めた頃だな」


 炭酸がなくなったのだろう。

 タツさんはロックに切り替えた酒を転がしながら言った。


「え? タツさん結婚してたの?」

「意外そうに言うな。ま、離婚したがな。俺はそれまでまっとうなサラリーマンだった。だが、ワクチンって高いだろ?」

「まぁ」


 一本一億円が相場と聞いている。


「詐欺に手を染めた。娘が一か月で死ぬかもしれないってんだ。俺に迷いはなかった。意外と詐欺師の才能があったのか、何とかワクチン三本買えるくらいの金は用意できた」


 短期間でそれだけ用意できたってのには驚きだ。

 でも、それ以上に、タツさんがサラリーマンだったことのほうが驚きだ。

 誰よりも闇の住人が板につくこの人にも、普通の人生があったのか。


「何だよ、お金が用意できたならハッピーエンドじゃん」

「うだつのあがらない親父が一億円のワクチン持ってきたんだ。都合がよすぎるだろ?」

「ま、娘さんの視点だとそうなるよな」

「受け取ってくれなかった。汚い金だって分かってたんだろうよ」

「タツさんと違って真っすぐないい娘じゃん」


 タツさんはロックのウイスキーを一気に流し込んだ。

 生まれてこのかた見たことがない、何とも言えない表情だ。


 悔しさとは違う、諦めに近い表情。

 でも、きっとそこには何の感情もない。


 時間が経ちすぎて渇ききった顔だ。それが照明の暖色で寂しげな影を作る。

 俺には破滅願望があったのかもしれない。


 医師免許取って、これから医者になるって時に、悪友に誘われるまま詐欺に加担した。

 だから――という訳でもないが、結局、俺は根負けした。


「分かった、やるよ。やればいいんだろ」


 年単位の計画。

 未練はないが、恐らく医者も辞めないといけないだろう。


 数年は海外逃亡――。

 人生計画メチャメチャだが、よくよく考えれば俺の人生に計画なんざない。


 稼いだ金は酒に消えたし、貯金なんてものもしていない。

 人間、最悪死ぬだけだと考えるポジティブ(笑)人間。


 そんな俺の本質を見抜いて関係を続けていたなら、タツさんはとんだ策士だよ。

 まぁ、それを差し引いても、ようやく借りが返せるチャンスなのかもしれない。


 それに、十年以上付き合って、何だかんだタツさんと飲む酒が好きだった。

 あぁ、やっぱ俺には破滅願望があるんだろう。


 それだけの理由で決めた。




 タツさんの武器は情報だ。

 闇の住人だけでなく、警官、芸能界、官僚に至るまで、太いパイプをいくつも持っていた。


 ただ顔が恐いイカついオッサンではない。

 義理人情を重んじる性格から顔も広かった。


 そのタツさんの人脈も、今思えば「この計画」の為のものだったのだろう。


「ワクチン奪ってどうすんだ?」


 タツさんの娘さんはもう亡くなっている。

 というか、そもそも一億円を出せばワクチンは購入できる。

 わざわざ俺を経由してワクチンを入手する意味が分からない。


「ワクチンを複製する為だ」

「答えになっていないっつの。それなら正規ルートで入手すればいいじゃん」

「それがそうもいかない。娘の件でワクチンを購入して分かった。ヤツらはワクチンが複製されないよう、その場でワクチンを投与する。そういう契約を結ばされるんだよ」

「……なるほどね」

「バカげている。人類の十五%を死に追いやったウイルスだぞ? 出し惜しみするなんざ気が狂ってる。どうりで競合が出てこない訳だよ」

「国からの命令とかでどうにかならないの?」

「色々と理由をつけて跳ねのけてるんだろうさ」

「タツさんは正義の味方になりたいんだな」


 タツさんが不機嫌そうに喉を鳴らした。


「そうだよ、悪いか?」


 今日一の悪い顔だ。

 悪びれもせずそう言う悪人顔に、酒を噴出しそうになる。


「いや、悪くねぇ。そういう理由ならテンション上がるってもんよ」


 俺は景気づけに一杯あおり、ソファに首を預けた。

 角張った氷がグラスにぶつかる音が心地よい。


 俺は自分の頭で考えられないバカだ。

 流されて詐欺に加担した。


 今はまともに医者やっているとしても、その事実はずっと残り続ける。

 どんなに忘れようとしても、ふとニュースで詐欺事件を報道していれば、苦い思い出が蘇る。


 過去を消したい訳じゃないし、帳消しにできないなんて分かっている。

 それでも、タツさんの計画に乗っかれば、何かが変わる気がした。


 それに、これは俺が決めた。

 俺の意思で決めたんだ。


「タツさん、一つ聞いていい?」

「何だ?」

「十年くらい前の話なんだけど……もしかして、この計画の為に俺を助けた?」

「当たり前だろ」


 ノータイムで認めるところがタツさんらしい。




 次の日、俺はタツさんを部屋に招いた。

 運命共同体。

 こっちも腹を括ったと伝える意味もある。

 それを分かってか、上機嫌のタツさんが軽口をこぼす。


「やけに質素な部屋だな。女作れねぇぞこれじゃ」

「そんなタツさんも一人やもめ長そうだけどな」


 ちなみに、どちらの家だろうとやることは一緒だ。

 棚から一番の酒を取り出してふるまう。

 ソファに座ったタツさんは、強盗話をツマミに酒をあおった。


「金庫を正面から突破するのは不可能だ。セキュリティが硬すぎる」


 扇風機の風を浴びるタツさんがナッツをワシ掴みにする。


「どうやって攻略すんの?」

「お前は病院に医者として潜り込んでほしい。数年がかりで現場の信頼を得る」

「まぁ、そうなるよな。その為の俺だ。んで、停電でもさせるの?」

「それがセキュリティ無効化には手っ取り早いんだが、病院だろ?」

「予備電源があるかぁ」

「どうにか病院の見取り図を用意する。それで金庫のセキュリティのラインだけ断線させる。断線なら予備電源があろうと関係ない」

「りょ」

「何だその返事は?」


 よほど理解不明だったのだろう。

 タツさんの太い眉が、むちゃくちゃに曲がった。


「にしてもこれって違法な裏取引だろ。何で病院?」

「ナナナがオーナーの病院なんだよ」

「すごい子だねぇ」

「親父から引き継いだ事業とはいえ、彼女が継いでから資産は増えている。間違いない天才だよ」


 熱をこめて何年も用意してきたことが分かる練りこまれた計画。

 それは計画の内容だけでなく、情報収集の量からも伺えた。


 俺はそれに乗っかって、仕事が終われば南の島に逃避行。

 それだけの話だった。




 渋谷駅から徒歩十分、宮益坂を上ったところにある大東山病院――。

 それが俺の新しい勤め先だ。


 夜勤のない診療科なので、これまでより労働時間は短い。

 病院に到着し、時計を見ると予定を少し押して既に七時半を回っていた。


 事前に送られてきたカードキーをかざして入館。

 今度、裏口もチェックしておく必要がありそうだ。


 そんなことを考えながら調剤室の横を抜け、事務所に入る。

 研修医はすでに机に向かい、カルテチェックを行っていた。


「あ、篠崎さんですね!」


 パタパタとスリッパを鳴らし、迎えてくれたのは若い女性看護師だ。


「はい、篠崎吾郎です。よろしくお願いします」


 瞳を輝かせ、こちらを見上げる様子は仔犬のようだ。

 宮田と名乗ったその女性は、満面の笑みで色々と説明してくれた。


「朝カンファの後に医師の皆さんも紹介させていただきますね」


 朝カンファとは朝のカンファレンスの略で、前日入院した患者を全員でチェックする会だ。

 そのあとは病棟回診だろう。


 初めての転職がまさか騙す為とは、我ながら胸が痛い。

 周囲の医者や看護師も人がよさそうで、転職したばかりの俺を気遣ってくれた。


 その気遣いが、チクチクと胸に刺さる。

 俺はもともと医者になりたかった訳じゃなかった。


 むしろ医者にはなりたくなかった。

 それでも、十年勤めていれば、やりがいも感じる訳で。


 その仕事を冒涜しているようで後ろめたさはあった。

 まぁ、この胸の痛みは、俺にもまだ善意なるものが残っていた証拠とも言える。


 前向きに受け止めよう。




 それからの二年は、急がしさもあってアッと言う間だった。

 タツさんの情報通り、ワクチンが日本で売買されることになった。


 俺はしっかり大東山病院の内科医、篠崎吾郎だ。

 だが、すべてがうまくいく訳ではない。


 計画実行の寸前で、タツさんの計画をかき乱す人間が現れた。

 渋谷ロク。十七歳の少女だ。


 網が広いタツさんは、ロクという少女がワクチンに興味を示している情報をキャッチした。

 早速、歌舞伎町のタツさん宅で会議を行う。


「ガキだろ? 遊ばせておけばいいじゃん」


 俺の提案にタツさんが肩をすくめる。


「そうもいかない。年齢は十代だが、腕はプロだ。無視できない。俺が情報の出し渋りをすりゃ、こいつは別の情報屋を当たる。そうなれば、俺らの計画に支障が出る」

「囲った方が安全ってことか。いやいや、足手まといだろ」

「ロクの腕は確かだ」

「妙な肩入れしてない? 鬼の情報屋の名が泣くぜ」

「なぁにが鬼だ。人情屋で通ってるっつうんだよ」


 俺は盛大にため息をついた。

 忖度しないタツさんが手放しで褒めるなんて珍しい。


 ロクという少女は、相当な腕なのだろう。

 ここで言う腕は「命を預けられる」そういうレベルの話だ。


 信じられないが、前の仕事内容を聞かされて納得せざるを得なかった。

 それでも、俺が答えに窮していると――。


「前金を追加で用意する」


 タツさんが血走った目で前のめりになった。

 目的の為なら金を惜しまない狂人の目だ。


「分かった、分かったって! やればいいんだろ」

「そうなれば、ロクの安全は第一だ」

「年頃の娘には優しいことで。娘さんでも重ねてるのか?」


 すごみのあるヤクザ顔で睨まれた。


「計画の難易度が跳ね上がるんだ。軽口くらい許してくれよ」


 最悪、トカゲの尻尾くらいには使えるかもしれない。

 そう思うことで納得した。


 俺は「タツさんから紹介された元伝説の詐欺師」という設定でいくことにした。

 リアリティを出す為、タツさんの過去話を設定のベースにする。


 娘のために詐欺を働き、最終的にホームレスになったことにする。

 それでロクの話を聞き、彼女の計画を探る。


 ちなみにタツさんは情報の受け渡しだけで表向きは計画に加担しない。

 さすが裏の住人のスター、卑怯すぎるぜ。




 ロクのことを知って数日後。

 俺はホームレスになりきっていた。


 ホームレス仲間もでき、昼間っから酒盛りに華を咲かせた。

 そんな俺の段ボール新居に、タツさんが訪れた。


 タツさんは屋外なのでフルフェイスのヘルメット姿だ。

 しかし、黒地に金の竜のヘルメットって……情報屋にしては悪目立ちしすぎじゃない?


「お前、ヘルメット無しで生活するとか死ぬ気か?」

「死ぬ気はねぇよ。でも、そこまでやらないとおかしいだろ?」

「感染率は低いっていうが……気休めだが予防薬くらいは飲んでおけよ」


 タツさんは差し入れのカップ麺やら鬼殺しを置いて帰っていった。

 その数十分後、顔を覗かせたのは――待ちに待った「渋谷ロク」だった。


「バイトしないか?」


 ヘルメット越しで顔はよく分からないが、若い割に落ち着いた声音だ。

 年相応の華奢な体を見て心配になる。


 相棒としては頼りないナリだ。

 ちなみに、こう見えて俺は演劇派だ。


 幼稚園のときは見事に木の演技で「本物の木みたい」と絶賛の声を浴びた。

 そんな演技派な俺は、目を輝かせながら聞いた。


「いくらくれんの?」


 どこからどう見ても物欲しそうなホームレスだろう。


「二億五千万円くらい?」


 二億五千万円――。


 ホームレスだったらどう反応するのか?

 そりゃそんな大金、逆に怖い。俺は興味ないふりをしてふて寝した。


「ウソじゃねーって、話聞けよー」

「ウソじゃねぇなおさら聞けねーよ、銀行強盗でもすんのか?」


 間を開けてロクがこぼした。


「金庫破りをしたい。ほら、最近、情報屋たちが騒いでるだろ?」

「あー仲間から聞いたな。nMORT-25のワクチン保管してるって金庫か?」


 そんな感じでやり取りを終え、タツさんの脚本通り、俺とロクは契約を結んだ。

 確かにホームレス相手なら女子高生でも気が引けない。


 よく考えたもんだよ。執念というか、妄執というか。

 ロクの印象は、その後、計画を見せてもらって変わった。


 ようやく毛の生えたガキ。

 そこは変わらない。


 だが、頭がよい。よすぎる。

 それなのに、想像力が足りていない。


 俺と同じく破滅願望でもあるのか、自己防衛故なのか。

 その両方なのか、だ。


 それに、その日は晴れていたからか、ヘルメット越しでも顔がよく見えた。

 とびきりの美形だった。


 切れ長の双眸に、ザックリ心臓を刺された気分だ。

 だが、笑わない。笑わないだけじゃない。一切の表情がない。


 笑ったらかわいいだろうな。

 そういう印象だった。




 ロクが去った後、段ボールハウスの周囲を確認する。

 小型の盗聴器が仕込まれていた。


 あの年齢で「人間とは悪である」ってのを知っている。

 オジサン悲しくて涙がちょちょぎれそうだよ。

 だが、こちとら年季が違うってもんだ。

 防音箱に盗聴器とダミー音源をぶち込む。

 これで盗聴器は無効化だ。

 騙し、騙されの騙しあい。

 それが世の中。バカなヤツだ。

 そうやって、騙されて、傷ついて、大人になっていけばいい。






「ロクの計画書だ」


 俺は例の歌舞伎町の事務所を訪れ、タツさんに計画書を渡した。

 ロクからすれば裏切り行為だろう。


 これもまたお勉強。長いものに巻かれなさい。

 タツさんはソファに深く腰掛け、書類に目を通した。


 途中、煙草の灰が落ちて、慌てて灰皿に押し付けていた。

 気持ちは分かる。計画書は読む者を熱中させる引力があった。


「……おもしろいな」


 そう、おもしろい。

 あらゆる手段でセキュリティを無効化している。


 テキストは極力少なく、絵で分かりやすく、しかし、どれもが検証済であり、現実的で説得力のある策だった。


「どうする? 俺らがこのアイディアに乗っかるか、もしくはバックアップ案にするか」

「ゴローに任せるよ」

「はぁ?」

「お前たちが一番リスクを負うんだ。現場の判断に任せる。それで失敗したとしても、俺は諦めない。次の機会を狙うだけだ」


 堂々の捨てゴマ宣言。

 作戦実行時は海外にいるんだろ。


 まぁ、良いんだけどさ。

 それよりどちらの計画を使うか、だ。


 タツさんの執念に乗るのも手だが、一つだけ懸念があった。

 タツさんのアイディアはドリルを持ち込み、分厚い壁に穴を開ける必要がある。


 最低でも一時間以上の時間がかかる。

 それは結構なリスクだ。


 時間帯も深夜か早朝に行うしかない。




 何が懸念なのかというと――。

 ナナナというワクチンのオーナーだ。


 こいつのワクチンの周囲では、どうにもキナ臭い事件が起こっている。

 ワクチンが頻繁に強盗団に襲われるのは理解できる。


 だが、そいつらはほぼ必ず死んでいるのだ。

 表向きは警察による射殺となっているが、その死体状況を示す資料が一切ない。


 何か隠したい事実があるはずだ。

 もし仮に、裏があるとしたら……。


 そして、その裏に、銃撃戦が含まれるのだとしたら――夜中や早朝は分が悪い。

 それだったら、五分そこらで金庫を開けるロクの計画が色々と御しやすい。


 ここ二年で信頼関係を築いた病院の同僚たちも巻き込めば……。


「……ロクの計画でいくよ」


 タツさんはゆっくり頷き、丸めたエロ本で俺の頭を叩いた。


「いたっ! どっちでもいいって言っただろ!」

「そうなんだけどよぉ。感情は追いつかないものなの!」


 決行日を前に、明日、タツさんは日本を発つ。

 その前にやっすいデリバリーピザを囲んでのお別れ会だ。


「俺はこの日の為に危ない橋ばかり渡ってきた」

「人類平和の為だろ?」

「動機が尊ければ、何やってもいいってか?」

「俺は結果主義でね」


 タツさんが黄ばんだ歯を見せて笑った。


「サラリーマンの頃、社長に問われたことがある。過程と結果、どっちが大事かと」

「タツさんはどう答えたんだ?」

 一拍おいてグラスを置く。

「当時は結果って答えたさ。今のゴローと一緒だ」

「今は?」

「過程も結果もどちらも大事……そう言いたいところだが、それも違うと最近気づいた」


 興味深い返答なので、催促して掘ってみる。

 タツさんの話はいつもおもしろい。


 信頼とは、裏切りとは、そういう抽象的な話ばかりだ。

 哲学と言い換えてもいい。

 タツさんの話は程よい酒の肴だった。


「過程だよ。大事なのは生き方だけなんだ」

「……どうしてそう言える?」


「結果だと思っていたものは、いざ振り返ってみれば過程でしかない。人間、死ぬまで結果と呼べるものは一つとして訪れないんだよ。俺はいい父親じゃない。娘の価値観からすれば、俺は悪人だ。それでも、いいんだ。俺は自分の為に決断した」


 人の意見なんてものは、基本的に自己正当化だ。


 勉強してこなかったヤツは「勉強なんてしなくていい」と言うし、悪しか生きる道がなかったヤツは「世の中、弱肉強食」と結論付ける。


 意見が先にあるのではなく、己に合わせて意見が変わるのだ。

 だが、タツさんの自己正当化は嫌いじゃない。


 きっと、自己弁護だと分かっていて吐き出しているからだ。

 その日は言葉だけじゃんく、食べた物も酒も吐くまで飲んだ。


 タツさん、飛行機には乗れたのだろうか?

 またどこかで会って飲みたいものだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?