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第1部 6話 篠崎吾郎2

 そんなこんなで決行日。

 俺はいつもより早起きして準備を整えると、約束の場所に向かった。


 ウイルスが蔓延してからというもの、人々はあまり外を出歩かなくなった。


 ジョギングするにしろ、犬の散歩にしろ、フルフェイスのヘルメットを被らないといけないのだから、それはそうだろう。


 俺だって偽装ホームレスになって、久々に外の空気を吸った。

 ぬるい風は心地よく、水面はまぶしく輝いている。


 五月晴れの平和な日だ。

 そんな平和な日に、俺は色濃い影を落とす橋の下に向かう。


「お・ま・た」


 ロクは大きな白ベースのスニーカーに、黒く薄手のナイロンパーカー。

 蛍光色のラインが目立つが、潜入前に白衣を羽織るからよいとするか。


 それより目立つのは、ヘルメット越しでも分かる無愛想な能面顔だ。

 相変わらず愛想の一つありゃしない。


 華奢な身体、真っ白い肌も相まって、人形のようだ。

 服装はごまかせても、このツラを誤魔化すのは一苦労しそうだ。

 そんなことを考えていると、こちらを見上げていたロクが目をそらした。


「まるで別人」


 そう言いながらイヤホンを外し、ノートパソコンをバッグに詰め込んだ。


「変装は得意でな」


 その一言で信じやがった。

 いやいや、仮に顔が似ていたとしても、毎日会う職場の人間にゃバレるだろ。


 どこまで純粋なんやら。ホームレスの時の俺のほうが変装じゃい。

 まぁ、トカゲの尻尾はこれくらいバカがいいんだけど。




 計画実行は、病院の裏口から開始する。

 速攻で同僚の一人と対面することになった。


 女性看護師の宮田さんだ。

 転職した際、最初に声をかけてくれた恩人であり、今も世話になっている。


 そんな恩人を騙している。

 まだ俺にもまともな神経が残っていたらしい。


 正気、気が気ではない。

 すぐに去ってくれと心の中で念じながら、ロクのことは姪として紹介する。


 事前に振っておいたので、特に疑われることはなかった。

 早速地下に降りて、目的の場所に向かう。


 ワクチンを保管するだけにしては、大掛かりな部屋だ。

 俺は監視カメラに入らないよう、入り口付近に立ってロクを見守る。


 ロクはノートパソコンを取り出した。

 俺はしゃがみこんだロクの後頭部を眺める。


 こうやってよく見ればホントにただのガキだ。

 だが、ガキとは思えない手さばきでキーを操作する。


「これで監視カメラはOK」


 ロクはそう言って監視カメラに手を振った。


「そんなんどこで覚えたんだよ」

「今や一般的なネットでも動画で解説していたりするよ。ま、ディープな内容はダークウェブで覚えたけど」


 そこから先はアッと言う間だ。

 タツさんの事前情報通り、ロクは鍵開けの天才だった。

 よほど鍵開けが好きなのか。


「あっ……」


 ふと、小さな声が漏れてしまう。

 ロクが笑っていたのだ。


 難関のセキュリティが次々解かれる度に、小さな口もとが綻んでいく。

 これまで仏頂面しか見れなかったからか――。


 暗闇に沈むその顔が、年相応で、とてもかわいく見えた。

 俺には子供なんていないし、いたこともない。


 何だ、かわいいところもあるんじゃん。

 何となく、タツさんの気持ちが分かった気がした。






 かちゃり――。





 時間にして四分五十二秒――鍵開けが終わる。

 しかし、そう簡単に帰らせてはくれなかった。


 ワクチンオーナー「ナナナ」がセキュリティルームに乗り出してきたのだ。

 俺は「その可能性」を事前に把握していた。


 だからこそ、罠を用意してあった。

 だが、その罠の発動前に、一つだけ聞いておく。


「どうせ俺たちハチの巣になって死ぬんだろ。最期に聞いていいか?」

「何です?」


 得意げなナナナが小さな胸を張った。


「ワクチンって何でこんな高いの? ほら、前に流行したコロナとかはワクチン大量生産してたじゃん」


 単なる好奇心だった。

 もしくは、タツさんの気持ちになりきっていたのかもしれない。

 どうしても聞いておかないといけない気がした。


「ふっ。そんなの決まっています。私しか作れないからです」

「じゃ、キミが大量生産すればいいじゃん」


 ナナナは何故か考え込み、こう返した。


「何故でしょうね?」


 考え込んだ割に、人をバカにした返答だ。

 醜悪な顔、イカれた価値観。


 そんな汚いものを前に――。

 俺は自分でも驚いた。


「お前みたいなヤツがッ!」


 気づけば怒鳴っていた。

 ひっくり返った声が最高に格好悪い。


 何故――。

 何故、俺はこんなに怒っているのか。


 自分でも分からなかった。

 このバカの影響でタツさんの娘が死んだから?


 タツさんになりきりすぎて、気持ちがシンクロしているのか?


 落ち着け俺。

 俺は正義の味方じゃないし、誰かの間違いを許さない熱い人間でもない。


 怒って、責めて、どうなる。

 俺も、この少女も、宇宙の中の小さな存在だ。


 百年経てば、今ここにいる誰もが死んでいる。

 そんな小さな存在の、自意識過剰な三文劇。


 感情的になるな。


 俺は深呼吸してその後を見守る。

 あとは事前に張っていた網を広げるだけだ。


 同僚たちによる妨害がナナナを襲うだろう。

 この数年、築いた信頼がパァになる瞬間だ。


 この場において、俺にしかできない最強の詐欺。

 罪悪感はある。


 でも、それがブレーキになることはなかった。

 生まれつきのバカ。


 俺だって、ナナナのことを怒る資格はないんだ。

 逃げ出し、久々の長距離走に汗が吹き出し、意識が白んでいく。


 ふと、気づく。

 隣を走るロクが笑っていた。


 お金の使い道でも考えているんだろう。


 あまりにも嬉しそうで、だから俺も釣られて笑ってしまった。

 俺たちは事前の計画通り、下水に潜り込む。





「オッサンは復讐が目的なのか?」

「は?」


 臭い下水道、息を切らした俺に投げかけられた問いだ。

 つい変な声が出てしまう。


「しないしない、そんな甲斐性ないっす」

「じゃあ、何でホームレスになったんだよ? 誰かの裏をかくためじゃねーのかよ?」


 なるほど、確かにそうだ。その読みは当たっている。

 俺の設定のベース「タツさん」は、計画を練ってワクチンを強奪しようとしている。


 その計画を果たす為に情報屋の看板を掲げ続けてきた。

 でも、何だろう……タツさんは「復讐」とは言わない気もした。


「俺がホームレスになった理由? 何の意味もないよ。逃げただけだ。もうフツーにぁ戻れないと思った。それだけのことをしたからな。そもそも……俺が詐欺師になったのは……」


 口を動かしながら「しゃべりすぎだ」と思う。

 ウソがバレそうなときの俺の悪いクセだ。


 でも、きっとタツさんだって、俺以外の誰かに聞いてもらいたいはずだ。

 そう言い訳しながら記憶を反芻する。


 タツさんにはあとで謝っておこう。


「娘がウイルスにかかったんだ。そのワクチンがバカ高くてさ……詐欺に手を染めた」

「お金は……集められたんだろ?」

「娘は……よ。汚い金だって……なんとなく分かってたんだ。ワクチンを拒んだ。キミと同じくらいの歳に亡くなったよ。そのあとは逃げるだけの惨めな人生だ。ホームレスにはなるべくしてなった。で も、いや、だからこそ……」


 演技派の俺は情緒たっぷりに言葉を区切る。


「俺は……今回のターゲットがその薬を作った張本人と知って、依頼を受けることにした。黙っていてすまない。せめて……あのワクチンが高い理由が知りたかったんだ」


 多分、タツさんの気持ちはこんなもんだ。

 あゝ、感情移入で泣きそう。


「でも、それなら……何で……私を止めなかったんだ。ホントは犯罪なんてしたくないんだろ?」


 タツさんは何故、ロクと組んだのか。

 何故、ロクを止めなかったのか。

 自分なりに考えてみる。


「汚い金でも……キミが幸せになれるなら……俺は応援したいと思ったんだ」


 そう口にしてみるけど、違う気がしてきた。


「いや違うな……」


 あぁ、そうか、そういうことか。


「キミはあのときの俺を救ってくれたんだ。キミだったら汚い金でも喜んで受け取るだろ? 俺の渡すワクチンを……使ってくれるだろ? はは。すまない、勝手に娘と重ねて……そう俺が救われたかっただけだ。それでも本当は……」


 タツさんの気持ちがあふれてくる。

 娘のこと、ロクのこと。二人を重ね合わせて思う心が。


 それに、もしかしたら俺の感情も交じっているのかもしれない。

 俺の心なのか、タツさんの心なのか、境界が曖昧になっていく。


 何でこんなに肩入れしてしまったんだろう。

 タツさんに、ロクに――。


 こんなリスクを負うより、ただの医者として過ごしていた方が安泰だ。

 でも、それは死んだような日々だった。


 医者の仕事だって嫌いじゃない。

 むしろ続けているうちに好きになっていた。


 でも、好きになるほど思い出してしまう。

 俺は、本当は漫画家になりたかった。


 部屋でポツンと一人、消しカスにまみれた机に向かう少年。

 本とかで勉強して、始めて原稿完成させられた瞬間は今でも鮮明に覚えている。


 でも、親父にしこたま殴られて、原稿も破かれて――やめた。

 周囲には「それくらいの覚悟だったんだよ」と笑われた。


 そう、俺の覚悟なんてそんなもんだ。

 そんなだし、自暴自棄になっていたのだろう。


 親への反抗心もあったのかもしれない。

 悪友に誘われるまま、詐欺に加担した。


 でも、最近、実家に帰って気づいた。

 俺が恐れていた親父の背中は、こんなにも小さかったのか。


 親父は痴ほうが進んでいて、ついさっきの話題すら忘れていた。

 ショックはあった。


 けど、最低なことに安心もあった。

 あぁ、もう恐れる必要なんてないじゃん。


 そう思った。


 じゃあ、今から医者をやめて漫画家になれって?

 やれないさ。そんな勇気も度胸もない。


 もう、手遅れだ、と言い訳を胸に刻む。

 それが俺だ。


 ずっと負け続けの人生。

 みじめで、倒れたまま立ち上がれない。


 楽な姿勢のまま「明日やる」と言い続ける。

 何もしないほうが楽だから。


 こいつは――ロクは、俺に似ているんだ。

 世界を恨むムスッとした能面顔、期待をしなくなった諦めた声。


 けだるい空気、死んだように生きるガランドウ。

 何かに負けて、悪事に手を染めて。


 こいつは覚悟があると思い込んでいる以上、俺よりたちが悪い。



 下水道――。

 ロクの綺麗な顔を思いきり殴り、しりもちついたその顔を見て思う。


 まるで地球が終わったような、唖然とした顔を見て思う。


「ささ、ナナナお嬢様。ぞんぶんに殴ってくだせぇ!」


 この先、ロクは俺みたいに後悔するのだろうか?

 そして、死んだみたいに生きるのだろうか?


 あぁ、そんなことを考えているうちに――。

 身体が勝手に動いていた。


 俺は――。

 今まさしくロクを殴ろうとするナナナの腹に――。


 豪快な蹴りを打ち込む。

 気持ちいいくらい綺麗にキマった。


 やっぱ俺、破滅願望あるのかもな。

 走馬灯が終わった。


 ようやく時間が動き出す。

 俺はナナナに馬乗りになって叫んだ。


「その結束バンドは力を入れたら千切れるようになってる! さっさと逃げろ!」

「は?」


 いくら武装していると言っても少女。

 ナナナの華奢な身体は、中年男性の下でビクとも動かない。


 ロクは――裏切りの応酬が早すぎて、何が何だか分かっていないのだろう。

 ポカンと口を開けたロクが下水に尻もちついていた。


 俺は暴れるナナナを抑え込んで再度叫ぶ。


「ハッタリってのはな、中途半端じゃいけねぇんだ! 例えば人質をナイフで脅す時はチラつかせても意味がない。まずマジで傷つける。殴る時は本気で殴る。これ、次のテスト出るからね。いや、その……そうじゃねぇな。女の子の大事な顔を思いっきり殴ってすまない」


 トカゲの尻尾じゃなかったのかよ。

 何助けてるんだよ、バカやろう。


 心と身体が別々になったみたいだ。

 でも、もう止められない。


 突き進むしかない。

 下水に溺れそうなナナナが必死に抵抗する。


「ふ、ふざけないでください! ぶっ殺しますよ!」


 ナナナの血走った目は、見ているだけで喰われるような迫力だ。

 予備で隠し持っていたのだろう。


 サバイバルナイフが俺の腹部をかすめる。

 鋭い熱を感じた後、瞬時に頭の中がグラつく。


 血が噴き出して、制御不能な身体が大きくよろめく。

 ナナナが俺の肩を跳ねのけて立ち上がる。


 こんなこともあろうかと用意しておいたメリケンサックを指にハメる。

 俺はふらつく足を叩いて、ナナナの前に立ちはだかった。


 千鳥足はまるで朝まで飲んだくれた酔っ払いだ。


「に、逃げろ、お、おぉ……早くぅううう!」


 自分でも情けない声だって思うが、その声が一層情けなくなる。

 気づくともう一撃のナイフが振るわれていた。


 俺の拳は空振りし、ぱっくりと肩の肉が開いたのが分かる。

 痛い、痛い、痛い! 痛いぃいい!


 これまで感じたことのない鋭い痛みが脳をダイレクトに揺らす。

 目の前を光の斑点が散って、同時に外側から黒で塗りつぶされていく。


 逃げ出したい、逃げ出したい。

 今すぐ命乞いをしたい。


 無様にヨダレがこぼれて、ロクがくれたヘルメット内を汚す。

 三回目の斬撃が左腕をかすめ、四回目がロクのくれたヘルメットを突く。


 大の字になって寝たくても、後ろにロクがいるのであれば、それは叶わない夢だ。

 バシャリと下水を踏んで、必死にこらえる。


 そこで気づく。

 何で俺はここまで頑なになっているのか。


 こんなに意地を張っているのか。

 俺はきっと、ロクにを気に入った訳でも、タツさんの言いつけを守っている訳でもない。


 それこそ、正義の味方に憧れている訳でもない。

 俺も、この少女たちも、宇宙の中では小さな存在だ。


 百年経てば、今ここにいる誰もが死んでいる。

 そんな小さな存在の、自意識過剰な三文劇。


 それでも、それでも、それでも!

 俺は――俺は――俺は!





 自分の人生に負けたくないんだ。





 ここで逃げ出せば、もう二度とリングには上がれない。

 間違いだらけの人生だった。


 恥ばかりかいてきた。

 親不孝な大バカ者。


 戦うのを止めて、死んだように生きてきた。

 そんな俺が、生き延びて、ロクに「お前は間違っている」と生きる姿で伝えたい。


 せめて、一度だけでも、自分の人生を生きて良かったと思いたかった。

 カッコイイ自分でありたかった。


 はは、タツさんの好きな歌は……そういうことだったのか。

 どうりで俺は好きになれなかった訳だ。


「何笑ってるんですか? おかしくなったんですか?」

「そうかも……な」


 もう一撃、また一撃と次々と無慈悲にナイフが振り下ろされる。


「あぐっ!」


 胸を、腿を、腕を斬られて、俺の膝が折れる。

 腰が抜けているのか、ロクはまだ立ち上がれていなかった。


 意識が薄れる中、痙攣する唇を何とか動かす。


「に、げ……ろ」


 立ち上がるどころか、もう死んでいておかしくない傷だ。

 肌が焼けるように痛む。


 肺が、心臓が破裂しそうなほど跳ね回っていた。

 もうほとんど何も見えない。


 暗い。それに寒い。

 けれども、俺は、俺の残りカスで、ナナナを睨んでいた。


「しぶとい肉ですね。切り刻むのに夢中になっちゃうじゃないですか」


 ナナナが額の汗を拭い、その口元は喜びに歪む。

 どうすれば、ロクを逃がせる。


 もうあまりうまく回らない脳を酷使し、必死に言葉を紡ぐ。


「お、俺の……最後の仕事を無駄にしないでくれ。今度は……俺の言うことを聞いてくれよ……なぁ」


 必死にタツさんを演じた。

 その言葉が堪えたのか、背後でバシャバシャと水の跳ねる音がする。


 あぁ、よかった。

 ようやくロクが立ち上がってくれたんだ。


 心の中で俺はロクをミソクソ言ったし、計画をタツさんに漏らして裏切ったし、トカゲの尻尾にしようとしたし、挙句の果ては殴って前歯を飛ばしてしまったけれど――。


 最後の最後で帳尻は合っただろうか。

 合ってくれていたらいいなぁ。

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