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第15話




 暇つぶしに自販機を眺めていたところへ山宮がやって来たのは、ほんの数分後のことだった。


「なんか用?」


 入れ違いに飲み物を買っていった生徒はいたが、中庭にはちょうど誰もいない。


 ベンチに書道道具入れと鞄を置き、お守りの紙袋だけポケットにそっと忍ばせる。カーディガン一枚では寒いはずなのに、ポケットに渡すお守りがあるだけでなんだか体の芯が熱い。


「もう昼近いけどおはよ。お互い初日から掃除当番なんてついてないね」


 だよな、と山宮がマスクを外して頷く。人気のない辺りを見回し、顔をしかめた。


「中庭、寒くね。この時間でも日差しはねえのか」


 マスクを持った手で寒そうに学ランの腕をさすって周りを見回す。山宮の言う通り、相変わらず冬の中庭は寒かった。だが、試験後のあの日と違って今日は晴天だ。はっとするほど澄み切った空へ木々が優雅に枝を伸ばしている。


「なに。なんか飲むの」


 朔也の目線を追うように山宮が自販機を眺めた。三段ある飲み物の一番下の段には「あたたかい」とオレンジ色の字がついている。


 冬は無難にあったかいココアかな。コーヒーが好きって言ってみたいけど、苦くておれには無理っぽい。


 前置きの雑談は山宮を見て消えた。


 やわらかそうな黒髪のつむじときれいに揃った睫毛。つんとしたくちびるは白い肌と同様に色が薄い。これまで以上に小さく見えるのは、連日のように電話をして耳元で山宮の声を聞いていたからだろうか。


 ズボンのポケットに手を突っ込むと、お守りの入った紙袋の角がつんつんと指先と朔也のいたずら心をつつく。


「飲み物は見てただけ。ちょっと山宮に用があってさ」


 すると山宮が不思議そうに「なに」とこちらを見上げた。


 改めて向かい合うと、泣きぼくろの目元がはっきりとする。前髪を少し切ったのだろうか、くっきりとした二重に睫毛が上に向いているのが分かる。マスクを外すと黒目がちな瞳が際立って、急にオーラが出て存在感が増す。


 やっぱり、山宮ってかっこいいな。マスクを外せばきっと皆だって話しかけやすいのに。ストレートの黒髪とかホントにいい。学ランが似合ってすっごく羨ましい。


「? 折原?」


 呼ばれてはっとする。つい見とれていた朔也は、指先が触れる袋に背中を押されて口を開いた。


「ああ、ごめん。実は半分愚痴なんだけどさ。その、おれ、古典の点数いつもより落ちちゃって、結構へこんじゃって」


 喋り出すと途端に脇や背に変な汗が出てくる。


 やばい、袋触りすぎて汗が染みたかも。あれ、なんでドッキリさせようとしてるおれがドキドキしてるんだ。友だちになにかをプレゼントするのなんて初めてで、全然タイミングが分からない。これ、いつポケットから出せばいいんだ?


「いや、ホント、油断したって感じ。ええと、それで、おれ、山宮に」


 上手く言葉が続かず、罰ゲームを仕掛けようとしたことが恥ずかしくなってきた。


 なんの思いもこもっていない「好き」と口にするだけの行為。相手は散々罰ゲームをしてきた山宮だ。こちらが「好きだ」と言えばすぐに察して「委員長に負けたのか」と返すに決まっている。それなのに、「す」と言おうとして息を吸うとへにゃりと口が歪んでしまう。


 うわ、これ、すっごい照れるじゃん。


 朔也は不思議そうにこちらを見上げる彼の顔を見た。


 山宮、どうして涼しい顔で「好き」だなんて言えたんだ? 「好き」って言葉、勇気を出さないと口にできないだろ。


「そりゃ、残念だったな。で? 顧問に呼ばれてんだわ。早く用件を言えよ」


 校舎に戻りたそうな口ぶりに朔也の焦りが増す。


 おい、おれ、頑張れ。なんのためにお守りを買ったんだ。たいそうなものじゃないんだ、気軽に「これやるよ」と渡せばいいだろ。


「……あー、なんていうか、仕返しっていうか」


 朔也の言葉に「仕返し?」と彼が訝しげに眉を寄せた。


「そう。山宮が罰ゲームで散々おれの放課後の時間を奪ったから、それの仕返し」


 そう、そうだ。これはただの仕返し。「好き」の言葉に意味はない。ただ「す」と「き」を言うだけの罰ゲーム。それで二人で笑い合ってお守りを渡せたら終了だ。


 朔也は笑って頭を掻いてみせた。


「つまりさ、おれ、委員長に古典で負けちゃったんだよね。で、山宮と同じ罰ゲームになったってわけ。だからさ、その、『おれ、山宮が」


 ぱしっ。突然、マスクを握ったままの山宮の手が朔也の口を塞いだ。ポケットから紙袋を取り出そうとしていた手が中途半端に止まる。


「……やめろ」


 険しく眉間にしわを寄せ、怖い形相の山宮が今までになく低い声を出した。


「そういうのは、聞きたくねえ……」


 山宮のてのひらが痛いくらいぐぐっと力を込めて朔也の口を押さえつけてくる。口を塞ぐように当たるマスクのせいで息苦しい。学ランの袖を引っ張ると、はっとした表情に変わった山宮の手からふっと力が消えた。反動で吸い込んだ冷たい空気が肺の奥まで入り込む。


「びっくりした! いきなりどうした?」


「……そういうのは、聞きたくない」


 黒髪の頭が垂れて力なく同じ言葉を繰り返す。すぐに察してにやっとする山宮を想像していた朔也は、予想外の反応に戸惑った。


「え? どうしたの? 山宮、散々同じ罰ゲームしてきたのに」


「……それは、否定できねえけど」


「おれを利用しておいて、自分はされたくないってこと? それってちょっとずるくない?」


「……そう、だな。悪りい」


 謝罪の声が暗い。朔也は気まずくなった空気の中、山宮の頭を見つめた。が、暫し待っても彼は顔をあげない。朔也はその居心地の悪さを振り切るように膝を曲げて彼の顔を覗き込んだ。


「山宮ってばバカだな! 好きって言われると思った? 違うって。本当は」


 バシッ。先ほどよりも大きな音がして視界が揺れた。凍てついた空気が朔也の頬を撫で、そこがじんじんと痛み出す。


 山宮に、叩かれた。


 一拍遅れて理解した朔也の目が見開いた。頬をはたいた山宮の右手が宙に浮いている。


「てめえ、ふざけんなよ!」


 語気の荒い口調がこちらの心をも引っぱたいた。ひりひりとする頬に手を当てながら、山宮の変わり様に唖然とする。ぎりっと噛みしめた歯の隙間から荒い呼吸が漏れ、怒りに顔を赤くさせた山宮がこちらを睨み上げていた。


「聞きたくねえっつったろ! 人の話を聞かねえやつだな!」


 そして一転、怒気を孕んだ目が見る見るうちに赤くなっていく。ぐっと握った手の甲に筋が浮いた。薄いくちびるの間から漏れる白い息が二人の間を抜ける風に揺れて消える。なにかを言おうとして開いた口が躊躇うようにゆっくりと閉じ、伏せられた目は前髪に隠れた。


「……俺、部活、行かなきゃなんねえから」


「え? 山宮、ちょっと待って」


「もう、行くわ」


 小さな捨て台詞とともに学ランの背が踵を返した。濃紺の後ろ姿がこちらの視線を振り切るように遠ざかる。早足で校舎へと消えた背中に朔也はぽかんとした。


──そういうのは聞きたくねえ。


 なに言ってんの。山宮、何度もおれに同じことを言ってきたのに。なんで、そんな、怒るんだよ……。


 渡せなかったお守りの袋が朔也の手の中でくしゃりと曲がった。

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