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第32話

 朔也が山宮に「はい」と答案を渡すと彼は無造作に床に置いた。こちらを見上げる顔が、ふとなにかに気づいた表情になる。


「折原って、睫毛も茶色なんだな」


 今気づいたわ、そんなふうに言う彼の言葉に口端が緩んだ。寝転がる山宮が目の奥を覗くようにこちらを見ている。


「目の色も山宮とは違うよ。ヘーゼルってやつ」

「いろんな色に見えるな? 緑っていうか、灰色っていうか、茶色っていうか」

「それがヘーゼルの特徴。母親がそうだから、遺伝だね。姉ちゃんは違うんだけど、おれだけ母親の遺伝で髪も茶髪で天パ」


 すると山宮がふっと息をついた。


「そういや、委員長が言ってたな。見た目のせいで昔いろいろあったって」


 山宮の言葉に昔のことが頭をよぎる。だが、いつものように澱が沈殿するような気持ちにはならなかった。前髪を一つまみつまんで見る。ずっと嫌っていた色も、今は素直に受け入れられる気がした。


「……先生たちには内緒にしてもらってるから今井以外誰も知らないんだけど、おれ、ハーフなんだよね。母親が東欧出身でさ。書道に惚れて来日したって言うから、そこも似たんだと思うんだけど」


 すると案の定山宮が「え?」と目を見開いた。口からははっと笑い声が出る。


「分かんないよな? おれ、顔が目立たないから。昔から身長や髪のことは言われてきたけど、中学になるとひどくなってさ。髪が校則違反だ、英語ができてずるい、背が高いなら運動部に入れ、とか。でも髪は変えられないし、母親の母国語は英語じゃないし、部活は好みじゃん。外見のことを言われるなら中身でカバーしようと思って勉強も運動も部活も頑張ってたんだけど、ある日ぷつんって糸が切れちゃったわけ。あとは山宮の想像の通り」


 朔也が話す間、山宮は一言も口を挟まなかった。


「髪が茶色なのは染めてるからだ、ハーフなら英語が話せるはずだ、身長が高いなら運動部だ。そうやって皆が自分の『普通』を押しつけてくる。だから高校では絶対に失敗しないようにって、最初に書道好きをアピールしたり、髪が悪目立ちしない色のカーディガンを着たりしてたんだ。クラスでは皆に合わせてれば無難に過ごせたから、これが『普通』で正しい振る舞い方なんだって思ってたんだけど」


 朔也は歯を見せて笑った。


「それが山宮にはバレバレだったってわけ。自分らしく振る舞えて、堂々と自分を表現できる山宮が羨ましいよ」


 すると、山宮は眉根を寄せて頭を掻いた。


「前にチャラい髪っつったのは撤回する」

「あれ、そんなこと言われたっけ」

「気にしてねえならいいわ。お前、あとなに隠してんだ」

「なにも隠してないよ。山宮はなにか隠してるの?」


 朔也が笑いながらつけ加えると、彼が急に苦虫を噛み潰したような表情になった。


「先に言っとくが、委員長は悪くねえからな」

「……なんで今井の名前が?」

「……実は委員長と付き合ってた……」

「え、ええええ⁉」


 初めて聞く話に朔也は仰け反った。


「山宮と今井⁉ いつ? 全然気づかなかった」

「五月の罰ゲームのあと。お前に玉砕したことを報告しに行ったらそのまま流れで」

「ええっ? 流れってどういうこと⁉」


 思わず大声を出すと、山宮がびしっと下から指をさしてくる。


「委員長は本当に折原が好きだったんだぞ」

「……本人から聞いたよ」

「お前が鈍いからあいつもキツかったんじゃね。『あたしたち二人共つらいね』『つらい者同士で付き合えばあたしも諦められるのかな』って言ってたわ。このクソ鈍チンめ。気づいてやれよ」

「ええ……それ、おれつながりで付き合ったってこと?」

「最初は断ったぞ。けどよ、泣きそうな顔で『好きな人が同じなら話が合うかもしれないでしょ』なんて言われたらどうしていいか分かんねえわ。もしかしたら別のやつを好きになれるかもって打算的にオーケーした俺も悪りいけどよ。結局お互い気持ち変わんねえなってことで終了したわ。ったく、あんな分かりやすいやつの気持ちに気づかねえとか、お前の頭はお飾りか」


 朔ちゃんは鈍いと言った今井の表情を思い出し、う、と言葉に詰まる。


「この話、おれが聞いてよかったの?」

「委員長が俺から言ったほうがいいんじゃねっつったんだわ。『朔ちゃんは気づかないだろうけど、あとから知ったら嫌だろうし、山宮君はきっかけがないと言わないでしょ』ってよ。あいつはお前のことを考えて言ったんだぞ。お前は食事ごとに委員長に感謝の祈りを捧げろ」

「今井はいい子なんだよ……」

「委員長がいいやつなことくらい知ってるわ。そんなやつを分かってやらなかったのは誰だよ」

「……面目ない……」


 言うことを言ってすっきりしたのか、山宮は起き上がって壁に凭れて座った。鞄からティッシュを取り出し、マスクを外して鼻をかむ。一方の朔也は背中がむずむずとしてきた。


「ねえ、どれくらい付き合ってたの?」

「はあ? 覚えてねえよ。たいした期間じゃねえわ」

「そのたいした期間じゃないって何日の話? 数週間? 数ヶ月?」

「んなことどうでもよくね。お互い好きにならねえなって確認するだけの日数だわ」

「いや、気になるでしょ。まさかキスとかした?」


 すると山宮が面食らった顔つきになった。


「……してねえけど」

「その間、なに⁉」

「いや、お前の食いつきよ。急にどうした」

「答えになってない! ちゃんと教えろ!」


 朔也が身を乗り出して詰め寄ると山宮は額に手をやってため息をつく。


「なんで突然スイッチが入ったのか分かんねえ……」

「教えない気なんだ⁉」

「してたらどうすんだよ。俺を殴って委員長を慰めに行くのか?」


 まあお前は一度感謝の気持ちを伝えたほうがいいぞ。言っておくがこの件に関して俺は委員長の味方だからな。


 ぶつぶつと続ける山宮の肩に朔也は手を置いた。


「山宮」


 呼びかけにこちらを見た山宮の頬に手を当てると、そのまま肩を抱き寄せてキスをした。少し開いたままのくちびるがぽてっとしている。一度離れたが、ぽかんとした山宮が微動だにしないので、同じようにもう一度口を重ねた。


「うあっ」


 次の瞬間、山宮が全力で朔也を引き剥がした。その手がばしばしとキャメル色のカーディガンを叩く。覗いたうなじが真っ赤に染まっていて、つい笑ってしまった。


「おかしい。山宮が照れてる」

「お前、マジ、なにしてくれてんだよ!」

「山宮が教えてくれないからちょっとムカついた」


 山宮が顔を手で覆って「あああ」と変な声を出す。


「その口腐ってもげろ! 距離感の壁を崩壊させやがって!」

「前のマスク越しにしてきたのは山宮なりの距離の空け方だったってこと?」

「これで上書き保存できるわけねえだろ!」

「やっぱり今井としたの⁉」

「ただのたとえだわ! ……マジで、こっちの気持ち、考えろ……」

「じゃあ考えるから、山宮の気持ち教えて」


 するとようやく山宮が真っ赤になった顔をあげた。


「お前卑怯だぞ! お前ってやつは、マジで、ほんと」


 そこでぷつんと山宮の声が途切れた。耳まで赤くさせてカーペットに目線を落とし、口をぎゅうっと引き結んでいる。


 耳、かわいい。


 両耳を両手できゅっと握ると山宮の体が跳ねるように飛び上がる。その耳を包むように手を添えて額にキスすると、山宮は膝を抱えて突っ伏してしまった。


「こんなに感情がころころ変わる山宮を見るのは初めて」

「……ぜんぶ、おまえのせいだ……」

「いちいち反応しちゃうのかわいい」

「……おとこにかわいいは、いらねえ……」

「普段はかっこいいと思ってるよ。イケメンだよね」

「……いけめんくない……」

「あ、日本語が壊れた。照れてるの?」

「てれてるてれてる、うっせえ……」

「なるほど、充分照れていらっしゃる」

「…………」


 無言になった彼を見て朔也は心から笑った。


「ねえ、もう一回する?」

「……もう心臓が持たねえ……」

「でも、する流れじゃん」

「流れはともかく心臓がもたねえ……」

「じゃあ、抱きしめてもいい?」

「……全部俺に聞くのやめろ……」

「それはしていいってこと?」

「だから、やめろ……」

「山宮」


 小さな山宮をぎゅっと抱きしめると朔也は目を瞑った。どくどくという鼓動が伝わってくる。頭を抱えるとやわらかい髪が朔也の指に絡まった。


 結局、おれの気持ちはここへたどり着く。今井に言われても、山宮に拒絶されても、どうあがいてもこの想いは恋だった。


「おれ、山宮が好きだ」


 腕の中の山宮が掠れた声を出す。


「……前も言ったけど、今の状態はお前のほしかった普通とは違うんじゃね」

「分かったんだ。おれ、普通になりたかったんじゃない。おれを普通だって言ってくれる人に会いたかったんだ」

「……委員長もお前を普通だって言うだろ」

「伝わってないのかな。山宮がいいって言ってるんだよ」


 すると山宮の手がぎゅっと朔也のカーディガンの袖を掴んだ。


「……やべえわ」


 山宮が消え入りそうな声で呟く。


「幸せすぎて、おかしくなるわ。信じらんね……」

「書道しか頭にないおれに興味を示す時点で山宮も変わってる」

「なにかに熱心に取り組んでるやつなら部活に夢中な俺をバカにしねえと思った。多分、俺は自分をさらけ出せる人がほしかったんだわ。それが折原だったら、マジで幸せ……」

「じゃ、キスしていい……?」


 山宮が緊張した様子でぎゅっと目を瞑る。朔也はそんな彼を眺めた。


 黒いストレートの髪に黒い睫毛。自分を豊かに表現でき、つらい経験から人に優しくできる心の強さ。山宮はおれがほしかったものを全部持っている。


 機械に囲まれ、しんとした小部屋に囁くような息遣いだけが聞こえる。中庭では木々が春を迎える準備をしていた。






一巻【了】



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