「てか、なんで俺対複数よ?」
「一、山宮が普段孤高のシベリアンハスキーだから。二、おれを笑ったから」
湯上がりの夕食前、飲み物を買いに行くと言って自販機前で落ち合った。幸い、来てみると誰もいなかった。こちらの顔を見た途端、水のペットボトルを開けた山宮が文句を言ってきたので言い返す。だが、山宮は思い出したように腹に手をやって笑い出した。
「笑うわ! 濡れた犬の毛がぺたんこになるのとそっくりだったわ!」
自販機のボタンを押すとゴトンと音がしてペットボトルが落ちてくる。朔也は口をとがらせた。
「山宮のせいで髪を乾かす時間が減ったじゃん。髪の毛、いつもはなるべくくるくるしないように時間をかけてるのに」
「攻撃開始とか言ったのは誰だよ。余計なこと言い出したお前が悪いんじゃね」
「山宮にお湯をかけるのは楽しかった」
「こっちもずぶ濡れの犬を見るのは楽しかったわ」
互いに笑う。朔也は内心風呂の時間が無事に過ごせたことにほっとした。ペットボトルを傾けると、ぽかぽかした体の内側に冷たいお茶が通り抜けていく。
正直に言うと、山宮と一緒に風呂に入るとあわあわしそうだったからだ。桶などを片づけた朔也が気づいたときには山宮はとっくにジャージに着替えていて、新しいマスクを広げて顔を半分隠し、こちらを見ることなく部屋に戻っていった。体育の着替えとは違う妙な感じになりそうだった──朔也は、だが──ので、とりあえず一日目を乗り切ったことで緊張が解けた。
「おっ、白糸の滝写真組だ」
そこへやって来たのは副委員長だった。彼は背の高い朔也にデコピン、小さい山宮の頭にチョップする。
「お前ら、風呂場で遊びすぎ」
「山宮が悪い」
「折原が悪りい」
二人の声が重なって、副委員長は笑った。
「ま、皆が楽しそうだったからいっか。お前らも仲良くしろよ」
彼はそれだけ言うと、お茶のペットボトルを買って戻っていく。
「……全然気づかれてないね」
朔也がこそこそと言うと、山宮がちらりとこちらを見上げた。
「気づかれると普通じゃねえと思われる?」
「単純に恥ずかしい。あと、書道以外にも興味あったのって言われそう」
朔也の返事に「それはあり得るわ」と山宮が小さく笑った。
夕食の時間になったので食堂に向かう。夕飯を食べると途端にまったりとして、自由時間に朔也たち七人は畳敷きの部屋でだらだらと喋った。
「朔はその後一年生にモテてる?」
その話題が出たのは、体操部員が新入生が入ってきたという話をしたときだった。マスクをつけたまま体育座りで話を聞く一方だった山宮を視界の端に捉える。放送部は今年も山宮一人らしい。一人だけ仮入部に来た生徒がいたが、放課後まで帰れないと知って早々に来なくなったそうだ。山宮は「一人でも楽しいから」と肩をすくめていた。
「一年生は女子が七人入ってきた。だけど、別にモテてないな。男子ゼロが悲しい」
「でも、朔目当ての女子とかいるんじゃねえの」
「な。結構いろんな一年が教室の前に来てたし」
一度一年生が教室にやって来て以来、何人かの生徒が「折原先輩」と話しかけに来たのは事実だ。こちらをちらっと見て通り過ぎていく生徒の姿も見た。朔也の周りはそれらに気づいていて、何度か揶揄われた。だが、とにかく山宮に聞かれたくなくて、適当に誤魔化し、曖昧に言葉を濁してやり過ごしてきた。
「教室まで来た一年もいたけどさ、書道室まで行った女子もいるんじゃねえの」
追求がやまず、朔也は頭を掻いた。
実際、二年女子と一緒に書道室へ向かったとき、「折原先輩!」と一年女子数人が書道室前で待っていたことがあった。
「あの、入学式のパフォーマンスを見ました」
「字がきれいで驚いて」
「大きな筆を使う姿がすごかったです!」
朔也は「ありがとう」と言う一方で、この場をどう切り抜けるかを考えた。やり取りをさっさと終えて、早く墨をすり始めたい。たまたま授業でも書道があった日で、早く筆を持ちたくて仕方がなかったのだ。
「あの……それで、折原先輩は彼女がいないらしいって聞きました」
一人の女子が突然話題を変えた。
「折原先輩は好きな人はいるんですか」
いきなりの質問に朔也は目をぱちぱちさせた。
どうして彼女の話? 入学式のことを話してたのに、なんで好きな人の話題になるんだ?
意味が分からず戸惑うと、そんなこちらの様子に今井がため息をつき、中村や他の皆が気まずそうに目を合わせる。その空気で朔也もようやく状況を理解した。「好きな人か」と顎に手をやって考えるふりをする。
「やっぱり……
一年生たちがぽかんとしたのが分かったが、朔也は構わず一方的に続けた。
「おれ、確かに
朔也はにっこりと一年生たちに笑いかけた。
「皆は誰の字が好き? 書道部で書いてみない?」
──朔也はそこまで話し、「って感じで話を終わらせた」と説明した。部屋の皆が顔を見合わせる。
「キューセーキュー……?」
「ソーゼンヒ……? 書道用語か?」
「書道部に入った後輩には?」
朔也はその日の口調を真似た。
「『別に王羲之も嫌いじゃないよ? でも「
首を傾げたクラスメイトの一方、くくっと笑う声がしたと思ったら山宮だった。
「すげえおもしれえ! その場面を見てみたかったわ!」
山宮が「委員長はすげえ笑ってそう」と噴き出す。
「うん、今井は帰り道で大笑いしてた。お腹が痛いって」
「そりゃ腹痛えわ!」
「部活の時間を削られたくないんだよ。さっさと練習したいのに、余計な話で邪魔されたくないじゃん」
山宮が自分の膝に顔をうずめて笑い続ける。その様子に皆が目を見合わせた。
「山宮が爆笑してる」
「今の話のどこに笑いのポイントがあったんだよ。俺、全然分かんなかったけど」
「朔の印象も変わったけど、山宮も変わったな」
「うん。もっとスカしたやつなのかと思ってた」
風呂の時間と自由時間のお喋りで同部屋仲間もかなり打ち解けた。
夜、布団の中に入り、寝息の聞こえる部屋で行事って楽しいなと思う。七人分の布団が敷ける畳の部屋は広く、大きな紙を広げられそうなほどだ。い草のにおいがするこの部屋で練習したら気分がいいだろう。一番離れている布団の山宮の寝顔が見られないのだけが惜しかった。
山宮と喋れると嬉しい。山宮といると素が出せる。山宮がいれば楽しい時間を作れる。山宮ともっと仲良くなりたい。明日はどんな山宮を知ることができるだろう。
風呂場での髪を掻き上げたときの顔を思い出してふふと笑い、目を瞑った。