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第42話

 レジデンスは想像よりもずっときれいだった。カーブが続く山の道をのぼって少し。後ろに山の斜面が見える敷地に入る。バスが何台も止まれる広場から降りると、ホテルと見まがうような建物が鎮座していた。新鮮な空気の中、どこか植物の青くさいにおいがする。その横に体育館や緑のネットが張られた場所があり、施設も充実しているようだ。ホームページでは付属大学も利用すると書いてあったから、学校自慢の施設の一つなのだろう。


 朔也たちのクラスはレジデンス到着後、全体で進路の説明を聞き、入浴、夕食、自由時間という流れになっていた。


 学年主任である担任の話を空調の効いた体育館で聞く。二年生は文系、理系、どちらも目指せる文理系の三つのコースに分かれている。今井は文系で朔也のクラスは文理系だ。朔也たちの学校は付属大学があるため、三年には他大学へ進学する者と付属大学へ進学する者とに分かれるらしい。


 入学したばかりだと思っていたのに、もうそんなことを考える時期か。


 朔也はそれを聞いてぼんやりと将来をイメージした。書道は続けたいが、大学で学ぶのか趣味として続けるのか考えていなかった。書道を仕事にいかせるとしたらどんな職業があるのだろう。学校の書道の先生、町の書道教室の先生、今日もらった御朱印を書いたり大会でもらうような賞状を書いたりする仕事もあるんだろうなとも思った。だが、勉強は嫌いではないし、絞りきれない。


 山宮はなにになりたいのだろう。やはり声を使った仕事をしたいのだろうか。家は医者一家だと言っていたが、大学はどこへ進みたいのだろう。せっかく気持ちが同じになって一緒のクラスになれたというのに、すぐに別の道を探さなければならないようで心がざわつく。


 もやもやした気持ちを抱えたまま部屋に戻る。しおりで自分たちの入浴時間を確認すると、入浴順では最初だった。やったと目配せし、朔也は体操部員たちと一緒に早めに大浴場へ向かった。


 脱衣所から扉を開けて中に入ると、途端にむわっとした空気に包まれる。シャワーが三方の壁にずらりと並び、黒い石造りの大きな浴槽が真ん中にどんとあった。男子一クラス分が入っても余裕がありそうな広さだ。壁はオフホワイトで天井が高く、シャワーのところにはシャンプー等の透き通ったボトルが緑、オレンジ、透明の順できちっと並んでいる。不揃いの敷石が並んだ床は、まるでどこかの温泉のようだ。ぴしゃんぴしゃんと水滴の落ちる音が響いて、沈んでいた気持ちが一気に吹き飛んだ。


「すげえ」


 一人の声がわんわんと広がる。


「こんなでかい風呂を独り占めかよ」

「独り占めはあと数分だよ。早く入ろ」


 朔也はそう言って笑い、体を洗って肩まで浴槽に浸かった。こういうところへくると童心に返るものなのだろうか。他の班が入ってきて、一人がシャワーのお湯を湯船にいるクラスメイトにかけたことをきっかけに皆がはしゃぎ出した。大浴場特有の音の響き方やクラスメイトしかいないという状況が気を大きくさせたのかもしれない。お湯のかけ合いにケラケラ笑っていたところへ、ひたひたという足音が近づいてきて、「なにやってんのお前ら」という声がした。


 朔也が振り返ると、髪を濡らし腰にタオルを巻いた山宮が眉根を寄せて突っ立っていた。


「……あ、悪い、はしゃいじまった」


 山宮の表情に皆がしゅんとする。山宮がはあとため息をついた。「中学生かよ」という気持ちが如実に表れている。朔也たちが大人しく湯に浸かると、山宮は朔也の対角線上にちゃぷんと入った。


 目を逸らしていた朔也は内心ほっとした。ここなら湯の中も見えない。湯気が隠してくれる。


 が、そろっとそちらを見ると、湯気の向こうで山宮が濡れた前髪を掻き上げたのが見えた。いつもは隠れているきりりとした細い眉が整っていて、二重の涼しげな目元の睫毛が長い。いつもの話しかけにくい雰囲気が変わり、イケメンという空気が前面に出ている。湯船の縁に頬杖をついて少し首を傾げ、髪先からぽたんぽたんと水滴が落ちているのも雰囲気があった。


 うわ、かっこいい。


 朔也は目を逸らした。だが、そこで周りが驚いたように山宮を見ていることに気づいた。周りも山宮の雰囲気が分かったらしい。山宮は体育でもマスクをつけているから、素顔を殆ど見たことのないクラスメイトもいるだろう。


「……なんだよ?」


 視線に気づいた山宮が不審そうにこちらを見やる。その口調に気後れした皆が互いにちらちらと目線を交わすのを見て、朔也が代弁した。


「山宮がかっこいいから皆びっくりしたんだよ」


 すると面食らった顔をした山宮がぱっと髪を下ろした。


「恥っず……なんだよそれ」


 きゅっと口を結んでそっぽを向いた山宮に皆が食いついた。


「山宮、なんだよそのイケメン隠し!」

「照れんな! もう一回前髪あげろ!」


 クラスメイトがざばざばと音を立てて山宮のほうへ行き、湯を浴びせる。思い切り頭から濡れた山宮が「邪魔だわ!」と湯を浴びせ返す。


 顔を隠すなよ。水かけんな。皆で山宮をやっちまえ。


 再び水の音と響く声で騒がしくなった浴槽の端で朔也が皆を眺めていると、一人がそれに気づいた。


「朔! お前も加勢しろ!」


 ざばっ。真正面から湯を被る。濡れた前髪で視界が遮られると、くくっと笑う声が聞こえた。髪をよけてみれば、山宮が堪えきれないと言ったように体をよじって爆笑した。


「折原やべえ! 完璧に濡れたゴールデンレトリーバー!」

「……笑うな。皆、山宮を攻撃開始!」


 朔也の言葉で再び湯かけ合戦が始まり、入ってきた別のグループに「なにやってんだ?」と呆れられるまで遊び尽くした。

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