私は今、目隠しをされ、車に乗せられている。
最初は滑らかに進んでいたので、舗装された一般道を走っていたのだろう。だが、三十分ほど前から、車体が激しく揺れ始めた。どうやら、今は山道を進んでいるらしい。
事件は、今朝起きた。
買い物を終えて帰宅する途中、突然、背後から襲われて車に押し込められた。抵抗する私に、男は耳元で囁いた。
──手荒な真似をして申し訳ございません。あなたの力が必要なのです。
その言葉を聞いて、私は全てを察した。この男は、母の差し金で私を
次の瞬間、車の速度が緩やかになった。
ガタガタと響いていた振動が少しずつ弱まっていく。どうやら、そろそろ目的地に到着するらしい。あの女は、今更私に何を望むのか。殺されることはないと思うのだけど。すると、後部座席のドアが開き、落ち着いた低い声が響いた。
「お待たせいたしました。咲良様。今、目隠しを外します」
温かな感触が目元に伝わったかと思うと、ゆっくりと目隠しが外され、ぼんやりと視界が開けていく。
今日は快晴。車窓へ差し込む日差しがやけに眩しい。私は反射的に目を細め、ようやく外の景色に目を凝らした。
そこにあったのは広大な敷地。手入れされた庭園の中央に、明治時代を思わせる西洋風の洋館がそびえ建っている。私は恐る恐る目の前の男を見た。
スーツを着た四十代ほどのその男は、清潔感のある身なりに細身の体系、口元には柔らかな笑みを浮かべていた。だが、その笑みはどこか底が見えない気がして、背筋がぞくりとする。
「…私に何をさせるつもり?」
「あなたのお母上…
「……は?」
「あなた様には、ここで子作りをしていただきます」
予想だにしない言葉に、私はギョッとした。今なんて言った?この男は。
「……はい?」
「子作り、でございます。ここで、ある人物との間に子をもうけていただく。それが芙蓉様のご意志です」
子作り…?そのために私をここへ呼んだと?
ちらりと目の前の男を見やると、誇らしげに微笑んでいた。その視線から感じるのは、「芙蓉に子作りを託された私」への
「…その相手って?」
「
「は……っ!?」
声が、反射的に漏れた。
──御影安吾。
その名は私でも知っている。
母・芙蓉が人狼族の村を襲わせて攫った男だ。そんな人物に私が桂木芙蓉の娘だと知れたら、間違いなく殺される。
「…咲良様。これは、大変名誉なことなのですよ。芙蓉様の一人娘であるあなたが人狼族の御影安吾との間に子どもを授かれば、その血もまた、ミレニアに捧げられる。我々の安寧は、目的を果たすまで約束されたようなものです」
男の言葉に、私は心底うんざりした。結局はそうなのだ。私の幸せも、意志も、感情も、最初からどうでもいい。ミレニアのために、私を利用できればそれでいいのだ。
物心ついた時から、母が「人間から逸脱した存在」であることを知っていた。
──老けない女。
それが人狼族の血の影響だと知ったのは、母と離れて暮らしてからだ。
十六年前――最後に見た母の姿は、三十代前半くらいだった。今も大して変わらないだろう。
母は若さを保つために、定期的に人狼族の血を取り込まなければならないらしい。御影安吾はそのための「道具」。だが、彼も当然歳をとるし、母よりも先に死ぬ。だからこそ、次の供給源として子供を作らせようとしているのだろう。くだらない。
「断ったら?」
「その時は、芙蓉様の命令を実行するしかございません」
「…命令?」
男はひょいっと手を挙げ、遠くを指さす。
視線を追うと、直径五十メートルはありそうな大きな池が見えた。目を凝らすと、静かな水面に、妙な波紋が広がっている。
「…あそこには、人狼の血を混ぜられたピラニアが数百匹
その瞬間、全身が凍りつくのを感じた。
ピラニア。肉食性の淡水魚。
しかも、人狼族の血を入れられた…!?
「拒否なさるなら、すぐさま咲良様をあの池に放り投げるよう申し付かっております」
男は眉を下げ、申し訳なさそうな口調で言った。だが、その声に同情の色は
すると、男は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「池へ飛び込むつもりはないようですね。それではご案内いたします。あなた様の、新しい『お部屋』へ」