「ど、どうするのよ。四郎」
「待て」
狼狽えるリインカに、科学者が答えたのは一言だった。
仲間たちはぎょっとしたが、彼の冷静沈着な顔立ちとこれまでの成果を信頼してちょっと待つ。
ついにゴブリンは荒野を埋め尽くし、山の麓に到達した。異世界人たちのもとに辿り着くまで、あと数キロである。
「言っとくけど」クルスは警告する。「触られるくらいまで来たら、焼きつくすからね♥」
「そんな時は来ない」
ゴブリンの軍勢はずり落ちながらも積み重なるように無理やり崖を登りだす。たちまち、岩肌が黒い彼らの肌色に染まりだした。
先頭にだけ、盾に縛られた明るめな女たちの肌が窺える。みな、怯えきっている様子だ。
「ま、待ちすぎじゃありませんこと?」
「大丈夫だ」
メアリアンがそわそわしだす。
ゴブリンは崖だけでなく、迂回してなだらかな斜面も登山。森を突っ切っても接近する。非力に係わらず、数によって木々を薙ぎ倒してくる。
もはや、生存者の村民は村の真ん中の広場に集まって震えるばかりだ。
残り数百メートル。
『座して死を待つか、拍子抜けだな!』
全てのゴブリンが同時に口を動かし、ゴッドブリンの意思を伝達するのさえ視認できてくる距離。全方向から聞こえる音声は、さながら4Dシアターだ。
残り百メートル。もがく盾の女たちの恐怖心さえはっきりとわかる。
「し、四郎氏?」
半裸の女性たちに照れながらも、太田は恐怖する。
科学者は無回答だ。
ゴブリン軍までは数十メートルを切る。
クルスは両腕の炎を巨大にし、女神たちは後退る。
残り数メートル。
「しししし、四郎氏ー!?」
肉の盾を構えたゴブリンたちが、その後ろから剣や槍や斧を振り上げて斬りかかり、
『うぐっ?! なんだ……これは? この朕が……なぜ……』
いっせいに動きを止めて苦しみだした。
直後、たいして喘ぐ間もなくほぼ即死する。
「「「「えっ!?」」」」
「潜伏期間が過ぎた」
同行者たちの驚きをよそに、静かに四郎は告知した。
まず停止したのは最前列のゴブリンたちで、後続は激突して上に積み重なりかけた。が、彼らにもすぐに苦悶は伝授する。
たちまち、ドミノ倒しのように後ろのゴブリンたちも巻き込んで数億の倒壊が始まった。
「〝アルクビエレ・ドライブ〟」
巻き込まれないよう、四郎は上昇気流を操作して一千万人くらいいた最前列の女たちを縛り付けられた盾ごと浮かす。
「「い、いったいどうして?」」
「病原菌だ」
図らずもハモってしまった女神たちに、科学者は教えた。
「即効性で100%の致死率だが、ウイルスは宿主なしでは生きれないからな。欠点を補うために空気感染もし、尋常でない勢いで増えるがゴブリンがいなくなれば自滅も早い」
「え~♥ それって危なくない?♥」
言葉とは裏腹に楽しげに訊くクルスにも、四郎は説明する。
「遺伝的多様性があればある病に対抗できる遺伝子を持つ者もいる可能性は高いが、ゴブリンは有性生殖にもかかわらず雄ばかり。ほとんど先祖から変化せず全員が同じ弱点を有したままだ。そこを突くウイルスを開発すれば、彼らにしか効かず遺伝的バリエーションの少なさで防げないものを製造できる。
これもダイイチノでの研究成果だ。連中が長らく進化せず、雑魚であり続けるゆえんだな。一度の突然変異をきっかけに
「そ、そんなものいつ仕込んだんでござるか?」
不思議がるオタクに、友人は微笑さえ浮かべて明答した。
「最初に村を襲っていた連中を倒したとき、同時に創造して大気中へ散布した。ミトコンドリアDNAに言及したろう。人を含む全ての真核生物に含まれるこれには、母親からしか伝わらないmdDNAがある。ゴブリンは母からの遺伝情報が極端に微少で男だけなために、それがないんだよ。ミトコンドリアが異世界にある時点でおかしいが」
もはや四人の仲間たちは、感心して聞き入ることしかできない。むしろ、恐怖さえ覚えてしまうほどだった。
数億のゴブリンたちは全員が倒れて山から荒野までを黒く塗りつぶし、やがて魔生物ゆえの特性で遺体は順次消えていく。
残ったのは、土と岩の大地だけだった。
……夜明けと共に、山を挟んだ荒野の反対側からは残存していた国々がゴブリン軍へ最後の抵抗をすべく一千万人からなる連合軍を派遣してきた。
しかし彼らが村近辺で目にしたのは僅かな村民と、怪我などの治療を受け必要な住居や生活必需品を渡された一千万人の滅びた国々出身たる幼女から老婆までの女たち。さらに彼女たちが住まう、かつて荒野だった辺りに築かれた緑豊かな大都市だった。
女たちが語るところによれば、魔王を倒した神々が大魔王となったゴブリンを再討伐してくれたらしい。
彼らは不手際の罪滅ぼしに、今回は特別に女たちへ住む場所をも与えてくれたという。
この出来事は伝説として、長らく異世界ダイゴノで語り継がれることになる。
今でも白衣とオタクファッションとエプロンドレスとメイド服と天使のコスプレがこの地の正装なのは、その神話に由来する。独特の方言であるてよだわ言葉やメスガキ言葉オタク言葉なども神の言語だと伝えられている。