「お兄ちゃん」
「ん? ――!」
おもむろに俺の部屋に入って来た
祐実は青を基調にした花柄の振袖を着ており、普段は下ろしている髪をアップにしていたのだ。
艶めかしいうなじが覗き、得も言われぬ背徳感がよぎる。
「どうしたんだよその格好」
「……お兄ちゃんと、初詣に行きたくて」
「……ああ、初詣か」
確かに今日は大晦日。
子どもの頃はよく二人で初詣に行ったものだが、祐実が高校に入ってからは、祐実は友達と初詣に行くようになり、去年も一昨年も大晦日は別々に過ごしていた。
「今年は友達とは行かないのか?」
「……うん、今年はお兄ちゃんと行くって言ったから」
「そ、そっか」
何故今年に限って俺と行きたいなんて言い出したのかは見当もつかないが、別に断る理由もないしな。
「じゃあ、久しぶりに二人で行くか」
「……うん!」
「――!」
普段は無表情な祐実が不意にヒマワリみたいな笑みを浮かべたので、俺の心臓がドキリと一つ跳ねた。
イ、イカンイカン、妹に対して、何をドキドキしているんだ俺は。
今から約10年前、俺が9歳、祐実が8歳の時に親が再婚して義理の兄妹になった俺たち。
この10年、俺は祐実のことを兄としてずっと守ってきたんだ。
最近はめっきり大人の女に成長しつつある祐実を見て、煩悩に頭が支配されそうになることが増えたが、いい機会だ、除夜の鐘を聴いて煩悩を退散させよう。
「うわあ、凄い人だな」
「大晦日だからね」
普段は閑散としている近所にある小さな神社は、今日だけは人でごった返していた。
年が明ける間際の、みんながみんなソワソワしているこの空気は、正直嫌いじゃない。
「お兄ちゃん、お賽銭の列、並ぼ」
「――! あ、ああ」
不意に祐実に手を引かれたので、またしても俺の頭が煩悩に支配されそうになる。
――その瞬間、除夜の鐘のゴーンという神々しい音が響いた。
ナイスタイミング除夜の鐘!
その調子で、俺の煩悩を異界送りにしてくれ!
……それにしても、俺も祐実もお互いもう子どもじゃないってのに、こんな躊躇いなく手を繋いでくるとはな。
祐実は俺のことなんて、あくまでただの兄としか思ってないんだろうな。
……まあ、別にいいけどさ。
「ん? 祐実、お前何か耳赤くないか?」
「そ!? そうかなぁ。今日は凄く寒いからだよ、きっと」
「ふうん?」
まあ、確かに寒いは寒いけど、さっきまでは別に赤くなかった気がするんだけどなあ。
「……いよいよだね、お兄ちゃん」
「ああ」
時刻は間もなく0時。
俺たちはお賽銭の列の、ちょうど真ん中辺りで年が明けるのを待っていた。
だが何故だろう?
さっきから祐実が、妙な緊張感を纏っているような気がする。
「「「10」」」
「「「9」」」
「「「8」」」
「「「7」」」
どこからともなくカウントダウンの声が聞こえてくる。
いよいよ今年も終わりかぁ。
「「「6」」」
「「「5」」」
「「「4」」」
「「「3」」」
「「「2」」」
「「「1」」」
「「「――ハッピーニューイヤー!!」」」
境内が新年を祝福する歓声で包まれる。
「あけましておめでとう、お兄ちゃん」
「ああ――祐実も、お誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう」
そう、1月1日は、祐実の誕生日でもあるのだ。
これで祐実も18歳かあ。
いよいよ名実共に大人の仲間入りだな。
俺の頭の中に、この10年の祐実との思い出が走馬灯のように流れていく。
最初はお互いぎこちなかった俺たちだけど、二人共ポケ〇ンが好きだってことがわかってからは、それがキッカケで少しずつ心の距離が縮まっていった。
中学では運動が苦手な祐実が、俺と同じソフトテニス部に入ってきた時は意外だったものの、内心嬉しかったことを今でも覚えている。
――ただ、高校に入ると義理の兄弟という関係が重りになり、周りからからかわれることも増え、何となく段々疎遠になってしまった。
俺が大学に入ってからは生活リズムも変わり、それは余計顕著になった。
だからこの初詣は、実に久しぶりとなる兄妹水入らずのお出掛けだ。
「お兄ちゃん、私たちの番だよ」
「あ、おう」
イカンイカン。
トリップしてたら、いつの間にかお賽銭の番がきてしまった。
俺は慌てて財布から5円玉を取り出し、それを投げ入れてから手を合わせる。
――えーと、家内安全でみんなが健康に暮らせますように。
――あと、祐実がいつまでも笑っていられますように、と。
これでよし。
ふと横をチラ見すると、祐実はいつになく真剣な表情で目をつぶり、神様に何かを祈っていた。
そしておもむろに開けた祐実の瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
ゆ、祐実……?
「祐実は何をお祈りしたんだ?」
「……今はまだ秘密」
「そ、そっか」
今はってことは、そのうち教えてくれるのかな?
「お兄ちゃんは何をお祈りしたの?」
「あー……、まあ、俺もちょっと秘密かな」
「ふうん」
流石に『祐実がいつまでも笑っていられますように』なんて祈ってたって言ったら、キモがられるだろうしな。
「そういえば祐実、今年の誕生日プレゼントは何がいい?」
連なる屋台の横を歩きながら尋ねる。
俺たちは毎年、誕生日プレゼントに欲しい物は本人に直接訊く方式を取っている。
そのほうが間違いがないしな。
因みに去年は、デッカイピカ〇ュウのぬいぐるみをプレゼントした。
高校二年生にもなってぬいぐるみを欲しがる祐実に、内心萌えていたのは内緒だ。
「うーん、そうだなあ。……あっ、あれがいい!」
「え?」
祐実が指差したのは、射的の景品のオモチャの指輪だった。
祐実??
「いやいや、流石にあれは安物すぎるだろ。せっかくの誕生日なんだから、もう少し高価なものでも構わないぞ?」
「ううん、私はあれがいいの。――ねえ、お願い、お兄ちゃん」
「――!」
上目遣いで祐実に見つめられると、俺は何も言えなくなる――。
「わ、わかったよ。そこまで言うなら、取ってやるよ」
「ありがとう!」
何でそこまでして、オモチャの指輪が欲しいんだか。
「すいません、一回お願いします」
射的屋のオジサンに500円玉を差し出す。
「まいど! 頑張って彼女にイイトコ見せてやんなよ!」
「かの……!?」
ま、まあ、傍からはそう見えるか。
俺たちは血が繋がってないから顔は全然似てないし、知らない人はまさか兄妹だとは思わないだろう。
かと言って本当のことを言っても却ってややこしくなりそうなので、適当に笑って誤魔化す。
――が、ふと祐実を見ると、また祐実は耳を赤くして無言で俯いていた。
祐実???
「あのー、祐実?」
「な、何でもない! 何でもないからッ!」
「そ、そっか」
よくわからないが、これはあまり触れないほうがよさそうだ。
だが、そんな祐実の様子が気になってしまい、俺はオモチャの指輪を落とすまで、計2000円も使ってしまったのであった。
「はい、祐実」
「ありがとう、お兄ちゃん」
人気のない境内の隅のほうにあるベンチに座り、無料で配っていた甘酒を祐実に手渡す。
昔二人でこの神社に初詣に来ていた頃は、締めにここで甘酒を飲むのが恒例だった。
「……美味しい」
「うん、美味いな」
寒さでかじかんだ身体に、甘酒が沁みる。
今更だが、年が明けたんだなという実感がじわじわと湧いてきた。
「でも、本当にプレゼントはそれでよかったのか?」
手のひらの上のオモチャの指輪を、愛おしそうに見つめている祐実に尋ねる。
「うん。……ただ、もう一つだけお願いしてもいい?」
「――!?」
不意に艶っぽい表情を向けてくる祐実。
きょ、今日の祐実はいったいどうしちまったってんだ??
もう除夜の鐘は撞き終わってるし、煩悩を退散させる術はないんだけど……。
「あ、ああ、俺にできることだったら、何でもいいぞ」
必死に平静を装いながら、そう答える。
「……じゃあ、この指輪を、お兄ちゃんがここに嵌めて」
「……っ!!」
祐実は
「ちょ、ちょっと祐実、こんな時に冗談はよせよ」
「……冗談なんかじゃないよ。――私は子どもの頃からずっと、お兄ちゃんが好きだったの」
「――!!」
……祐実。
「毎年冬になると決まって風邪を引く私を、いつも親身に看病してくれるお兄ちゃんが好きだった。ポケ〇ンの対戦でなかなか勝てなくてヘコんでる私に、必死にネットで勉強してアドバイスしてくれるお兄ちゃんが好きだった。私がお兄ちゃんと同じ高校を受験するって言ったら、わざわざ北野天満宮までお守りを買いに行ってくれたお兄ちゃんが好きだった」
「……」
祐実の宝石のような瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。
「……高校に入ってからはいろいろあって昔みたいにはいかなくなっちゃったけど、でも離れてみて改めてわかったの。――やっぱり私は、お兄ちゃんのことが好きなんだって」
「……祐実」
「――お兄ちゃん、私今日、18歳になったの。もう結婚できる歳になったんだよ。――だからお願い、私を、お兄ちゃんのお嫁さんにしてください」
「……!」
祐実の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
……そうか。
この瞬間、俺は今日一日の祐実の不可解な行動の理由が全てわかった。
「もしかして、祐実がさっきお祈りしたことって……」
「……うん、『お兄ちゃんのお嫁さんになれますように』って」
「そっ、か」
うるさいくらいに心臓が早鐘を打っている。
今までずっと自分の気持ちから目を逸らし続けてきたけど、こうなったらもう認めざるを得ない。
――俺も。
「俺も――祐実のことが好きだ」
「――! お兄ちゃん……!」
祐実は耳を真っ赤にしながら、大粒の涙で顔をぐしゃぐしゃにした。
「俺と――結婚してくれ」
「うん……! うん……!!」
ふえええと号泣しながら何度も頷く祐実の手からオモチャの指輪を取ると、それを祐実の左手の薬指に、そっと嵌めた。
「今はこれしかあげられないけど、俺が大人になって就職したら、給料三ヶ月分のを改めて贈るからな」
「んふふ、期待してるね。――ねえ、お兄ちゃん」
「え?」
「……ん」
「――!」
祐実は目を閉じて、少しだけ顎を持ち上げた。
ゆ、祐実……!
俺は震える手で祐実の肩を抱き、そして――。
「……ん」
「んんッ」
生まれて初めてしたキスは、ほんのり甘酒の味がした。
その瞬間――。
「「――!!」」
ゴーンという除夜の鐘の神々しい音が響き渡った。
あれ!?
この神社は年明け前から鐘を撞き始めるから、既に108回撞き終わってるはずだけど……!?
「ふふ、きっと神様が私たちを祝福してくれてるんだよ」
「……はは、そうかもな」
さながら教会の鐘を鳴らすかの如く、ってか。
まったく、なかなか神様も粋なことをするじゃないか。