それは五年ほどで死ぬ生命なのだという。
スライムという生き物がいた。冷たくてプルプルした謎の生命体だ。
科学世界においては『ありえない』と一蹴されそうな体構造をしたそいつも、魔力というエネルギーが生命にあるこの世界においては普通に存在するし、なんなら愛玩動物として一般的だ。
幼いころだ――俺は最初こいつを見た時に『なんだあの不気味な生命は……』とドン引きだったのを覚えている。
当時の俺にはスライムに対する抵抗感があって、以下のようなことを考えていた。
こんなものが『かわいい』ともてはやされて、毎朝の番組では特集コーナーまで組まれるのだから、この世界の人類は不気味だなと思った。
まあしかし? 俺もこの世界で生きていくわけだし? 世間的には『かわいいもの』らしいし? まあ見てやるか。俺は絶対に『かわいい』だなんて思わないけどさ。
ふぅん……跳ねるじゃん。すっげー跳ねるじゃん。なんだその嬉しそうにピョンピョンするそのそれ。ふぅん……
へぇ……温厚なんだ。ああ、変温動物なのね。でもあったかいのが好きだから人に寄ってくると。へぇ。
軟体っぽいけど、けっこう丈夫なんじゃん。幼児ぐらいなら上に乗れるんだな。でも振り落とされてケガとかするんだろ? ……あっ、なるほど。乗せた相手には結構配慮できる知能があるのか。そもそも信頼した相手じゃないと上に乗せないのね。へー。
動画とか見てみようかな。
しゃべるスライム? バッカじゃねーの? しゃべらないよ。ぷるんぷるんって……いやこれそもそも鳴き声でさえないじゃん……うーん、でもまあ、『ごはん』って言ってるように聞こえるかな。
『エサがほしすぎる子すらがむっちゃ体を登ってくる動画』? ……へぇ。ぴょんぴょんじゃん。ぴょんぴょんしてるわ。あっ、主食マシュマロなんだ。食べ物までかわいいとかなんだよお前……お前……
そんな経緯で、幼い日の俺は気づけばスライムのことばかりを考えるようになっていた。
当時はまだ子供だった。
収入は当然なく、また、スライムという一つの生命を世話する余裕さえなかったし、そんなものを飼うことに『かわいい』以外のメリットも見いだせなかった。
だが、『かわいい』は特大メリットだ。
そして……今は言い訳ができてしまう。
「スラたん」
三歳の誕生日になにがほしいか娘に聞いたところ、スライムを要求されたのだった。
そう、これで俺には『理由』がそろってしまったのだ。
『かわいい』という特大メリットに気づいた。
娘から要求されている。
しかもスライムの寿命は五年ほど……娘が八歳ぐらいになるタイミングで、『生物の死』を経験することになる。それは情操教育的にいいことだというデータがあるのだった。
まいったな……どう考えても『理由』がそろってしまっている……
『理由』がそろったなら……やらないといけないよな。
よし、じゃあサラ……ママに許可をとろう。
「ママはちゅよい……」
この『わかってる』感じ……やはりサラは同世代の平均よりだいぶ頭がいい。
普通の三歳未満はここまで意味のある会話ができないはず……いや、どうかな……なんか最近の子、賢いんだよな……
まあいいや。サラは賢い。
ともあれ俺とサラは真剣な顔をして見つめ合い、うなずきあった。
ママは強い。なにがどう強いのかと言われると、俺なんかは『握力』と答えたくなるのだが……そういう説明できるアレじゃなくて、説明できない力関係みたいなものが、俺たちのあいだにはある。
俺はサラの両わきに手を差し込んで『サラシールド』のかまえをとった。
なにか大きめの決断をようする意見を通したい時、俺が非武装で行くよりも、サラシールドをかかげて行くほうが、意見を通せる確率が上がるのだ。
ミリムは親子の寝室で執筆中だった。
最近は夫妻かねてからの目的である『小説か漫画による副収入』を目指して、創作活動をおこなっているのだった。
俺はサラシールドをミリムへ突き出すようにして接近した。
俺はたずねる――サラ、三歳の誕生日になにがほしい?
「じゅーす」
お前えええええええ!
お前! 裏切ったな!
俺はサラシールドのかまえを解いて、いったんサラを床におろした。
地面にはいつくばるようにして、娘とひそひそ話をする。
違うだろ? お前はさっきなんて言ってた?
「パパ」
そうだね。
そうだねではない。
俺は心を尽くしてサラの記憶を刺激した……ほら、さっきパパと一緒に
こういう朝の時間にさ、毎日、見てから保育所行くほら……『ス』で始まる……そういう動物がさ……ぷるんぷるん、ぴょんぴょん、って……
ところがサラ、おもむろに立ち上がり、ミリムのほうへ歩いて行ってしまった。
こ、行動が読めない……
四つん這いになってうちひしがれる俺の前に、サラを抱いたミリムが来た。
「レックス……だめだよ。サラの記憶は長くはもたないんだから……」
そうだった。
幼児の記憶は長くはもたない……
っていうか『同じ話題を続ける集中力』がない……
「自分の要求は、サラを通してじゃなくて、自分で言わないと」
言われてハッとした。
そうだ、俺はスライムを飼う理由がそろうのを待ち続けていた。
理由ができたから仕方ねぇなあとか言いながら、その本心では、常にスライムを飼う理由がそろうのを待ち続けていたんだ。
スライムを飼うのは――サラに求められたからじゃ、なかったんだ。
俺の、夢だったんだ……
「レックス、なにかあるなら、言って」
ミリム……俺はさ……
スライム、飼いたい……
小さいころからの夢だったんだ……
「レックス……この賃貸……ペット禁止……」
あっ……うん……
うん……
さよなら、スライム……