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第66話 理想の空間

 桜が舞い散る春に碧央はスーツに身を固めた。結愛はよそゆきの恰好に決めていた。その近くではわちゃわちゃと子供たちが動き回っている。洸が幼稚園に入園となり、亜玖亜が幼稚園の年中に進級し、樹絵瑠が小学一年生として入学する。今年の4月はそれぞれの準備に追われていた。さすがに慌ただしい朝日家に助っ人が登場する。石原家の結愛の両親の他に数年ぶりに和解できた碧央の両親だった。


 高級ランドセルを身にまとった樹絵瑠の身だしなみチェックするのは、碧央の母、朝日 響子あさひ きょうこ。大手の敏腕社長で白いビジネススーツで決まっていた。もちろん入学準備の出資金は彼女から出ていた。見た事もないブランドのランドセルに結愛は何も言えなくなっている。副社長としていつも隣にいるのは碧央の父、朝日 幹太あさひ かんたはいつも響子の荷物係だ。今日もバックを持たせられている。


「仕事忙しいところ、ご足労いただきましてありがとうございます」


 絶縁状態が長かったせいか、どこか他人行儀の碧央だった。


「……碧央、もう、過去は忘れて、今は子供たちの入園、入学を祝おうか。な?」

「ありがとうございます」


 頭が上がらない碧央だ。仕事に集中するため、金色の髪を辞めて、ビジネスマンらしい茶髪の髪を揺らしていた。風が少し強かった。父親らしい姿に父の幹太は安堵した。


「子育て……大変だろ?」

「……まぁ。そうですね」

「とにもかくにも、奥さん、大事にしろよ」


 碧央は、背中を思いっきりバシッとたたかれる。結愛たちはというと『入学式』と書かれた看板の前で写真撮影していた。どこかぎこちない結愛と樹絵瑠に響子はリラックスしなさいと笑顔を振りまいた。鉄の女と言われるくらいの怖いイメージしかなかった響子の柔らかい表情に2人は安心する。


「亜玖亜くんは、4月から年中よね。洸くんは、幼稚園入園だったかしら。午前中だったよね。お祝いに行けなくてごめんなさいね。どうしても抜けられない仕事の用事があって……長女の樹絵瑠ちゃんは一年生と思って張り切って間に合ってよかったわ。ここだけの話。私、女の子の方が好きなのよ。なんてね。男性のあの2人には内緒よ」


 結愛は、響子の本音を聞いて、冷や汗をかいた。何だかドキドキしてしまう。血のつながりはないけれど、女の子を大事にしてくれるのはありがたいが、洸までを嫌ってしまうのではないかと心中穏やかではなかった。


「そ、そうなんですね。お祝いにかけつけてくれて、しかもこんな素敵なランドセルも準備していただいて嬉しいです。ありがとうございます」


 こんな高級なブランドのランドセルを買うとは思ってなかった結愛は慌ててお礼を言う。結愛と響子は、嫁と姑の関係だ。なるべくは争いは避けたいものだ。


「気に入ってもらえてうれしいわ。こんなかわいい子が碧央の娘になるなんてね。反対していた時間がもったいなかったわ」


 ちらほら見える響子の本音に終始緊張する結愛だった。


「響子おばあさま。ありがとうございます!」


 樹絵瑠は空気を読んで最上級の笑顔で対応する。響子は樹絵瑠をぎゅっとハグをした。


「可愛い!! もうなんでも買ってあげちゃうわ。必要なものあったら、遠慮なくすぐに連絡してちょうだいね」


「は、はい」


 断る理由はなかった。響子の気持ちはありがたく受け取っておこうと決めた結愛だった。


「そろそろ時間よね。いってらっしゃい」


 響子は樹絵瑠とハイタッチをして、別れを告げる。最後まで滞りなく入学式は無事におわった。校舎の屋上ではスズメたちが歓迎するように鳴いている。


何もかものお祝いごとが終わった朝日家の家族は、自宅に着いてすぐ、リラックスした格好で、最近飼い始めたポメラニアンのペットの『ムギ』 を長いリードをつけて散歩し始めた。子供3人と夫婦2人で芝生が広がった大きな公園をゆっくり歩く。フリスビーを投げる亜玖亜には樹絵瑠は追いかけていた。


「何だか、平和だな」

 碧央の手にはムギのリードがぐるぐると巻かれていた。


「いいじゃん。幸せってことだよ。よかったよね、碧央のお父さんとお母さんが私たちのこと認めてくれて……なんで急にそうなったかわからないけどさ」


「俺もそこはわからないんだけどさ。たぶん、今後のことが気になったじゃないかと思うよ。誰が老後を見るとか見ないとかね。孫がいれば長生きしても見てくれるとかそういう魂胆じゃないかと……」


「碧央、一人っ子だもんね」


「……ああ」

 くんくんと芝生の匂いを嗅ぐムギの様子を伺う碧央に、結愛は後ろからぎゅっとハグをした。


「何してるのよ。公共の場で……」

「……いいじゃん。誰も見てないよ。くっつくくらい。子供たちだって、だいぶ離れてきたしさ」

「ママーーーー」

「どこが離れたんだよ。洸が呼んでるぞ」

「げっ。何、洸、どうしたの」

「あのね、あのね。あくたんが、僕の大事なボール奪って、どっかやったんだよ。ひどいでしょう」

「あらあら、大変なお兄ちゃんだ」


 遠くから亜玖亜が抗議している。


「ママ!! 洸の言うこと聞いちゃだめだよ。そっちだって、僕のフリスビー奪ったんだから」

「どっちもどっちね」

「……あるあるな話だな」

 ワンワン!!

 ムギは亜玖亜の持つボールに興奮して追いかけた。


「ムギ、それは僕のだから、ダメ!!」

 今度はペットのムギとの喧嘩が始まった。ボールの取り合いだ。


「ムギ、こっちだぞ」

 亜玖亜はさらに洸を怒らせる。


「……ムギを追いかけてよ、亜玖亜」

「そんなのやだよーだ」


 結愛は、碧央の手から離れたリードを追いかけるように指示したが、言うことを聞かない。碧央が慌てて、リードを引っ張った。どうにか間に合ったが、後ろから着いてきていた洸が豪快に顔から転んでいた。


「わーーーーん。痛いよぉーーー」


 大きな声で泣き始める。てんやわんやな状態。唯一、大人しいのは公園のブランコで静かに遊ぶ樹絵瑠だ。


 碧央は、泣き止んだことを確かめてから洸を肩に乗せて、公園を移動した。きゃっきゃっと喜ぶ洸に今度は樹絵瑠と亜玖亜が嫉妬心を燃やす。


 結愛は3人の後ろを笑みを浮かべながらついていく。ムギは結愛の腕の中で抱っこされていた。


 わちゃわちゃとにぎやかな家族でこれからもずっと平和に過ごしていくんだなと思うと独身の時にそれぞれに抱えていた不安な気持ちを考えていた自分が嘘みたいだと感じてしまう。両親とのわだかまりが消えて幸せそのものが訪れた。心が満たされている。


 晴れた西の空で大きな夕日が茜色に輝いて沈んでいく。ずっとずっと前からこの空間を結愛を見たかったんだ。幸せにあふれたこの空間を。


 碧央は、心穏やかに過ごせるこの世界を結愛と過ごしていく

 これからもずっと―――




【 完 】









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