明け頃。
務めを果たした煉夜は、都から離れた僻地、霊山近くの川の畔に存在する、こぢんまりとした家へ帰り着いた。
「金色、帰ったぞ!」
意気揚々と戸を開けると、入ってすぐの厨に金色の姿があった。
「あ、煉夜さん、守橙さん、おかえりなさい! もうすぐ朝餉の準備が整いますからね」
金色が屈託のない笑顔を浮かべる。
煉夜は雷に撃たれたような衝撃を受けた。
何と純真無垢で愛らしい笑顔だろう。
(これが妖? いいや——)
「天の御使いがいるぞ、守橙。金色は天上の最も尊き神が遣わされた神使に違いない」
「主様……」
守橙が憐憫を帯びた瞳で射抜いて来る。
「何故そんな目で見る。
幼き金色が私を労うばかりか、私の為に率先して食事の準備をしてくれているのだ。
感動しかないだろう?」
「…………そうですね」
盛大なため息を付かれた。
式神に人と同じような感性を求めるだけ無駄か、と結論付け諭すのは諦める。
そんな事よりも金色を抱きしめ、愛でたい衝動に駆られた。
だがしかし。
まずは身を清めねば金色を穢してしまう。
煉夜は撫でくりまわしたい気持ちをぐっと堪えて、水浴びと着替えに走った。
❖❖❖
大急ぎで身支度を整えて戻ると、膳に乗った朝餉が座敷に準備されていた。
「煉夜さん、冷めないうちにどうぞ」
促されて、金色と隣り合った席へ着く。
一汁三菜。
米、味噌汁、焼き魚、漬物、煮物。
ほかほかと湯気が立ち上っている。
出来立ての温かい食事だ。
ごくり、と喉が鳴った。
「頂きます」
両手を合わせ、糧になる食物と調理してくれた金色に感謝する。
箸を取って椀を持ち、おかずを啄んだ。
食事も金色と出会ってから思い出した楽しみの一つ。
しっかりと噛み締めて頂く。
じんわりと口内に広がり、舌を賑わせる食材の味に頬が緩んだ。
「どうですか?」
「嗚呼……今日も美味いな。特にこの魚が別格だ。またそこの川で捕ったのか?」
「はい! 今日もよく肥えて良いお魚が捕れましたよ」
〝そこの川〟というのは、神水で満たされた、土地神が住まう神域だ。
あそこに住む生物は微々たるものだが神格を帯びている。
故に漁獲は禁止されているが、金色はそれを知らない。
(最初にそこの川から魚を捕ったと聞かされた時、守燈はみっともない呻き声を上げて慌てふためき、金色はきょとんと首を傾げていたな)
二人の対照的な様子を思い出すと今でも可笑しくて。
煉夜は「くくっ!」と笑い声を溢した。
「そうかそうか。なれば、味わって食べねばなぁ」
「呑気ですね、主様……。
私は、いつ土地神様のお怒りを受けるのかと、気が気がではないですよ」
「かの神に咎める意思はないようだがな。罰するならとうにしているだろう。
つまり、赦されているのだよ。
金色が神の御使いというのは、図らずも遠からず、という訳だ」
「……ですかねぇ」
訝し気に眉を顰めた守燈は無視して、煉夜は箸を進めていく。
金色へ感謝の言葉と、料理に対する賞賛も忘れずに述べながら。
そうして、談笑を交えて朝餉の時間を過ごしていると——。
「おおーい。邪魔するぞー」
予期せぬ客が訪れた。
返事をする前に引き戸を擦る音がして、家屋の入口から男が入って来る。
毛先の尖った、海の様に深い紺青色の髪を頭頂部で束ね、煌びやかな衣装を着崩して纏っている。
男らしいと言えばいいのか、いつ見ても粗野な印象を与える風貌だな、と煉夜は思った。
その後ろから、明るい天色の短い髪に、きっちりと狩衣を着た若い男がもう一人入って来た。
こちらは優男といった印象だ。
「おぉ? お前さんが飯とは珍しい」
粗野な男は満面の笑みで無遠慮に部屋へ上がり込み、髪色よりも濃い藍色の瞳をこれでもかと見開いた。
金色が、弾かれたように煉夜の背へ回る。
煉夜はため息を吐き出してお椀を置くと、男——煉夜と同じく神に仕える将の一人である男を睨みつけた。
「無作法が過ぎるのではないか? 蒼殿」
「何を今更。数十年来の付き合いだろう?
このところ音沙汰がないから、どうしているかと思えば……ふむ」
蒼が、煉夜の背に縋って隠れる金色を覗き込んだ。
笑みが消えて、すっと瞳が細められる。
「妖狐の童か」
「妖狐!? 祓わねば、今すぐに!!」
優男——蒼の従者であろう男が声を荒げて、懐から〝符〟を取り出し、金色へ視線を送った。
大分興奮しており、今にでも暴れ出しそうな雰囲気だ。
「まったく。主が主なら、従者も従者だな。守燈」
「はい」
煉夜の意を汲んで、守燈が動く。
瞬時に若い男の背後に回ると、両手を抑え込み、地へと体を押し付けた。
「うぐっ!? 何をする、放せ!!」
「何をする、はこちらの台詞だ。
私の平穏を乱しに来たのなら、即刻お帰り願おう。
それとも、刃を交える事をお望みか?」
「いやいや、お前さんと事を構えるつもりはない。
……恐ろしさは身に染みてるからな。
湊音、ちょっと外に出てろ」
「蒼の守、何故ですか!?」
目配せで守燈に指示を送る。
と、察した守燈が湊音と呼ばれた若い男を抱えて、屋外へ出て行った。
「悪いな。あれで一応優秀な弟子なんだが、過去に色々あってなぁ。
人一倍、妖を憎む気持ちが強いのさ」
「無駄話はいい。何をしに来た?」
良く知らぬ相手の身の上話を親身に聞く趣味はない。
さっさと本題に入れ、といつの間にか座り込んだ蒼を、じとりと見やった。
「そう睨むなって。都に寄り付かないお前さんに伝言を頼まれたんだよ。
お上さん、妖気祓いに鬼気の祭を執り行うとよ。
お前さんも『朱雀の一柱として参列せよ』との勅令だ」
「……気が進まぬな」
「はは! 相変わらずだなぁ。だが、気を付けろよ。
このところ宮中の雲行きが怪しい。
あまり不遜に振る舞っていると、座を追われるぞ。
その妖狐も出来るだけ早く手放した方が良い」
蒼が眉を吊り上げ、真顔で説いてくる。
(この座は望んで得たものではない。
そうなれば願ったり叶ったりだが……)
この男が知る由もない。
「忠言は心に留めておく」
煉夜は告げて、話が済んだのならさっさと帰れ、と追い払う仕草をして見せた。
蒼が肩を竦めて立ち上がる。
「冷たいねぇ。茶の一つもないのか?」
「報せもなしに訪れて、どの口が語るのやら。
招いてもいない客を歓迎してやれる寛容さは、生憎と持ち合わせていなくてな。
とっとと去ね」
声色を下げて睨みを利かせると、蒼は「おー、怖い怖い」とわざとらしく体を震わせて「邪魔したな」と立ち去って行った。