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第四話 毒霧を裂く一閃 ≪後編≫

 ヴァンの弾丸を受けて、断末魔にも似た咆哮を上げた死黒鼠モルトラット

 地下空洞にひしめく群れの雰囲気が一変した。赤い瞳に妖しい輝きを増して、こちらを飲み込まんと死に物狂いで牙を剥く。



「うわわ!?」


「ちぃ、発狂しやがった!」


「くっ!」



 エレノアはヴァンとブロンテの三人がかりで、狂乱した群れを必死にさばいていく。何とか戦線を維持出来ているものの、押し寄せる波にじりじりと三人の足場が狭まる。


 咆哮の影響を受けて、近くの天井が崩落する様子もあった。この状態が長く続けばどうなるか。……考えたくもない結末だ。



(くそ……毒のせいで体が重い……目も霞む)



 そんな視界の端で、死黒鼠モルトラットの頬が膨れるのを捉えた。毒霧の予備動作だ。ここで後手に回れば全員が毒の餌食になってしまう。


 そうなれば、勝ちの目が薄くなることは明らか。


 エレノアは奥歯を食いしばり、リスクを承知で前へ出た。



(こんなところで、立ち止まるわけにはいかないんだ。今度こそ……ッ!)



 足元を這い上がるネズミが容赦なく肌に牙を刺す。ズキズキと鋭い痛み。


 怯みそうになりながらも気力で堪え、ネズミを振り払って踏み潰す。エレノアは死黒鼠モルトラットを睨んで駆け、剣を構えた。


 だが、死黒鼠モルトラットは今にも毒霧を吐き出そうとしている。このままでは間に合わない。



(だからって……諦めるものか! 私には、やるべきことがあるんだ!)



 エレノアはギリギリと奥歯を噛み締めて、昂る感情と共に刃を振り上げた。


 瞬間──首から下げた形見の指輪が熱を帯び、胸元で淡く輝いた。無機物のはずなのに、鼓動しているような感覚。



(この光……前にも……!)



 母の腕に抱かれたような温かさがエレノアを包み、金色とも銀色とも形容し難い、美しい微光が指輪を中心に広がった。



「なんだ……動きが……!?」


「え? ええ?」



 ヴァンとブロンテが驚愕している。


 エレノアの視界の先では死黒鼠モルトラットが顎を半開きのまま、毒霧を吐き出すタイミングを逸して硬直していた。ネズミの群れも同様に動きを止めている。


 好機だ。エレノアは逃さず、地を蹴り上げて肉薄した。



「はあぁっ!!」



 死黒鼠モルトラットの首もとに剣を突き立て、深く食い込ませて斬り裂く。



『ギュイイィィッ!!』



 言葉に形容し難い不快な絶叫が響いた。巨体がジタバタと暴れ回り、振動でパラパラと天井が降り注ぐ。


 死黒鼠モルトラットはしぶとくもまだ息があった。首を落としてしまいたいが抵抗が強く、毒のせいで腕に力が入らない。



「──いい加減に、沈みやがれ!」



 「パァン!」と、空気を引き裂く発砲音がして、閃光が死黒鼠モルトラットの最後の目を射抜いた。動きが止まり、その一瞬にエレノアは力を振り絞り剣を振り抜いた。


 命の雫がとめどなく溢れ出す。確実に致命傷だ。

 沈黙した巨体が地に沈み、指輪の光が収束していく中で、紫色の血花が咲いた。



(……倒……した……)



 エレノアは粗い呼吸を繰り返して、周囲を見渡す。


 一瞬の静寂が流れ──そこからせきを切ったように、士気を失ったネズミの群れが逃走を始めた。その多くは、奥の壁に開いた横穴の闇の中へ、鳴き声を上げながら消えていく。



「追わないと、殲滅を……!」



 この件には王国が絡んでいるかもしれない。そう思うと居ても立っても居られなかった。が、走り出そうとして、身体がふらついてしまう。


 毒の影響だろう。映る景色は歪んでいるし、呼吸が苦しく体も不自然に震えている。


 「ハッ」と鼻で笑う音が聞こえた。二丁銃を構えたままのヴァンが、呆れたような表情でこちらを見ている。



「そんな状態で? この場所も見つけられなかったのに、見失うのがオチだろ。……犬死されても寝覚めがわりぃ、ここはオレとブロンテで行く」


「そ、そうだね。その間、エレノアさんは教会の人に診てもらうといいよ」



 冷淡に見咎めるヴァンの横で、眉根を下げたブロンテが同意した。

 「だけど」と反論しかけるが、毒に侵された状態ではままならないのも事実。


 王国の痕跡を匂わせる敵が目の前にいるのに、気持ちとは裏腹に身体が言う事を聞かない。即効性のある毒ではないが、回りきれば死に至る危険だってある。



(どうして肝心な時に限って、動けないんだ……!)



 エレノアは悔しさに唇を引き結んだ。



「ついでにリーダーへの報告も頼むわ。さっきから呼び掛けてるんだが……繋がんなくてよ。情報は早い方がいいからな」



 ヴァンが耳に飾った通信の魔道具リンクベルを指差す。エレノアも試してみるが、通話中かまたは魔術阻害が働いてるのか繋がらず、渋々頷くしかなかった。



「……しけたツラしてんなよ。経緯はどうあれ、アレをやったのはテメェだ。次の出番まで体調万全にしとけよ」



 そう言ってヴァンは背を見せ、奥へ歩いていく。

 口は悪いが声色に棘はなく、なんの意趣返しかとエレノアはまばたきを繰り返した。


 ブロンテから笑い声が漏れる。見れば巨体に似合わず可愛らしい、ほっこりとした笑顔を浮かべていた。



「ヴァンね、あ、あんなだけど、仲間想いなんだ。エレノアさん、一人でどうにかしようとするから……心配で、怒ってただけなんだと思う」


「……そう」



 苛立ちの理由を聞かされて、エレノアは何とも言えない気持ちになる。が、誰かと馴れ合うつもりなく、素っ気ない返事をするに留まった。


 その内に「おい、早く行くぞ!」とブロンテを呼ぶヴァンの声が聞こえてきて、



「あ、い、いま行くよ……! エレノアさん、ゆっくり休んで。またあとでね」



 と、ブロンテは小走りに駆けて行った。

 彼らの背を見送り、胸に新たな渦が生まれるのを感じながら、エレノアは思う。



(この事件の背後には、王国が関与しているはずだ)



 ──と。確信を抱いていた。


 それに気になることはまだある。


 エレノアは胸元の指輪へ手を伸ばす。熱は失われ、ひやりとした感触が伝わって来た。



(魔獣が動きを止めたあの現象は一体……)



 母の形見の指輪には、何か大きな秘密が隠されているのではないか。そんな疑問が浮かんだ。


 だが、いま考えたところで答えは出そうにない。

 思い通りにいかないことばかりである。


 エレノアは苛立ちと焦り、そして誓いを揺るがそうとする感情を内に押し込めて、ひとまず地上へと戻ることにした。


 重い体を引きずって戻る道のりは、何故か後ろ髪を引かれる思いだった。

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