目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第35話 素直な気持ち

早苗がシャワーを浴びている間、鈴木はリビングに座り一人思いを巡らせていた。


「まだ持っていたんだあの鍵……。」



玄関に置かれていた鍵は、3年前に海外出向当日に預けた鈴木の部屋の合鍵だった。


別れを告げた際に捨てていいと言ったが、今も早苗の家に残っている。

忘れられていたわけではなく掃除の行き届いた玄関棚と小物入れの中にある鍵を見て大事にしてくれていたことが分かり嬉しくなった。



「まだ終わったわけじゃないんだな……俺たち」


玄関から目の前に視線を戻すと、目の前には豚汁の入っていたお椀と食べ終わったお皿が並んでいる。前回の夏に帰国時も外食ばかりで家庭的な料理を食べるのは久々だった。

外で食べる食事もいいが、部屋で作ってくれた普段の食事は心温まる。



「豚汁好きって言ったら出る頻度が急に増えたんだよなー前も、今日も美味しかったな……好きだな」


海外での一人が長いせいか独り言が多くなった。ネットの動画やニュースを見ていても部屋ではぶつくさと言っている気がする。



ガチャ……




「お待たせ、鈴木もシャワー浴びる?」

そう言ってタオルで髪を拭きながら早苗が入ってきた。


「ああ、ありがとう」

もしかして聞かれたかもしれないと焦りながらも聞くことはせず、その場を後にした。




早苗は戻るタイミングを伺っていた。

鈴木がまだ終わったわけではないと言っていたのが聞こえ、続きの言葉も聞きたくなって静かにその場に立っていた。

そして好きの言葉……自分のことを言ってくれたのか料理なのかは微妙なところだが、気持ちが弾んだ。



『今日会えてよかった。家にして良かった……。』



夜になり、セミダブルのベッドに二人で入る。恋人同士ならその後の甘い展開は自然な流れで行きつくが今は違う。お互いがお互いを意識して気があるのも感じているが、恋人ではない。



早苗と鈴木は、どこまで歩み寄っていいか分からなかった。

何度も一緒に夜を共にしているというのに、初夜のような緊張感が漂っていた。お互い仰向けになり子ども1人が間に入れるくらいの距離が空いている。



『家の方がくつろげるかと思って提案したけど、ベッド1つしかないもんね……。触れたくなるけど、がっついてる感じでなんか恥ずかしいし……どうしよう』



『布団入ったけどさ……このまま寝るんだよな?寝るんだよな?寝れる気がしない……。でもそれ以上の事をしていいのか……』




そんな時、ふと滝の言葉が反芻されてきた。

『楠木さんもキレるとかではなくて、素直に思ったことを言えば変わるかもしれませんよ。保証はしませんが。』



『たきさーーん!!!保証しないって言ったけど今、素直になってもいいタイミング?』

本人には話す気がないが心の中で叫ぶ。



素直に動く or 動かない 

シュミレーションゲームで二択のどちらか選ばなくてはいけない場面のようだ。


『Aボタン?Bボタン?あーーーなんかお助けアイテムとかないの?』

早苗は少し混乱していた。




『なーーに言っているんですか、楠木さん。素直にならなくて後悔してきたんでしょ?』

頭の中で天使にも悪魔にも見える滝が囁きかける。



『えええいっ!ここはAだ!!!』

滝に思いっきり背中を押された……いや、突き飛ばされた気分で素直になることにした。



身体を鈴木の方に向ける。

「浩太、今日はありがとう。ワイン美味しかった。浩太と過ごせて嬉しかった」

「ああ……。こちらこそありがとう。ご飯美味しかった」



鈴木も早苗の方に身体を向け、遠慮がちに口を開いた。

「あのさ……もう少し近く行っていい?」

「うん、私も同じこと思ってた」


二人は顔を見つめ照れた様子で笑いあった。



少しずつ身体を寄せ合い触れる距離にまで近づく。体温や匂いが心地いい。

いつしか互いの存在が安心できる場所へと変わっていた。


『やっぱり浩太と一緒にいると落ち着く。このまま一緒にいたい……』

早苗はそっと鈴木の手に触れた。鈴木も握り返してくる。



「浩太……」

「ん……?」

「あのさ……またこうやって一緒に過ごせたら嬉しいな」

「うん、ありがとう」


一呼吸してから鈴木の目をまっすぐ見る。

「まだ終わったわけじゃないよね……私たち」

「ごほっごほっ……さっきの聞いてたの?」

鈴木は驚いて咳こんでいた。



「うん、聞こえた。そのあとの好きも」

「なんか恥ずかしいな……。」

「私はこの先も浩太とずっとこうしていたいよ。」

「うん……俺も」


それ以上は言葉にしなかったが、二人はお互いの温もりを感じながら抱き合った。

二人の唇が重なり合う。 お互いの気持ちが言葉以上に伝わってくる優しく甘いキスだった。



早苗の柔らかな髪が鈴木の頬をくすぐる。 その感触が鈴木の心を優しく包み込んだ。 早苗の胸の鼓動が鈴木の耳に響く。 それは、まるで二人の未来を奏でているようだった。


「浩太……好き。」

鈴木の胸に顔を埋める。優しく受け止める鈴木の熱が心まで温かくする。


「うん……」

鈴木は早苗の髪を優しく撫でた。 その手は優しく温かい。二人はそのまま眠りについた。 隣で互いの温もりを感じるだけ……それだけでとても幸せな気持ちで満ち溢れていた。



朝になり目を開けると、大切な人の寝顔が側にある。その光景が何よりも幸せだった。二人の間には温かい空気が流れ、新たな未来に向かって歩き始めた。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?