「社長……」
桜色の包装紙に、金色の細いリボン。中身は、ハンカチだと思う。
「開けろってこと……だよね」
そっと包みを開いた。大判のハンカチ。淡いオレンジ色を基調として、薄い黄色やピンク色が、空からの光のように柔らかく溶け込んでいる。
「エスパーなのかな……」
彼のおかげで私の胸の奥に灯った明かり。それが、ちょうどこんな色。
ああ、もう。かわいすぎて、どうにかなりそう。これを早く見つけてほしくて、何度もじーっと見てたんだ。暖房をかけて待っているのは本当だろうけど、「離れるな」と繰り返すくせに先に行ったのは。コートを着るように言ったのは。
走るなと言われたけど、走った。早く、顔が見たい。ありがとうって言いたい。
車を見つけて駆け寄ると、運転席の彼が眉を顰めた。走ったからだと思う。もらったハンカチを掲げてみせると、ちょっと笑って視線を逸らした。照れてるんだろうか。
ドアを開けると、暖かい空気が流れ出した。暖房の効果が薄れないように、素早く乗り込む。
「お待たせしました。……これ、ありがとうございます」
「嫌いな柄でないといいが」
私がシートベルトをしたのを確認すると、早口で言って発進した。やっぱり照れてる。
「この色、とっても好きです。でも、いつの間に?」
地上が近付き、進行方向が明るくなってきた。
「昨夜、部屋に連れていったあとだ。下に用があってな。その時、目にとまった」
じゃあ、私が眠っている間に、コートのポケットに入れたんだ。今朝見た時は、コートはクローゼットにきちんとおさまっていた。
車は駐車場を出て、朝日の中を走り始めた。
「私が今日、別のコートを選んでいたら?」
「『昨日のも似会ってた。着て見せてくれ』とでも言うかな」
クスクスと、笑い声が漏れる。彼といると、笑おうと努力しなくても笑顔になれる。
「社長って……かわいい、って言われませんか」
「俺が?」
彼は心の底からおもしろそうに笑った。
「ないな。子供の頃は別として……そういうのは封印しているつもりだった」
「社長になったから、ですか?」
「それもある」
「封印ですか……」
似ているな、と思った。あの映画を観た頃に会社のトップになり、年商を大きく伸ばして、戦い続けてきた人。厳しい面を見せる時の方が多かったのかもしれない。
同じ頃、私は十代から二十代へ。彼と事情は違うけど、ひとつ何か起こるたび、何かを諦めて……惜しむ前に手放してきた気がする。どうせいなくなってしまう、物だってなくなってしまう。戻ってきてほしい、取り戻したいなんて、考えちゃいけない。前へ進まなきゃ、って。我ながらかわいくないくらい、冷めていた。
なのに社長は、「生き生きとした表情」と言ってくれた。
私は社長を、かわいいと感じている。
「静かだな。寒いか?」
「あ、いえ。大丈夫です。昨日から、びっくりすることや嬉しいことが続いてるなって」
「びっくりか」
「それは……そうですよ。いろいろと」
再就職、初めての夜、映画のこと。ひとつひとつの出来事の中には、さらに、防弾チョッキなんていう物騒な言葉や、甘美なおののき、砂糖のように溶けそうな瞬間などが詰まっている。
「いろいろか」
「はい」
「いろいろな」
「……そうですっ。いろいろありすぎて人生変わっちゃいましたっ」
だからそれ以上仄めかさないでくださいっ。
「まあ、それは俺も同じなんだが」
「え?」
フッと綺麗な笑みを向けられて、心臓が跳ねた。こういうのは、防弾チョッキじゃなくて、何が効くんだろう。
信号をいくつか過ぎたところで、社長は改まった口調になった。
「それで、と。これから取引先に紹介してまわるが、その前にもう一度聞いておきたい」
「はい。何でしょう?」
祝日が関係のない業種もあるから、そこを何社かまわるんだろうな。スケジュールが詰まってるって言ってたけど、私の挨拶まわりに費やして、大丈夫なんだろうか。
「俺との関係だ。どう認識してる」
「専任秘書……ですよね?」
部屋でのやり取りを思い浮かべてみたけど、私にはほかに言いようがない。
「明田のやつ……」
呟いたのは、私に辞令を渡してくれた部長の名前。
「辞令を見せてみろ」
「え?」
「早く」
「あ、はいっ」
大事な書類は、昨日ブティックで着替えたあとも持ってきてる。バッグから出して広げると、彼は文面を見て苦笑した。
「やってくれる……」
次の信号が赤になった。彼は、停止している間に私の手から辞令を奪い、さらさらと何かを書き足し、ポンとハンコを押してから返して寄越した。一連の動作に驚いたのと、何をしても優雅だななんて見とれて、反応が遅れた。目を疑う言葉。読み上げずにはいられない。
「専任秘書兼……婚約者?」
車が発進した。社長は楽しそうに、私を横目で見ている。いたずらっぽい瞳と辞令を見比べて、思い至った。
「こんないたずらして……」
たしなめると、風船が弾けたように笑い始めた。
「ハハッ、いたずらか。そりゃいい」
ひとしきり笑い、それでも運転は乱れることがない。次の信号も赤になり、手を握られた。