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キヨミはその夜ずっと浮かべていたいたずらっぽい笑みを崩さぬまま、さらにアレックスに近づき、自然な仕草で彼の腕を取った。
「お邪魔じゃなければ…」—キヨミはアリア、エミ、セレナに向かって無邪気なふりをしながら言った—「婚約者と少し踊りたいんだけど。」
「な、なに!?」—アリアとエミが同時に叫んだ。
「彼はあなたの婚約者じゃない!」—エミが勢いよく立ち上がった。
「まあまあ、落ち着いて…別に取ったりしないわよ…少なくとも、まだね。」—キヨミは皮肉っぽく笑いながらアレックスの手首を掴み、返事も待たずにダンスフロアへと引っ張っていった。
「待ちなさい!」—アリアが止めに入ろうとしたが、セレナがその腕をつかんで引き止めた。
「まあまあ、落ち着いて。」—セレナは面白そうに微笑んだ—「これは面白くなってきたわ。」
その間、アレックスはほとんど抗議する間もなく、キヨミにダンスフロアの中央に立たされていた。音楽はゆったりとした優雅な旋律に変わり、まるで王宮の舞踏会のようだった。
「何のつもりだ?」—アレックスは不快そうに言ったが、キヨミは彼の肩に片手を置き、もう片方の手をしっかりと握った。
「ただリラックスして…私の足を踏んで恥をかかせないでよ。」—キヨミは茶目っ気たっぷりに笑った。
「どうして急に俺に興味があるんだ?」—アレックスは小声で尋ねた。
キヨミは彼に顔を近づけ、唇が耳元に触れそうなほどの距離で囁いた。
「そうね…あなたに興味が湧いたの。」—彼女はくすくすと笑った—「だって、あなたは二度も私を驚かせたから。」
「まず、あの化け物から生き延びたこと。そして二つ目は…」—キヨミは少し距離を取り、彼の目を真っ直ぐに見つめた—「私があなたを殺そうとしたとき、逃げ出したこと。」
アレックスはごくりと唾を飲み込んだ。
「…つまり、これは警告か?」
「そんなところね。」—キヨミは危険な笑みを浮かべた—「でも、もう一つ気になることがあって…」
彼女はアレックスの胸に手を当て、ゆっくりと押し当てた。そこには、シエナが以前指摘していた“印”があった。
「これは普通の魔力じゃない…もっと闇が深いものよ。」
アレックスは視線を横に向け、遠くでこちらを不安そうに見つめるアリアたちに気づいた。
「何を企んでる?」—アレックスは言った—「俺があんたのゲームに乗るとでも思ってるのか?」
キヨミは小さく笑った。
「心配しないで…」—彼女は再び耳元に顔を寄せ、囁いた—「このゲームはまだ始まったばかりよ。」
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華やかな舞踏会の音楽が流れ続ける中、アレックスにとってはすべてが遠い残響のように感じられた。キヨミの挑発的な笑みと、その真意を読めない目に、彼の警戒心は高まるばかりだった。
ようやくキヨミが少し距離を取ると、アレックスはほっと息をついた。だが、彼女の鋭い視線は決して離れようとしなかった。
「ねえ、知ってる?」—キヨミは何気ない口調で話し始めたが、その声には妙な含みがあった—「あなただけがこの世界に“召喚”されたわけじゃないのよ。」
アレックスは眉をひそめ、足を止めかけながらキヨミを見つめた。
「…何だって?」—アレックスは不安を感じ始めた。
キヨミは意味深な笑みを浮かべ、アレックスの混乱を楽しむように続けた。
「あなたの仲間たち…彼らだけじゃないってこと。」—その言葉は静かな湖に石が投げ込まれたように、アレックスの心に波紋を広げた。
「…何が言いたい?」—アレックスは足を止め、その言葉の意味を探るようにキヨミを見つめた。
キヨミはまるで彼の反応を見極めるように目を細めた。
「簡単な話よ。」—キヨミは言った—「ここに呼ばれたのは、あなただけじゃない。しかも、その中には…」
彼女は一瞬笑みを深め、声のトーンを低くした。
「…あまり友好的じゃない連中もいるってこと。」
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アレックスは背筋に冷たい悪寒が走るのを感じた。彼女の言葉の意味が深く彼を不安にさせたが、さらなる質問をする前に、キヨミはまるで彼の考えを見透かしたかのように手で制した。
「心配しないで、アレックス…私はまだその『敵』の一人じゃないわ。」
彼女の声は柔らかくなったが、その目の鋭さは変わらなかった。
「私は…少し違うの。」
二人の間に沈黙が流れ、やがてキヨミは再び口を開いた。今度はより真剣で遠い目をしていた。
「全部話すわ。これで、これがただの偶然なんかじゃないってわかるはずよ。」
キヨミは一歩後ろに下がり、じっとアレックスを見つめた。まるで、どこまで話すべきかを考えているかのように。アレックスは緊張したまま、その言葉を待った。
「私…」
キヨミは息を吸い、わずかに声を震わせながら続けた。
「私は、前の世界で死んだの。」
アレックスは驚いて瞬きをした。彼女の言葉は完全に彼を困惑させ、音楽のリズムさえ消えたかのように感じた。
「死んだ…?」
彼は繰り返したが、まだ理解できていなかった。
キヨミは静かにうなずいた。その目は、まるで当時の記憶を思い返しているかのように暗かった。
「そう。私は…強力な魔法使いだった。でも、それでも自分の運命を避けることはできなかった。」
彼女の声は低く、遠くを見つめるようなものだった。
「信じていた人たちに裏切られて、致命傷を負ったの。そのまま、何もできずに倒れたわ。」
アレックスは驚きと同時に、胸の奥に悲しみのような感情が湧き上がるのを感じた。
「それで…その後は?」
彼は問いかけ、キヨミの話の重大さに気づき始めていた。
キヨミはそのまま話を続けた。彼女の表情が少しだけ変わり、その目にはわずかに光が宿っていた。
「私の魂はこの世界に送られたの…そこで、私は王女として生まれ変わったの。でも、前の人生よりはるかに強い魔力を持っていたわ。」
彼女の声は静かだったが、その言葉の重みは明らかだった。アレックスは喉の奥に緊張がこみ上げるのを感じた。
「どうして…?」
アレックスはつぶやくように言った。まだすべてを理解できずにいた。
キヨミは彼の目をまっすぐ見つめた。
「この世界では、力こそが全てだからよ。」
彼女の声はわずかに硬さを帯びていた。
「そして、ここにはその力を利用しようとする者が大勢いる。」
彼女は少し表情を和らげ、続けた。
「でも私は、彼らみたいにはならない。私は…ただの駒として扱われるつもりはないの。」
アレックスはキヨミの言葉に戸惑いながら、ふと疑問が浮かんだ。
「それなら…俺に何を望んでるんだ? なんでこんな話をする?」
キヨミは小さく笑ったが、その笑みにはどこか苦々しさが混ざっていた。
「別に助けを求めてるわけじゃないわ。もしそう思ってるならね。私が望んでるのは…ただ、私もこの世界の犠牲者だって知ってほしいの。」
彼女は一歩近づき、まるで自分の本当の姿を見せるかのように、静かに言葉を続けた。
「それでも、私は自分の運命を自分の手で掴むと決めたの。」
「…じゃあ、あの時の怪物は?」
アレックスはまだ信じられない様子で尋ねた。
キヨミは再び薄く微笑んだ。その笑みはどこか自信に満ちていた。
「あれは…この世界に潜む、理解しきれない力のほんの一部よ。」
彼女は肩をすくめるように言った。
「でも心配しないで、アレックス。」
キヨミは再び彼の耳元でささやいた。
「その問題は…私が私のやり方で片付けるわ。」
周囲では依然として音楽が流れ、ダンスは続いていたが、アレックスは理解していた。
キヨミの物語は、まだ始まったばかりなのだと。