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胡蝶の夢
胡蝶の夢
クラウン
BL歴史創作BL
2025年01月09日
公開日
3万字
連載中
売れない男絵画家の夜見絃が絵の技量を磨くために訪れたのは男が男に春を売る世界、空遊郭だった そこで見た花魁道中に彼は心を奪われる 売れない画家では花魁を買うことなど到底不可能、それでも諦められない絃に一人の遊女が声をかける「オレの絵を描いてくれれば安くする」と 声をかけてきた遊女の名前は凪、彼は絃の絵のファンを名乗り絃がこの空遊郭一の花魁、庵花魁を買う手伝いをすると言う 理由を聞く絃に凪は笑って富くじを買うようなものだとただ言うだけだった 花魁に心を奪われた男とそんな男を手放したくない男 果たして彼らの因縁はいつから始まっていたのか 情欲漂う色街で、今宵胡蝶の夢が始まる

第1話 夢の始まり

 カリカリと自身が紙面に鉛筆を走らせる音だけが暗い部屋の中に響く

 いつから向き合っているのかも分からないそれは未だに満足のいく出来にはなっていない

「これじゃあ……駄目だ」

 僕は嫌になって鉛筆を適当に放り捨てる

 紙面に写されたそれは着物をはだけ艶目かしい男の絵

 だが見るからに僕の求める艶やかさが足りない

 圧倒的に

 僕は夜見絃

 画家を生業としているがさして売れっ子でもなく何とか生活していくので精一杯の売れない画家

 僕は男だけど描く絵は基本的に男性をモデルにしている

 目指すのは男の色気、そして儚さ

 いつぞや見たあの日の光景を忘れない為に描き始めたそれが、それを越えたことは未だに一度もない

「足りないものは、何なのか……それが分かればきっとこの絵はさらに良くなる筈なんだけど……」

『昨今では遊郭のなかでも空遊郭というものが流行っているのだとか……』

「……空遊郭」

 ふと、この間ご近所さんの会話に出ていた話題を僕は思い出した

 遊郭、といえば女の遊女が男の相手をする場所だ

 だが空遊郭では女ではなく男が男の相手をする

 著名人や男色家、それ以外にも比較的普通の遊郭よりも安価な為金のないものが贔屓にしていると聞いたことがある

 あそこであれば買った遊女の肢体をどれだけ観察しようと誰も文句は言わない

「これぐらいあれば足りるかな……」

 僕は引き出しに入れていた封筒を取り出して中身を数える

 遊郭に行くには確実に少なく、空遊郭であってもきっと高い影子を買うことは出来ないであろうという心許ない程度の銭

 だが別に高い影子を買うことが僕の目的ではない

「思い立ったが吉日か……」

 僕は早々に身なりを整えて封筒を胸元に仕舞うとアトリエを飛び出していた


「これが、空遊郭……か」

 家からそれほど離れていない空遊郭の大門をくぐればそこは異世界だった

 空遊郭では張見世以外にも影子が自身から店を出て客を誘うこともあるそうで、僕が描きたいような艶やかな少年や青年達とおそらく客であろう男達

 青年から初老の男性まで色とりどりと手を絡め、笑い合いながら道を闊歩する女という概念の取り払われたその絵面はまさしく異常、としか言いようがない

「や、やっぱりお門違いだった……どうしたらいいんだろう……」

 僕は道の端のほうを背中を丸めて出来るだけ存在感を消して歩く

 しばしば張見世から声をかけられては肩をびくりと震わせて逃げるように早足になる

 ここまできて帰る、というのは憚られるが出来ることならそうしたい

 一日中絵を描いていたから少しだけ、考えが突飛になっていたんだ

 ここは僕なんかが来るところじゃない

 やっぱり帰ろう

 そう、思ったときだった

 シャン

 鈴のなるようなその音に僕は大道を振り返る

「……これは」

 そこには、金棒引きの男衆を先頭に大きな行列が出来ていた

 シャン、シャン

 錫杖の心地よい音色を響かせながら行列はゆっくりと進んでいく

 シャン、シャン

 たくさんの優美な男達が列を成して練り歩くそれは男色の気のない僕からしてもただ、美しい、という言葉しか出てこない

「っ……」

 そして

 僕は言葉を失った

 太鼓の音や錫杖、笛の音色を鳴らしながら進む列の真ん中を外八文字で、しなり、しなりと歩く青年を一目見て、心を奪われたからだ

 簪を使って綺麗に纏められながらも遊んでいる紅い頭髪に着飾られた豪華絢爛な着物

 情欲的でありながら、どこか挑戦的な外八文字のからからと音のなる歩き方、そして

 絶対的な自身を漲らせるその瞳から

 僕は目が離せなかった

 僕は慌てて懐から一枚の紙と鉛筆を取り出して、彼から目を離さずに手元の感覚だけでかりかりと鉛筆を走らせていく

 今、彼を描かなければ一生後悔する

 それが本能的に分かった

 描かなければ、描かなければ

「っ……ぇぁ」

 だが、彼が一瞬こちらへと視線を向けた瞬間に手元でパキリと鉛筆の芯が折れる音がした

「あ、しまっ……」

 一瞬だった、だが確実に目が合って……それから、挑戦的に目を細めて、口角を少しだけ上げて見せたのだ

 僕が下に一瞬視線を向けてすぐに前を向いた頃には既に彼はこちらを見てはいなかった

 だが決して、錯覚などではないと言いきれる自信があった

 それ程に僕の心は早鐘を打っていたからだ

「花魁道中をするってことは……彼は花魁か……残念だが僕には高嶺の花……すぎるな」

 僕は一度自分のなかに咲いた気持ちを無理矢理握り潰す

 花魁道中が出来る花魁は遊郭同様に空遊郭でも最高位の影子、一夜買うだけで家が建てられるような大金が飛んでいく

 そんな金は勿論ないし花魁に取り次いでもらえる程のお得意様や大客でもない

 ただの売れない絵描きなど門前払いが良いところだ

「……最後まで描きたかったなあ」

 僕は今しがた描いたばかりの自分の絵を光に照らす

 だが勿論全然駄目だ

 彼のあの美しさを表現なんて到底出来ていない

「……帰ろう」

 暫く見ていたそれを懐に仕舞うと僕は大門を目指して進路を変える

 彼ほどの美丈夫を一目でも見れただけで来たかいがあったというものだ

 そう、思うことにしよう

 そうしてまた、意味のない毎日に帰るのだ

「ねえ、君、そこの君だよ、黒髪に眼鏡の君」

 そんな僕の後ろから、透き通った鈴のような声が聞こえた

「え、ぼ、僕……?」

 僕は慌てて振り返りながら自分を指差す

「そう、他に誰がいるんだ?」

 僕のすぐ後ろに立っていた彼、彼は当たり前のようにそう言いながら少し眉を潜める

「な、なんの用かな……」

 先程の彼も美丈夫であったが目の前の彼もまた、道ですれ違えば振り返りそうな程に見目の整った青年だった

 僕は少したじろぎながら聞き返す

「君、オレを買う気はない?」

「……え、あ、でも」

 買う、その一言でああ、彼もまた客を探す影子なのだとすぐに分かった

 だがはい買います、というわけにもいかない

 別にさっきも言ったが見目が悪い訳じゃない

 むしろ白樺の精だと言われれば信じてしまいそうな程に儚い、白い頭髪に紅い瞳という目を引く程の美青年だ

 充分自分の求める艶めかしい絵を描く為のモデルに匹敵する

 だがだからこそ高い影子だろう、ということがすぐに分かったのだ

 そもそも張見世をせずに外を出歩き、これだけ綺麗な着物を着ているのだから少なくとも中級以上

 いくら空遊郭が安くても僕の私財ではどうにも手が出ない値段の筈だ

「ああ、今なら安くしてあげるよ、ある条件付きだけど」

「じ、条件って……?」

 にこにこと人懐っこい笑顔で彼がそう言うものだからつい、聞き返してしまう

 彼が安く買えればさっきの花魁ほどではないにしろ充分過ぎるくらいだ

 何なら予定よりも良い相手な程

「さっきの絵、君絵描きだろ? オレを描いてくれよ、一等男前にさ、ただ一枚絵を描くだけで君はオレみたいな男前を安く抱ける、こんな良い条件他に見つからないと思うよ」

 青年は言いながら僕が絵をしまった懐を指差す

「君は……自分に自信があるんだね」

 自分で自分を男前というその性格をいつだって自分に自信がない僕は少しだけ羨ましくも思う

「自信がなければ立てないからね、この場所には、オレはさっきの彼よりも自分のほうが良い男だとさえ思ってるよ」

 だが彼はハッと吐き出すように少し笑って、それから淡々とそう述べた

「っ……、さっきの彼を知って……」

 やはり、あの花魁のことが話題に上がるとつい話に食いついて身を乗り出してしまう

「この空遊郭にいるもので、花魁である彼を知らないもののほうが珍しいさ、誰だって彼を知ってる、そうだなぁ、オレを買ってくれれば彼のことも教えてあげる、ほら、さらに君に良い条件になっただろ、君はあの花魁道中に目を奪われてしまったようだし……ね」

「……それは、君には何の特があるの?」

 言いながら片目を瞑る彼に、それ程までにさっきの僕は分かりやすかったのかと少し居たたまれなくなって咳払いをしてから平静を装って聞き返す

「特がなければ提案しないさ、オレは君に絵を描いて貰える、それがオレにとっての特なんだ、で、どうする?」

 僕程度の絵描きに自身を描かせたところでそれがどう特になるのかは分からない

 だけど

 それだけのことでこれだけ美しい彼の一夜を僕の物に出来る、という事実にごくりと喉がなった

「僕は……」

 そして、僕の選択は……

「君を買おう」

 彼を買うことを選んだのだ

 これが、僕にとっての、夢の始まりだった

 そう、胡蝶の夢のようなその夢の

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