「まぁ、そう緊張しないでゆっくりしてくれよ」
彼はそう言って僕に垂れかかってくる
あの後彼に自身の店まで連れていかれてとんとん拍子に話は進んで今は彼の部屋にいた
大部屋ではなく自室な辺りやはり彼はそれなりの影子なのだろう
「それは……無理な話だよ」
彼は慣れた様子で僕の横に座ってそのまま手を弄ぶものだから緊張してしまって視線を反らす
「君は図体はデカイのに肝は小さいんだな」
そんな僕を見て彼は感情の読めない声でそう呟く
図体はでかいくせに、軽く六尺を越える身長の僕がよく言われてきた言葉だ
「僕は……自分に自信がない、から」
「あっそ……」
その言葉に少し萎縮して、身体を縮こませていれば彼はそんなことどうでもいいというようにそれだけ言った
「……」
どうしよう、気まずい
やっぱり僕みたいなのが来る場所じゃなかったんだ
「まぁ、黙ってないでもっとこっちへおいで、まずは何がしたい? オレの今宵の時間は君が買ったんだ、やりたいことをしよう、勿論絵は描いて貰うけどそれはあとでもいいし、先に描いてしまってからゆっくりと、っていうのでもオレはいい、君の好きなようにしよう」
彼はそんな僕の気持ちを知ってか知らずかさらに距離を詰めて楽しそうに囁く
そうだ
ここは遊郭
来る客はそういうことを目的としている
彼は僕もそういうことを目的に来たと思っているのだろう
「あ、えっと……悪いんだけど、僕は君を……そういう目的で買ったわけじゃないんだ」
僕は慌てて彼を押し返しながら言い訳のように言葉を並べる
「……へぇ、それじゃあわざわざなんでまたこんなところに?」
僕に押された彼は特に嫌な顔をするでもなく、気にする様子もなくただ聞き返してくる
「……絵を、描くために」
「絵を描くために、ねぇ、一体それのどこがどう繋がるんだ? 実際は、いざって時になって怖じ気づいちゃったとか」
僕が恥ずかしさもあってもごもごと返事を返せば彼は軽く笑ってから挑発するようにそう言って僕の顎に手を滑らせる
「そ、そんなことはないよ! ぼ、僕は絵描きだから、より艶やかな男絵を描けるようにそういう仕事をしている人達を買って……少しでも実物を知るために、来たんだ」
顎に滑らされた手がどうにもくすぐったくて身を捩って逃げながらさらに説明するが
「成る程成る程」
気付いた時には僕は何かを考えるように呟きながら艶っぽい笑みを浮かべる彼の下に組敷かれていた
「って、え……な、何……?」
僕は床に縛り付けられた手に視線を巡らせる
「君の言い分はよく分かった、オレを抱く気も抱かれる気もないと……だがここは空遊郭、絵のモデルを探す場所ではない」
僕の上から僕を見下ろしてそう言う彼の表情はその綺麗な白髪で隠されていて読むことが出来ない
「そ、そうだけど……」
確かにここはそういう場所で、絵のモデルを探す場所ではない
それでも僕の求める絵に必要なパーツを埋めてくれるのはここしかないと思っている
「オレ売れっ子だし、こう見えてそういうの得意だからさ、このまま君をかき抱いて……四判時も経たないうちにはオレのしたで君を無様に喘がせることだって出来るんだぜ?」
「な、なな……っ」
ちらりと、その白髪の間から見えたその瞳には言葉通りの自信と強い情欲が燃えていた
最悪体型の関係からも暴れれば抜け出すことは出来るだろう
でももしそれでこの美しい彼を傷付けてしまったら、そう思うと無理矢理僕の上から彼を退かすことは憚られた
だがそんなことを逡巡する僕を暫く見た後に彼はパッと笑顔を浮かべて僕の上から退いた
「なんて、まぁ、それも可能だけどここは客の求める夢を売る空遊郭、君がそういうことをする気がないならするのはやめよう、何がしたいかは君が決めるといい、オレは凪、君は?」
そして未だに床から起き上がれない僕に彼……凪は手を貸してくれる
「僕は……絃、したいことは……彼の情報がまずは聞きたい」
僕は起き上がりながら名前を名乗って、それから一番に知りたいことを問い掛ける
「……成る程、やっぱりそこが一番なんだな」
僕を起こした凪は自身の顎に手を添えて考えるように呟く
「あの花魁……影子は、こう、他の人にはない何かがあった、ように思う」
つい先程見たばかりの花魁道中の様子は簡単に鮮明に思い出せる
あの花魁とは一度目があっただけ
それなのに道中を一緒に歩く禿よりも、周りを行き交うどんな影子よりも、存在感と艶やかさを兼ね合わせていた
「君は気持ちを言葉にするのが苦手なんだな、まぁどっちでも良いけど、あと、この空遊郭では影子ではなく遊女って呼ぶのが大体だから、君もそうしたほうがいいぞ、別に決まりとかがある訳じゃないけどな」
「わ、分かった……」
拙い僕の説明でも凪は理解してくれたようで頷きながら、そしてこの空遊郭における男娼の呼び方を訂正する
「さて、あの花魁のことを話す前に折角だから酒でもどうだい? この店は良い酒も置いてある」
凪は言いながら盃を傾ける所作をする
「そ、れは……」
だがはいどうぞと言えないのが僕の財布事情だった
今回凪を買うにあたって安くしてもらった上で余裕で予算オーバーだった
これから暫くは食事のあてはメザシでもあれば良いほうだ
「冗談冗談、中級遊女もろくに買えない君にそんなもの買えなんて言わないさ」
口どもる僕を見て凪は楽しそうに笑ってそう言うから
「……」
「悪いね、君みたいな人を見るとどうしてもからかいたくなってしまっていけないな」
少しだけ非難するように視線を向ければからからと笑ってからそう言って謝った
「君は……少し意地が悪いな」
「ははっ、よく言われる、さて」
せめてもの仕返しにそう言ってみたものの笑っているところをみるにそれもさほど凪には刺さっていないようだった
「っ……」
そしてそのまま流れるような手付きで僕の手にするりと自分の手を絡ませる
「手持ち無沙汰だからね、話してる間はこうしてようか、それぐらい構わないだろ?」
「あ、うん……」
出来たら恥ずかしいから離して欲しいなんて言うことも出来ずに僕はただそう言って頷く
「まず、あの花魁の名前は、庵花魁だ、桜屋に所属してる花魁で……桜屋どころかこの空遊郭で一番人気の遊女だよ、勿論本人に気に入られなければどれだけのお偉いさんだろうと二回目はない、さらに言えばなかなか気に入られることのほうが少ないぐらいに気位が高い、それなのにトップに立ち続けてる遊女のなかの遊女……ってことになってる」
「……君は、彼が嫌いなの?」
凪はただ聞く限りでは庵花魁を筆舌を尽くして褒めているように聞こえるのに、その言い方はどこか刺々しくて……僕はつい、そう聞いていた
「……何で?」
僕のその言葉に凪は一瞬その笑顔を曇らせたがすぐにまたにこやかに笑ってそう聞き返してくる
「なんか、そういう感じがした、というか……」
何でか、と聞かれれば説明は出来ない
ただそういう感じがしたから、としか表現できないからだ
「まさかそんな! オレは彼がちゃんと好きだよ……なんて、本当のところは大嫌いさ」
凪は最初は少し大袈裟なくらいにそう言って首を振ったがすぐに苦虫を噛み潰したように吐露する
「な、何で?」
とても広いとは言えない遊郭、という場所に住み、そこから出ることを許されない遊女達というのは商売敵とはいえ同じ場所に住む知人でもある
それをここまで開けっ広げに嫌いと言ってのける彼に不思議さを覚えて聞き返す
「何でも何も……オレはこの空遊郭で自分より売れてる遊女はみんな大嫌い、オレは別にこの仕事にすごいやる気があるとかそういう人でもないけど、負けるっていうのは癪に触るだろ?」
「成る程……」
僕は取り敢えず返事を返す
何か理由があるわけでもなく、やる気もあるわけでもなく、それでも負けるのは気に入らない
その言葉だけで凪が度を越えた負けず嫌いだということが分かる
「さて、庵花魁の話はこれでお仕舞い、どうしたって君では庵花魁を指名するなんて何か間違いすら起こる可能性すらゼロなんだから早々に諦めて、別の誰かに乗り換えて入れ込むといい、オレとかね」
凪は話題を変えるように僕の手に絡めていた手を離してパンッと拍子を打って隙があらばと誘ってくる
「それは……」
だが勿論すぐには返答出来るわけもなく
そう簡単に諦められないからこそここにいるわけで、尚且つ凪に会うためにこの空遊郭に通えばすぐに僕の懐はすっからかんで、絵を描くどころか首を括らなければならなくなる
「まぁ、すぐに決断する必要もない、それよりもほら、早くオレを描いてくれよ」
凪は僕のそんな気持ちを知ってか知らずかそう言って子供のようにせがんでくる
「わ、分かったよ、ちょっと待って」
急かされながら僕は慌てていつも持ち歩いている画材を取り出した