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第9話 僕の家


 僕の家は代々続く大きな老舗呉服屋だった

 そんな家の長男として産まれた僕は当たり前のように産まれたときからこの家を継ぐことが決まっていた

 しかし残念なことに周りからの期待の目を一心に受けて育っていく僕には全く商いの才能がなかった

 計算も早いほうではなかったし、誰とでも話せるようなコミュニケーション能力も持たず、さらには人見知りでよく言葉に詰まる上にこの図体のデカさは周りの人をよく怖がらせた

 そんな僕は幼い頃から絵を描くことだけが何よりも好きだった

 だけど絵を描けば描く程にその行動事態を非難された

 そんなことをする時間があれば商いの勉強をしろ、と

 絵を見せても、この程度の絵で満足しているのかと、上手いとでも思っているのかと謗られた

 元々なかった僕の中の自信ががりがりと削れる鉛筆の芯のように削れていくのがよく分かった

 そんなある日、弟が産まれた

 弟は僕とは正反対

 明るく、朗らかで、誰にでも好かれて、人の目を惹く人懐こい笑顔と、商人の才能も持っていた

 それが明るみになっていくほどに周りの大人達は弟にばかり構うようになっていった

 僕なんてまるでいないとでもいうように

 家を継ぐのは弟

 そう、誰もが思って、考えるようになって

 僕はそれなりの自由を手に入れはしたけれど、それは余計に僕を虚しくさせただけだった

 食卓を囲んでも家族の話に入っていけないどころか家族なのかすら分からない僕

 今はやりの服の柄は、なんて話を目の前でされても僕にはなんのことか一切分からない

 少し調べて、聞き齧った知識で会話に入っていこうにも相手にもされない

 図体がでかいだけで何も出来なくて

 描いた絵だって別に高値で売れはしない

 そんな僕には誰も期待なんてしないけれど、絵を描いている時だけは周りのことも時間すらと忘れられて楽しかった

 昔は男絵だけではなくいろいろな絵を描いていた

 風景画に動物、人だって老若男女問わず描いた

 誰もそれを褒めはしなかったけれど

 父は僕の描いた絵を目の前で平気で破ったし

 母は見ようともしなかった

 弟に関しては、僕はほとんど弟と会話する機会もなかったから僕のことを内心どう思っていたのかまでは残念ながら分からない

 それだけ僕はこの家で存在する価値がなかったのだ

 それから僕はある経験を境に男絵に傾倒していき、家出のような形で家を飛び出してこうして売れない画家生活を始めた

 認めて欲しいはいずれ認めさせてやるになり、認められなければいけないという使命感へと変わっていった

 男絵で世間に認めさせて、僕は初めて人になれる

 そう、頭の中で理解させた

 そしていつか、僕の絵が認められたそのときは、必ずあの子に会いに行こう

 あの子は別に家族じゃないし、言ってしまえばそんなに大した知り合いというわけでもない

 数回顔を合わせただけの、それでいて僕が絵の道から出られなくなった原因を作ったあの子に一番に見せて、褒めて欲しいから

 親が敷いたレールの上からはみ出ていた僕のために新しいレールを敷いてくれた君

 そんな彼に報いるためにも

 だから僕は、この程度では諦めきれず、満足せずに、もっと艶のある艶やかな男絵を、描けるようになるために、庵を必ず買って見せる

 最近は特に自身の絵に向上しているところを見いだせないでいた

 人見知りでそういうものに疎い、そんな僕が空遊郭を訪れたのも、その先でまるで神聖なもののように続く長い行列の中を歩く庵花魁を見つけたのも、きっと全てが神の思し召しだったのではないかとすら思う

 手の届かない雲の上の人である庵を見つけた僕をまた、彼……凪が見つけてくれたのもまた、きっと運命で

 だからこそ、彼が望まない絵を描くことに、少しも罪悪感がないのかと言われればはいとは言えないのが、事実だった


「か、けた……」

 僕は一息はぁっと思い切り息を吐き出してから視線を上にあげる

 いつものことながらどれ程時間が経ったのかは分からない

 おそらくいつもよりもずっと時間はかかっている

 だが目の前にはしっかりと、一枚の絵が完成していた

 庵を模したその遊女は脚を折って座り、着物ははだけ、手にもったキセルを傾けてふかしている

 そんなよくある構図の一枚の遊女の絵だ

 そんなよくある構図でも、最近のなかでは一番集中したし一番の出来だと思う

 それでもあの庵花魁に持っていくものもなると全然十分な出来とは思えず、僕の額を疲労から来るものではない汗が伝う

「……見せてみないと、何も始まらない……あ、そうだった」

 僕は出来る限り前向きに考えるようにしながらイーゼルから紙を外す

 そうだ、次登桜する時も約束通り凪にも絵を持っていかなければいけない

 それを思い出した僕は紙を外されたイーゼルにまた一枚の紙を設置する

「……これは、今日はもうダメかな」

 そして椅子に座って数十秒眺めてみるも全く意欲の沸く構図が思い付かなくて早々に椅子から立ち上がる

 僕はお勝手を適当にあさってすぐに食べられそうなものを探す

「あ、これ、賞味期限……大丈夫か」

 僕は適当なところに放ってあった菓子パンの袋をあけると取り出して一口かじる

「……」

 空になった胃に物が入ると少しずつ落ち着きを取り戻してきて、凪を捨てるように空遊郭を出てきてしまったことを思い出す

「結果……描いちゃったな」

 僕は端のほうに立て掛けられた絵に視線を向ける

 あんなに描いてほしくないと言われたのに結果として何よりも真っ先に描きあげた庵用の絵

 一体凪にはどう説明すればいいのだろうか

 そもそも何で凪は僕の絵を庵が所持することをあそこまで嫌がったのか

 それすら僕には分からない

「……何も、分からないんだ」

 僕はそこまで考えてから誰に言うでもなくぽつりと呟く

 産まれは教えて貰った、後は名前

 僕は凪のことをそれしか知らない

 だってたったの三回だ

 三回健全な夜を共に過ごしたそれだけの関係

 馴染みになったとはいえあまりにもまだ浅いそれが、どうにも心地悪くて

 僕は菓子パンを飲み下すとその心地悪さも飲み込んでしまうように水を喉に流し込んだ

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